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2023年5月の記事一覧

  • おばあちゃんが壊れた日。おばあちゃんの最期から学んだこと。

    大好きだったぼくのおばあちゃんの晩年は、認知症の幻覚がひどかった。「家に知らん女があがりこんでる」「ベッドの下にヘビが入りよった」「身体中から虫がわいてくる」と騒ぎ立てる毎日。 日に日に、自宅で介護することが困難になっていく…   おばあちゃんっ子だったぼくの家庭環境 ぼくは生粋のおばあちゃんっ子だった。 生まれた時から一緒に暮らしてたおばあちゃんは、オヤジの母親。 オヤジ・おかん・ぼく・妹・おばあちゃんの5人家族。小さい頃から共働きだったぼくの両親に代わり、ぼくと妹はおばあちゃんに育てられたと言っても過言ではなかった。 小学1年生から引きこもりだったぼくは、極度の人見知り。どこに行くにも何をするにも、いつもおばあちゃんがいてくれた。 ぼくは小学校の高学年になるまで、おばあちゃんの二の腕を掴んでないと寝れないような子だった。 小学5年の時、オヤジの経営する会社が倒産し、一気に貧乏生活に突き落とされた。オヤジもおかんも借金返済に追われ、家のことはますますおばあちゃんが1人でやっていた。 そんな状態であるにも関わらず、オヤジは女性にだらしがなく、社長時代の金銭感覚を修正することはなかった。その事がきっかけで、おかんとの関係がどんどん悪化し、後に妹だけ連れて出ていくことになる。 おばあちゃんは息子が可愛いので、オヤジを責めるのではなく、なぜかおかんに対して厳しく当たっていた。そのことも、おかんが堪忍袋の尾を切る原因になった… おばあちゃんが認知症を発症 借金返済生活が15年ほどで完了し、おかんと妹も家を出て、ぼくも結婚して家を出て、それからおばあちゃんは息子であるオヤジと2人暮らしになった。 家賃がもったいないので、実家を引き払いオヤジと2人で小さなアパートに引っ越したのだ。それからほどなく、おばあちゃんは認知症を発症した。 タクシーの運転手だったオヤジは夕方に家を出ると翌朝まで帰らない。それまでおばあちゃんは家に1人。オヤジは帰ってきてもご飯を食べてビールを飲んだらすぐに寝る。 起きたとしても部屋は別々。おばあちゃんは誰ともしゃべらず、ひたすら毎日、テレビの前に座ってるという生活だったのがよくなかったのだろう。 ぼくもちょくちょくおばあちゃんの様子を見に行ってたし、子供たちを連れて遊びに行ったりもしていたが、大した刺激にはならなかったんだと思う。 すでに介護職だったぼくは、認知症が発症してからは頻度を上げておばあちゃんちに通っていたし、オヤジが2日ごとに夜間不在になるので、その日に泊まったりもしていた。 でもやはり、自分の家庭も仕事もあり、お世話するにも限界があった。 日中、家にヘルパーさんに来てもらうようになった。生活のお手伝いと話相手。デイサービスにも通うようになった。 人には「ええ顔」をするタイプのおばあちゃんは、「知らん人が家に来るの嫌や」「知らん人ばっかりおるとこに行くの嫌や」とぼくとオヤジには文句を言いながらも、ヘルパーさんともデイサービスのみなさんともすぐに馴染んでいた。 おばあちゃんの幻覚症状が出るのは、家に1人でいる時。 ぼくが家に行ってみると、ちょうど幻覚を見てる時ってことも多かった。「子供が家中、走りまわりよる」「さっきから女がこっち睨んできとる」「また服の中に虫が入ってきよった」とわめき散らす。 オヤジは自ら語らなかったが、おそらくおばあちゃんを殴ってた。オヤジに聞いても「そんなことするわけないやろ」と返ってきたし、おばあちゃんに聞いても息子をかばうのか「そんなことされてない」との返答しかなかった。 ぼくも、自分の生活を削っておばあちゃんのお世話に行っていたのだが、それがだんだん嫌になっていった。 認知症はどんどん進行していく。最初の頃からお世話になってる馴染みのヘルパーさんに悪態をつき、デイサービスの送迎員さんを殴ろうと暴れ、ヘルパーさんの利用もデイサービスの利用も、徐々に先方から難色を示されるようになっていった。 老人ホームへの入居を真剣に悩んだが、ぼくとオヤジが2人でいくらふり絞ってもお金の面で厳しく、なにより、同じ介護業界の人間の見解として「悪さ」をするおばあちゃんはどこからも断られると思ってた。 そんな矢先、心配していたことが起こる… 在宅介護を諦めた事件 ある日の夜中、「〇〇(オヤジの名前)が埋められてる!」と叫びながら、おばあちゃんは、アパートの壁を杖でドンドンと叩きまくり、警察沙汰になる。隣の方に通報されたのだ。 連絡を受けて急遽帰宅したオヤジは、アパート前に止まるパトカーと、野次馬の人達の群れ、警察官にさえ喰ってかかってる鬼の形相のおばあちゃんを見たとのこと。 おばあちゃんはオヤジの顔を見て落ち着いたそうだが、警察官から「しっかり見てあげて下さい」と注意を受けた。 翌朝オヤジからの連絡を受けたぼくは、急遽仕事を休んでおばあちゃんを連れ、主治医である認知症専門のDr.を受診。家庭事情を含め説明した上で相談すると、その場ですぐに調整して下さり、翌日には緊急で精神科の病院に入院させてもらえることになった。 心底ホッとした…。 オヤジもぼくも、お金の不安はかなりあったが、そんなことを言ってる場合ではなかった。 おばあちゃんの最期の日々 翌日も引き続き休みを取り、オヤジと一緒に家から約1時間ほど離れた山手のニュータウンの脇にひっそりと佇むA病院におばあちゃんを連れていった。 おばあちゃんは車から降りて病院に入ったところで表情が豹変し、急に凶暴になった。その状態で院長先生との面談に3人で臨んだ。 おばあちゃんが「あんたはキツネが化けとるんや!」と叫びながら院長先生を杖で突こうとしたところで看護師3名に押さえつけられ、車椅子で奥に連れて行かれた。 オヤジと2人で平謝りし、その後に入院の手続きなどを行い、最後に病室に通された時にはおばあちゃんは眠ってた。 1階のロビーから病室まで案内されたのだが、病棟の玄関では施錠されているドアを2か所通った。さらにおばあちゃんの病室にも鍵がかかっていた。 病室前の廊下ではベッドごと出されて眠っている方や、車椅子と腰ベルトでつながれている方などを目撃した。自分が勤める施設とあまりに違う光景に衝撃を受けた…。 「こういうところにおばあちゃんを置いていくのか…」 そう思いながらもぼくは、介護士でありながらおばあちゃんの介護を放棄した… よく「介護の仕事って大変ですよね」と言われるが、おうちで家族介護されているみなさんの苦労を思うと、軽々しく「そうなんですよ」なんて言えない。他人だからこそ冷静に、余裕を持って、その人のお世話をさせて頂けるんだと思う。 家族介護を何年もされたかたのお話を聞くたび、尊敬の念を深く抱く。ほんとによほどの覚悟がないと出来ないし、自分が壊れてしまってもおかしくないと思う。 だからこそ、家族介護を頑張っておられる方には、少しでもぼくたちのようなプロの介護士に頼ってほしいと伝えたい。そしてぼくは、頼られるプロになりたいと思う。 生きてるおばあちゃんを見た最後は、お見舞いに行った時だった。看護師さんに頭を撫でられ、気持ちよさそうに眠ってる姿。 陽に当たり、全ての苦痛から解放されたような穏やかな表情が、「家でお世話できなかった」というぼくの罪悪感を消してくれた。94歳の誕生日を迎えた春のことだった。 どれだけ穏やかに関わっても、認知症による暴言暴力が全く治まらないかたもいる。高齢者施設によっては「精神科の病院への入院」を良しとせず、ただ耐えることを方針とするところもある。 だが、介護する側にも限界がある。時にはそういった病院や薬に頼ることも必要であると、おばあちゃんのことがあったからこそ、考えるようになった。

  • 介護職のやりがいを教えてくれた人!18年間介護士を続けられる理由とは?

    Mさん(女性)は施設入居時から寝たきりではありましたが認知症は全く有りませんでした。施設入居初日に、ロビーで「イヤぁぁぁ!帰らせてぇぇぇ!」と大絶叫。 それからずっと全てを拒否。食事、水分摂取、入浴、更衣、オムツ交換、そして会話。車椅子からベッドに移る際に激しく抵抗され、壁のほうを向いたままで、職員みんなが困ってた…。   介護士としてのデビュー ぼくが介護士になったのは29歳の時。 それまでは主に家庭の事情で、少しでも高い収入を得る必要があった為に、あえて正職員に就かずに、朝から晩までアルバイトを掛け持ちして収入を得ていた。 家庭の事情が落ち着き、結婚もしたので、そろそろ正職員として勤務をしようということになり、当時『ホームヘルパー2級』という資格を1ヶ月半ほどで取得したのちに初めての就活をした。 そしてすぐ、自宅近くに新設される『住宅型有料老人ホーム』にオープニングスタッフとして採用されたのである。 開設1ヶ月前に召集された介護職員の内訳は次の通り。 系列の高齢者施設から異動して来られた男性の主任さんと、オープニングスタッフの中から抜擢された2人の副主任。 2名ほどの経験者と、10数名の未経験者。 そのほとんどが高校や専門学校、大学を卒業したばかり。 ぼくはその中では圧倒的な最年長だった。 そして抜擢された副主任の2人は、介護経験豊富な女性と、 「社会人経験が豊富」なだけの僕だった。 未経験なのにいきなりの副主任…プレッシャーが半端じゃなかった。   初めての入居者さんが介護拒否 1ヶ月の開設準備期間を経て、いよいよオープン初日。初めて入居してこられたかたが、冒頭のMさんだったのだ。 病院の送迎車からストレッチャーに寝た状態で降りてこられたMさんは、施設のロビーで「イヤぁぁぁ!帰らせてぇぇぇ!」と大絶叫された。 初めての入居者さんをお迎えしていた施設の全職員が唖然とする中、介護主任とぼくじゃないほうの副主任がMさんの元に駆け寄る。 なだめるように話しかけるが、聞く耳を持たれず、両手をバタつかせて抵抗されたので、送迎に同行されていたヘルパーさんも加わり、なんとか施設で用意していた車椅子(リクライニングタイプ)に移って頂いた。 その間も絶叫は続いていたが、お構いなしに送迎の方々は戻っていかれた。 車椅子を主任が押して、居室に案内する。ぼくたちは全員でついていく。それから居室のベッドに移って頂くのも3人がかり。 その時に初めて、ぼくは高齢者のかたの介助をさせて頂いた。そして思いっきり、腕に爪を立てられてキズを負わされた。 それからというもの、Mさんは、職員が少しでも身体に触れようものなら、ひっかくわ、噛みつくわ。飲まず食わずで3日間。時には大声、時には無視で、介護拒否を続けた。 さすがに3日目には、脱水を危惧した施設のDr.が点滴を試みたが、それも思いっきり暴れて拒否。「これだけ元気ならまだ大丈夫」と、Dr.の指示で様子を見ることになった。 Mさんは「要介護5」のかたで、認知症は全くないが、下半身に全く力が入らず寝たきりの状態。両腕は動かせるが、脇を半分開けることができる程度しか上げれず、また指が変形しているので上手くものを掴んだりできない。 オシッコは『バルーンカテーテル』という管につながれていて、流れ出てパックにたまったものを介護者が定期的に破棄する。ウンチはオムツ内にするよりないが、便秘傾向なので、下剤を服用して4〜5日ごとに出るかどうかという感じであった。 要するに、生活全般に介護が必要な方なので…。 このままずっと介護拒否が続くと、ほんとに大変なことになる。 介護士、看護師、ケアマネジャー、相談員など、多職種みんなでカンファレンスで話し合うもいい対策案は出ず。入院していた病院に問い合わせても、そんなことはなかったとのこと。 かたくなな心を溶かした作戦 徹底抗戦の構えから4日目の夜勤がぼくだった… 夕方に出勤し、Mさんの情報を日勤の職員に確認すると、その日も朝から何も口にせず、全て拒否が続いているとのこと。 夕食は18時から提供開始。衛生的な観点から食事は2時間以内に召し上がって頂くのが施設のルール。 Mさんの居室に運び、お声掛けするも無視。すべてのお椀にフタをした状態でお盆ごとテーブルに置いて一旦、退室する。 今日も食べてくれないのか… そう思いつつ19時、再度、Mさんの居室へ。 壁のほうを向いて寝ている背中に話しかける。 「Mさん、お腹へってないんですか?」「のど乾いてないです?」 …返事はない。 そこでぼくは(なぜそうしようと思ったのか全く覚えていないが)ペットボトルを取りに行き、 「のど乾いたから、ぼく飲みますね~」と言った後、 グビグビグビグビ~って思いっきり音を立てて飲んでみた。 そして、「あぁうまぁぁ!」と大げさに言ってみた。 すると、 “ぐぅ~~~っ”とMさんのお腹の虫が鳴いたのだ。 「ん?今のなんです?なんの音です?」と、詰め寄る。返事はない。 が、肩が揺れていることに気付いた。 わざと沈黙で間を取ったあと、Mさんの寝ておられるベッドのブレーキを外し、壁からベッドを離して身体を入れることの出来るスキマを作った。 そのスキマに入り、 「今のぐぅ~~~ってなんでした?」と言いつつ、壁のほうを向いてるMさんの顔を覗き込むと、目と口をギュッとして笑いを堪えてた。 「めっちゃ笑ろてますやん」とツッコむと、よけいに目と口をギュッとして堪える。全身が揺れている。 「Mさん、ぐぅ~~~~って聞こえませんでした?」って、肩に手を当てて言ったと同時に我慢しきれず大爆笑! 「あっははははははははは!!」 すかさず、「飲みます?」とお聞きすると、「うん」と笑顔で返して下さった。4日間で初めて見せて下さったその笑顔が可愛すぎた。 ペットボトルにストローを指し、お口元へ持っていくと、ポカリをゴックンゴックン一気飲みされた。それから「夕食も食べます?」とお聞きすると、「お腹がへってるから食べさせて」と言って下さった。 ベッドの頭側を上げて食べやすい姿勢になって頂き、ぼくの食事介助で召し上がって頂くと、パクパクと平らげて下さった。 途中で様子を見に来たもう1人の夜勤職員が、食事しているMさんを見て「え~~~?!」ってビックリしながら笑ってた。ぼくは副主任らしいことが初めて出来たことで、きっとドヤ顔をしていた。 拒否の理由と、介護という仕事のやりがい 食事しながらMさんは悲しそうにぼくに言った… 「この施設に入るって家族に言われてなかったんや。退院したら、自分のおうちに帰れるもんやと思ってた。おうちで家族が面倒見てくれるもんやと思ってた…そしたら、病院から車に乗せられても、家族のもんが一緒に乗ってけぇへんし、降ろされたと思ったら、見たこともないホテルみたいなところやろ?それでわかったんよ。」 それから、 「…でも、あんたらに関係ないもんな。家族とはまた話をしたいけど…とにかく、来てからずっと意地はってごめんな。ありがとう」 と、笑顔で言って下さった。 ご家族とのことを考えると複雑な気持ちではあったが、『ありがとう』の言葉で、ぼくは全身に喜びがこみ上げた。 身体が不自由でオシッコも管がつながれた状態。ご家族の協力がないとおうちでは生活できないと理解されていたMさんは、拒否がなければめっちゃ可愛いおばあさんだった… 介護職は、入居者さん・ご家族両方の思いを引き受ける仕事であり、めちゃくちゃやりがいのある仕事であるとMさんから教えて頂いた。 この時のことが脳裏に焼き付いているからこそ、ぼくは介護職という仕事を18年も続けてこれているのだと思う。 出会った初めての入居者さんがMさんで、ぼくは運が良かった…。

  • 訪問介護事業所の気になる人間関係とは?関わる人たちや重要度をご紹介!

    介護の仕事をしている人は優しい人が多いけれど、実際のところ人間関係ってどんな感じか気になりませんか? 今回は実際に訪問介護事業所で働いたことのある筆者が、その人間関係についてお伝えします。 訪問介護の人間関係 今回は訪問介護の人間関係について、筆者の経験を織り交ぜながらお伝えします。 中には人間関係の生々しい部分も出てくるかと思いますが、ぜひ最後まで読んで頂けると幸いです。 訪問介護で関わる人たち 訪問介護は仕事をするときに、基本的に1人で移動して介護サービスを提供しています。 そのため仕事をしている時は、自分1人だと思いがちです。 しかし、実際に仕事をしていると色々な人と関わっていることに気づきます。 今までの体験を元に、実際に関わったことのある人を振り返ってみようと思います。 ①ご利用者様 まずはご利用者様です。 ご利用者様あっての、訪問介護なのでここは1番にあげました。 ②ご利用者様の家族 次によく関わるのが、ご利用者様の家族です。 もっとも訪問介護は、家族が在宅で介護をしているけれど、仕事やプライベートの用事で面倒を見れないときに頼むことが多いです。 そのため、ご家庭によっては、ほとんど家族と合わないところもあります。 しかし、家族が利用を決定しているところが多いので2番目にあげました。 ③事業所の管理者 訪問介護事業所の管理者へは、仕事をしている過程でも困った事があったときに相談することが多いです。 筆者は実際の現場で、会社貸与のスマホがあったため、常にスマホを使用し相談や解決策を聞いたりしていました。 その他にも、ご利用者様が行方不明になっていたり、自身がトラブルに遭って動けないときなど、困り事はすぐに相談する大切な存在でした。 ④事業所の同僚 事業所には複数の人員が配置されています。 筆者が最初に配置された事業所は、女性管理者1人、その年に入職した新卒の男性職員、ベテランの40代女性職員、50代の男性ケアマネジャー1人の合計4人でした。 その事業所は、会社の中でも立ち上げたばかりの事業所で、筆者はそこで即戦力として働いていました。 この事業所は、1年後に15人ほどの職員が務める事業所になりますが、当初は人員が本当に少ない事業所でした。 ⑤事業所の事務員 事業所運営において、職員のシフト管理や事業所の経費管理、現場の職員ができない影の部分で働いてくれる職員が事務員さんです。 この事務員さんがどのように動いてくれるかで、事業所の印象は大きく変わります。 基本的に大切な電話は、最初に事業所にかかってきます。 そのため、その事業所の窓口として、最初に対応してくれる大切なポジションです。 ⑥事業所のケアマネジャー 事業所運営の上で、ケアマネジャーは絶対に必要な人員ではありません。 しかし筆者が勤めていたところには1人いました。 ケアマネジャーは介護の知識はもちろんのこと、介護における法律の部分などにも精通しているため、話をしていて勉強になります。 話した内容が、実際の現場で役立つこともあるため、重要な立場の1人です。 ⑦訪問看護の看護師 訪問介護の現場で、ご利用者様の次によく会うのが訪問看護師です。 在宅介護では、医療的ケアを必要としている人も一定数います。 そのため、定期的に訪問看護のサービスを利用しているご利用者様のお宅では、定期的にバッティングする時があります。 その他にも、訪問看護師から訪問介護員に指導が必要となったときに立ち会う事があります。 自身の事業所にいる訪問看護師の時もありますが、他事業所の訪問看護師の時もあるので、筆者自身丁寧に対応することを心がけていました。 ⑧他事業所のケアマネジャー ご利用者様が介護を受けるときに、ケアプラン作成のために必要な職種がケアマネジャーです。 普段の仕事中はほとんど関わりませんが、介護ではサービスの見直しをするためにケアカンファレンスというものが開かれます。 そのときに各事業所がご利用者様の自宅に集まり、ケアプランの見直しを家族を交えて行います。 その際、あまりその回数は多くはありませんが他事業所のケアマネジャーと関わることもあります。 中でも重要なのは? 上で挙げた中でも、重要なのはご利用者様と事業所の職員、そして訪問看護師さんです。 1日稼働していく中でも、よく関わるのがこの3つの方達です。 では実際の現場ではどうだったかをお伝えしていきます。 ご利用者様との関係 いうまでもなくご利用者様との関係は、関わる人たちの中で1番大切です。 ご利用者様との関わり方次第では、出禁になることもあります。 これは実際にあった体験ですが、筆者とは別の訪問介護員の話です。 とある男性職員が、あるお宅に介護に行った時の話です。 介護を受けているのは、そのお宅にいる娘さんのお母さんでした。 後で聞いた話によると、その娘さんはお母さんをすごく大切に介護してきていたようで、当時最初に訪問した男性職員の介護が雑で耐えられなかったそうです。 そもそも、ご利用者様とその家族とも関係性を築けていない中での訪問だった為、仕方のないところはあるものの、そのような出来事が実際に起こってしまいました。 筆者自身も、あまり聞いたことはありませんでしたが、以来そのようなこともあるのだと知り、仕事を改めて丁寧に行うきっかけになったことを覚えています。 事業所の職員との関係 次に重要なのが、事業所の職員です。 訪問介護は勤務時間によって、まる1日事業所の職員と関わらずに終わる日もあります。 つまり、訪問件数と勤務時間によっては事業所の職員と関わることなく業務を終える職員もいます。 基本的に、仲のいい同期や先輩などを中心にいい関係の人が多かったのですが、中には意地悪な職員もいたりします。 筆者が経験した事業所の職員で、事業所の窓口である事務員さんとの関係に悩んだ事がありました。 もちろん印象の悪い人ばかりではないですが、筆者が関わった事務員さんは訪問介護員に非協力的な方でした。 そのため、緊急時は苦労もしましたが上司などに相談をして困難を乗り越えた経験があります。 その時の経験から、訪問介護の空いている時間に事業所の職員と食事をしたり、仕事の後すこし話をする事が、普段の仕事に関わることもある事を学びました。 訪問看護師との関係 訪問看護師は、介護士より知識があると言う自負からか、介護士を下に見る方もいます。 ありがたいことに筆者は、訪問看護師に恵まれたため苦労した経験はなく、悪い印象もありません。 しかし、他の職員の話だと馬鹿にされたり、本来看護師がするべき仕事を押し付けられたなどの話を聞いたことがあります。 本来介護は、看護師が行う仕事の一部を切り取り、看護師の負担を減らすのが目的で出来た仕事です。 両者ともに助け合って仕事をしたいものです。 人間関係が悪いのは本当? 介護の人間関係が大変だといわれるのは、関わる人が他の職場に比べて多いことです。 介護の仕事は上記に示した通り、数多くの人たちと関わりを持ちます。 年代も幅広く、さまざまな業種の人たちと関わることがあります。 お互いにきちんと理解しあわないと、人間関係がこじれてしまいます。 また、苦手な人と関わることもあるでしょう。 介護という仕事柄、さまざまな人たちと密なコミュニケーションを取らなくてはいけません。 介護士は人手不足であることが多く、数多くの業務を抱えています。 そのため精神的に余裕が無く、感情的になりやすいです。 したがって、人間関係で苦労する介護職の人たちが多いのは本当です。 人間関係をスムーズにするために 人間関係が悪化してしまうと、仕事へのストレスをさらに増やしてしまいます。 働きやすい職場にするためにも、人間関係をスムーズにし、職場の府に気を良くすることはとても重要です。 働きやすい職場することは、利用者へのサービスの向上や仕事の効率化にもつながります。 では、どのようにすれば人間関係を良くすることができるのでしょうか。 相手のことを考える そもそも他人は自分と異なる意見を持っていることが多いです。 まずは反発せずに素直に相手の意見を聞いてみましょう。 反論がある場合は、その後に自分の考えを伝えればよいのです。 忙しくても感謝と笑顔を忘れない 笑顔や感謝のない職場は全体的にピリピリした雰囲気になりやすいです。 それが人間関係を悪化させることにもなってしまいます。 どんなに忙しくても、相手への感謝や笑顔を忘れないようにしましょう。 人間関係が辛いときは? どうしても人間関係が辛いときは、誰でもよいので相談してみましょう。 ストレスがたまると仕事の効率が悪化するだけでなく、健康被害を起こすこともあります。 自分なりのストレス解消法を見つけることも重要です。 もしもどうにもならずに仕事が辛くなってしまったら、転職を考えるのも1つの手段です。 人間関係の良い職場を見つけるために 人間関係の良い職場を見つけるためには、いくつかコツがあります。 頻繁に求人をしているところは要注意 頻繁にしているところは頻繁に人が入れ替わっている可能性が高いので、職場の人間関係が悪いことが多いです。 求人の内容をよく確認し、職場見学するなどして十分にリサーチするようにしましょう。 全体的に元気がないところは要注意 気になる求人がある場合は、必ず職場見学に行きましょう。 利用者やスタッフに笑顔や会話がない場合、何かしらの問題があることが多いです。 雰囲気が嫌だと思ったら、そこで働くことはやめた方が良いかもしれません。 まとめ 訪問介護は1人で行える仕事として、施設型にはない魅力のある仕事です。 しかし実際は多くの人が関わって成り立っている仕事であり、助け合っていることを忘れてはいけません。 介護士に限らず、他の職種の人も介護職員が介護をして収入を得ている側面もあります。お互いが支え合い、いい事業所づくりをしてほしいです。  

  • 認知症のNさんの話。

      認知症のNさんは、ぼくが勤務する特別養護老人ホームに入居してこられた初日から 夕方になるとご自身で風呂敷にまとめられた荷物を手に フロア内をウロウロし始めるという徘徊行動を繰り返されていた。 繰り返される夕方の帰宅願望 介護職員が「どうされましたか?」とお聞きすると 決まって「おうち帰らなあかんねん」と言われ 出口を探して廊下を行ったり来たりされるのだ。 他部署の職員がエレベーターでフロアに上ってくると、入れ違いで そのエレベーターに乗り込まれ、1階の事務所まで行かれたこともあった。 杖でスタスタと歩かれるそのご様子は、普通のお元気なおばあさんなので そのまま玄関から外に行かれたら、老人ホームから間違って出てこられたとは 誰も思わないほど。 それがかえって危険だった。 1度ウロウロし始めると、”早くおうちに帰らないといけない”という焦りから こちらからの声掛けに全く耳を傾けて下さらず 「今日はおうちに帰る日じゃないですよ」 「外はもう暗いので明日にしましょう」とお伝えしても 「こんなところにいてる場合じゃないねん!」 「早く帰らせて!」と 不穏が募るばかり。 事務所まで行かれた際には、玄関の自動ドアが開くたびに 出て行こうとされるのを止めなければならず お話を伺いながら落ち着いて頂き 居室のあるフロアまでNさんに戻って頂くのに かなりの時間を要したほどだった。 緊急カンファレンス 緊急で、介護のフロア主任・Nさんの担当職員・看護師・ケアマネジャー 相談員・リハビリ職員などが集まり、Nさんのカンファレンスを実施。 ぼくも参加することに。 「夕方になるまでに没頭できるものをして頂く」 「精神的に落ち着かれる薬を飲んで頂く」 「何か気がまぎれるレクリエーションをして頂く」などの意見が出たが どれも長期的な対応方法であり、その日からすぐに効果のある方法は なかなか思いつかなかった。 結果、統一した対応として、お疲れになられて落ち着いてこられるまでは 下手にお声掛けして「火に油を注ぐようなこと」はしないでおこう、となった。 落ち着かれると職員の声掛けにも応じて下さるようになるので それを待つという方法である。 ただ、杖歩行で足腰もしっかりされているとは言え やはり転倒のリスクもあり、また、エレベーターへ乗り込まれる可能性も あるので、付かず離れずの対応が必要だった。 帰宅願望によるウロウロは夕方から始まるので ちょうど夕食の忙しい時間とカブる。 それが毎日。 人手も足らず、Nさんだけに付きっきりになれる職員はいない。 かといって、ウロウロされるがままだと、Nさんはますます不穏になられるし リスクもある… どうすればいいか糸口がつかめず、職員みんなが困ってた… 最も光り輝いていた時代 認知症のかたの中には、自分が自分でなくなっていくような感覚から 不安や不満、混乱、恐怖といったネガティブな感情を感じなくて済むように ご自身で現実とは違う世界を創り出し、そこに避難するというかたがおられる。 Nさんの場合は、ご自身の人生において最も光り輝いていた 『専業主婦として夫と小さい子供たちを支えていた時代』という世界に 意識を戻すことで、認知症のツラさから逃避しているのではないか。 だから 「主人や子供たちが帰ってくるまでに晩ご飯の支度をしないといけない」 という思いで、夕方からの帰宅願望が出現しているのではないかと推測。 その推測を元に、ぼくはある作戦に打って出る。 寄り添いながらの散歩 それは、普段から現場職員の1人としてカウントされておらず、いつでもフリーで 動ける介護部長という役職のぼくだからこそ出来ること… いつものように夕方の帰宅願望が出現し 「おうち帰らなあかん」とウロウロし始めたNさんのお顔を見ながら 「おうちまで送っていきますね」と一緒に施設を出た。 風呂敷にまとめた荷物を背負い、杖をついておうちに向かうNさん。 あたりをキョロキョロと見渡しながら、時に立ち止まり、時に急な方向転換。 車道にも出ていくのでヒヤヒヤする。 隣りにつきながら安全を確保し、なるべく穏やかに話しかけるが 「ついてこんでええ!」と大きな声で怒鳴られる。 歩行者や自転車のかたがこちらを怪訝そうに見ている。 こけそうな時など、すぐに手が届く距離で付いて歩き どっちに行けばいいか迷っておられるしぐさの時に話しかける。 少しずつ少しずつ、ぼくの言葉にも耳を傾けて下さるようになり 車通りの少ない住宅街のほうに誘導していく。 だんだんぼくの顔に安心される感覚が大きくなってくる… そんな散歩を約2時間。 あたりもだいぶ暗くなってきた頃、最後はヘトヘトで 公園のベンチに座り込まれた。 施設に電話して相談員に車で迎えに来てもらう。 Nさんにペットボトルのお茶を飲んで頂いて、それから車で一緒に施設に戻った。 他のみなさんは夕食を召し上がっておられた。 翌日も、夕方に「おうち帰る!」が始まる。 「送っていきます」「来んでええ!」という会話を交わしつつ 2人で一緒に施設を出る。 前日と同じようなコースの散歩。 公園のベンチに座ったのは約1時間30分後。 施設に電話して車でのお迎え。 さらに次の日。 1時間ちょっとの散歩で施設へ歩いて帰る。 日はまだ落ちておらず、夕焼けに染まったアスファルトに Nさんとぼくの影が並んで伸びていた。 散歩3日目にしてはじめて夕食前に帰ってこれたので なんとなくの思い付きではあったが 職員がしている夕食の準備を手伝って頂くことにした。 笑顔で「ええよ」とのお返事。 「おうちに帰る!」と言ったことはすっかり忘れておられた。 4日目の散歩は30分程度。 Nさんはまだまだ歩けそうだったが、途中で切り上げられるかも?と思い 「夕食の準備があるから帰りましょうか?」と声を掛けてみた。 すると、「そうやな。帰ろか」とのお返事。 5日目でついに、「おうちに帰る!」がなくなった。 ぼくが、「散歩行きませんか?」とお声掛けすると 「今から行ったら、この人らの晩ご飯に間に合わんがな」と笑顔で言われた。 それ以降、みなさんの夕食の準備をすることが、Nさんの日課になった。 夕方からの帰宅願望は、時折、思い出したかのように顔を出すこともあったが 「今からNさんが帰ったら、みなさんの晩ご飯に間に合わないですよ」と お伝えすると、「そやな。じゃあ明日にするわ」と笑顔ですぐに現実の世界に 戻ってきて下さるようになった。 この対応を職員全員で共有して統一した。 帰宅願望から自分の居場所へ Nさんがおうちに帰りたかったのは 「家族が帰ってくるまでに夕食の準備をしないといけない」という 妻として、母親としての思いがあったから。 そしてそれは、認知症により、自分で自分に違和感を覚え じょじょに自分ではなくなっていくことの不安や恐怖から自分を守る為に構築した 『専業主婦として夫と小さい子供たちを支えていた時代』という 世界で生きることを選択したことから生じた思いだった。 Nさんの世界に入って寄り添い、否定せず じょじょに「この人は安心できる人」と認識して頂くことで 落ち着いて頂くまでの時間を短くする。 穏やかな気持ちになられたところで、ぼくのほうからお願いし 他のみなさんの夕食の準備をお手伝い頂く。 そうすることで夕食の準備をする対象を 「家族」から「この人ら」に変換できたことで Nさんが構築した世界と現実の世界を結び付けて1つにすることが出来た。 そしてNさんから、夕方の焦りが消えていった。 Nさんはその後、「人の役に立っている」ことで、ご自分の居場所を見出され 職員のするいろいろな業務を笑顔で手伝って下さり その後、体調を崩されるまでの数年間をほんとにイキイキと過ごされた… 今から13年前のお話です。

  • 訪問介護は辛い?実際に経験した経験者の語った思いとは?

    訪問介護の仕事は楽しいこともあるけども、辛い事もあります。 今回の記事では、実際に訪問介護を経験した筆者が、その体験を基に辛かったことをお伝えします。 訪問介護の辛いところ 介護の仕事は人に感謝されるいい仕事です。 介護以外の仕事も経験してよりわかった介護の仕事の魅力は、他者からの感謝を本当の意味で受け取れるところに魅力があります。 そんな中「きつい、しんどい、きたない」と言われるこの仕事を、喜んでしたいと言う人が少ないのも現実です。 個人的には魅力的だと思える介護の仕事ですが、今回は筆者が体験した訪問介護での辛かった体験をお伝えし、その対応策も付け加えようと思います。 それでは始めていきます。 自転車移動が辛かった これはシンプルに訪問するための自転車移動が辛かったです。 都市部での訪問介護の仕事は、自転車移動が基本になります。 地方の移動距離が長い事業所なんかだと、車で移動するところもあるようですが、都心部での基本は自転車です。 自転車移動での足腰への負担は、1件1件の移動を毎日積み重なると大きく、なかなか辛い経験でした。 電動自転車になってからはかなり楽になりましたが、それ以前はまるで足腰を鍛える修行をしているような物でした。 また事業所によっては、1日の訪問件数が多いところもあります。 筆者は、割と短めのケアを複数訪問していたため、1日の訪問件数は平均して15件前後でした。 この数字は、訪問介護業界の方でないとピンとこないかもしれません。 参考までに、筆者が聞いた他事業所の訪問件数は、1日平均5件ぐらいが基本でした。 若い訪問介護員でも多くて10件程度だそうです。 私は毎日3倍走っていたことになります。 訪問介護はご自宅同士の距離が遠いこともあるため、件数が短くても距離が遠かったりしてその移動で疲れるという事もあります。体力に自信のある方や身体を鍛えたい方などにはよいかもしれませんが、そうでない場合は電動自転車をおすすめします。 ご利用者様との人間関係 これも筆者の訪問先にいたあるご利用者様ですが、そのお宅はお風呂とトイレが共同の家でした。 部屋は6畳1間で、家賃も1ヶ月1万円程度のお宅でした。 そこのご利用者様は、服薬確認と安否確認だけのサービスでしたが訪問するや否や罵詈雑言の嵐でした。 さらに提供したいサービスを受けてくれないものですから終わりたくても終われない事もしばしばでした。 最終的に何もせずに帰らざる終えない時もありましたが、このようなご利用者様もいました。 ただ全ての人がこのような人ばかりと言うわけではありません。 あくまで一部のご利用者様だけなので、今紹介したような方はごく稀です。 他にも訪問先でご利用者様の家族に手を握られたり、セクハラのようなことをされた時もあります。 そういう事があった時は、訪問介護が辛いなと思ったりもしました。 ゴミ屋敷への訪問 表現が難しいのですが、いわゆる衛生環境が極端に良くないお宅は一定数あり、その割合は少なくありません。 筆者が経験した訪問先で、訪問するたびにスリッパを使用して入室する訪問先がありました。 そのお宅はマンションのとある一室でしたが、廊下にいるだけで異臭が立ち込めてきて、部屋の中はゴミでいっぱいでした。 訪問介護サービスを利用すると言うこともあって、入り口や洗面台、トイレや浴室などの介護で使用する場所は多少掃除されていました。 しかし衛生的とは言えませんでした。 私たちもプロですので、その環境下で介護をしました。 他にも、訪問先のお宅の中を土足で入ることになっているお宅もありました。 このお宅は、訪問入浴のサービスがありお風呂だけはすごく綺麗だったのを覚えています。 しかしそれ以外は足の踏み場もないぐらいゴミ袋の山でした。 必ずしもそのようなお宅ばかりではないですが、そのような環境を見たことが無い筆者にとっては、なかなか衝撃的で辛い経験だったのを覚えています。 1人で仕事していること 元も子もない話ですが、1人で仕事をしていることが辛い時もありました。 訪問介護は、基本的に1人で介護をして1人で完結して訪問先を退出します。 ほとんどの場合、家族はおらずご利用者様1人の時が多いです。 例えばご利用者様にトラブルがあったり、その他のアクシデントなどは1人で対応しなければいけません。 また介護保険以外のサービスの要求をしてくるご利用者様や、そのご家族がいたこともあります。 そのようなときに全て1人で対応するという面が、施設型の介護と違う大変さでした。 他にも、筆者が1人の訪問で辛いと感じたのは、1日の中であまり会話がない時でした。 自立度が高いご利用者様だと会話を多く交わして退出できるのですが、自立度の低いご利用者様だと、失語症などの理由で会話をできずにサービスを終えてしまうことが多かったです。 職員にもよりますが訪問介護の場合、他の職員との会話もあまりないため、ご利用者様とその家族と会話をしない限り、会話をする機会がありませんでした。 そのため、仕事はしているけれど淡々と目の前の仕事をこなし続けていることを、辛いと思う時期が何度かありました。 もちろん職員全員に当てはまることではありませんが、少なくとも筆者はそのように感じる場面がいくつかありました。 訪問介護が辛いと思った時の対処法 訪問介護が辛いと思ったときは現状を変えるためにも以下のような方法をとると良いでしょう。 管理者に相談 例えば、訪問先のご利用者様からセクハラや、モラハラを受けている時はまず上司に話しましょう。 筆者は実際にそのようなお宅があったときに、当時の管理者に相談しています。 訪問介護員も人間ですので、辛いときは無理をしてはいけません。 筆者の場合正直にそのときの現状を伝えた結果、訪問先を変更してくれました。 他にも、自転車移動の距離が長く移動が辛いことも話しました。 改めて訪問先の見直しをしてくれて、結果的に移動がかなり楽になり体への負担が減りました。 介護は体を使う仕事ですので、他の負担は極力減らした方がいいですね。 困った時は、管理者に相談してください。 最初の課題解決の動きだしは、まずそこからかもしれません。 環境を変える 環境を変えるのも1つの手です。 筆者は異動や、転職は行いませんでしたが、他の職員で異動をして仕事環境が変わり、前よりイキイキと仕事をしている職員がいました。 会社の規模にもよりますが、社内で異動が叶うのであれば事業所を変えてみるといいです。 その行動だけで、世界が大きく変わってきます。 もし事業所を移動できなかったり、異動しても環境が変わらず辛い時は、転職も選択肢に入れてください。 訪問介護の事業所は、探せば多くあります。 できればご自身が働いたことが無い地域がいいかもしれません。 事業所の環境や、雇用条件など見るところは多くありますが、転職をして今以上に良い環境で働いている職員もいたため、1つの選択肢としておすすめです。 まとめ 今回、実際に働いた体験談をもとに、訪問介護で辛かったことをお伝えしました。 しかし、訪問介護は何も辛いことばかりではありません。 仕事をしていて楽しいことももちろんあります。 辛いと言う点も個人差があり、上に挙げたもの以外にも辛いと思うポイントはあるのではないでしょうか。 大切なのは、その環境下で自分自身がどうしたいかです。 それを考えられる記事になっていれば嬉しいです。

  • おばあちゃんが壊れた日。おばあちゃんの最期から学んだこと。

    大好きだったぼくのおばあちゃんの晩年は、認知症の幻覚がひどかった。「家に知らん女があがりこんでる」「ベッドの下にヘビが入りよった」「身体中から虫がわいてくる」と騒ぎ立てる毎日。 日に日に、自宅で介護することが困難になっていく…   おばあちゃんっ子だったぼくの家庭環境 ぼくは生粋のおばあちゃんっ子だった。 生まれた時から一緒に暮らしてたおばあちゃんは、オヤジの母親。 オヤジ・おかん・ぼく・妹・おばあちゃんの5人家族。小さい頃から共働きだったぼくの両親に代わり、ぼくと妹はおばあちゃんに育てられたと言っても過言ではなかった。 小学1年生から引きこもりだったぼくは、極度の人見知り。どこに行くにも何をするにも、いつもおばあちゃんがいてくれた。 ぼくは小学校の高学年になるまで、おばあちゃんの二の腕を掴んでないと寝れないような子だった。 小学5年の時、オヤジの経営する会社が倒産し、一気に貧乏生活に突き落とされた。オヤジもおかんも借金返済に追われ、家のことはますますおばあちゃんが1人でやっていた。 そんな状態であるにも関わらず、オヤジは女性にだらしがなく、社長時代の金銭感覚を修正することはなかった。その事がきっかけで、おかんとの関係がどんどん悪化し、後に妹だけ連れて出ていくことになる。 おばあちゃんは息子が可愛いので、オヤジを責めるのではなく、なぜかおかんに対して厳しく当たっていた。そのことも、おかんが堪忍袋の尾を切る原因になった… おばあちゃんが認知症を発症 借金返済生活が15年ほどで完了し、おかんと妹も家を出て、ぼくも結婚して家を出て、それからおばあちゃんは息子であるオヤジと2人暮らしになった。 家賃がもったいないので、実家を引き払いオヤジと2人で小さなアパートに引っ越したのだ。それからほどなく、おばあちゃんは認知症を発症した。 タクシーの運転手だったオヤジは夕方に家を出ると翌朝まで帰らない。それまでおばあちゃんは家に1人。オヤジは帰ってきてもご飯を食べてビールを飲んだらすぐに寝る。 起きたとしても部屋は別々。おばあちゃんは誰ともしゃべらず、ひたすら毎日、テレビの前に座ってるという生活だったのがよくなかったのだろう。 ぼくもちょくちょくおばあちゃんの様子を見に行ってたし、子供たちを連れて遊びに行ったりもしていたが、大した刺激にはならなかったんだと思う。 すでに介護職だったぼくは、認知症が発症してからは頻度を上げておばあちゃんちに通っていたし、オヤジが2日ごとに夜間不在になるので、その日に泊まったりもしていた。 でもやはり、自分の家庭も仕事もあり、お世話するにも限界があった。 日中、家にヘルパーさんに来てもらうようになった。生活のお手伝いと話相手。デイサービスにも通うようになった。 人には「ええ顔」をするタイプのおばあちゃんは、「知らん人が家に来るの嫌や」「知らん人ばっかりおるとこに行くの嫌や」とぼくとオヤジには文句を言いながらも、ヘルパーさんともデイサービスのみなさんともすぐに馴染んでいた。 おばあちゃんの幻覚症状が出るのは、家に1人でいる時。 ぼくが家に行ってみると、ちょうど幻覚を見てる時ってことも多かった。「子供が家中、走りまわりよる」「さっきから女がこっち睨んできとる」「また服の中に虫が入ってきよった」とわめき散らす。 オヤジは自ら語らなかったが、おそらくおばあちゃんを殴ってた。オヤジに聞いても「そんなことするわけないやろ」と返ってきたし、おばあちゃんに聞いても息子をかばうのか「そんなことされてない」との返答しかなかった。 ぼくも、自分の生活を削っておばあちゃんのお世話に行っていたのだが、それがだんだん嫌になっていった。 認知症はどんどん進行していく。最初の頃からお世話になってる馴染みのヘルパーさんに悪態をつき、デイサービスの送迎員さんを殴ろうと暴れ、ヘルパーさんの利用もデイサービスの利用も、徐々に先方から難色を示されるようになっていった。 老人ホームへの入居を真剣に悩んだが、ぼくとオヤジが2人でいくらふり絞ってもお金の面で厳しく、なにより、同じ介護業界の人間の見解として「悪さ」をするおばあちゃんはどこからも断られると思ってた。 そんな矢先、心配していたことが起こる… 在宅介護を諦めた事件 ある日の夜中、「〇〇(オヤジの名前)が埋められてる!」と叫びながら、おばあちゃんは、アパートの壁を杖でドンドンと叩きまくり、警察沙汰になる。隣の方に通報されたのだ。 連絡を受けて急遽帰宅したオヤジは、アパート前に止まるパトカーと、野次馬の人達の群れ、警察官にさえ喰ってかかってる鬼の形相のおばあちゃんを見たとのこと。 おばあちゃんはオヤジの顔を見て落ち着いたそうだが、警察官から「しっかり見てあげて下さい」と注意を受けた。 翌朝オヤジからの連絡を受けたぼくは、急遽仕事を休んでおばあちゃんを連れ、主治医である認知症専門のDr.を受診。家庭事情を含め説明した上で相談すると、その場ですぐに調整して下さり、翌日には緊急で精神科の病院に入院させてもらえることになった。 心底ホッとした…。 オヤジもぼくも、お金の不安はかなりあったが、そんなことを言ってる場合ではなかった。 おばあちゃんの最期の日々 翌日も引き続き休みを取り、オヤジと一緒に家から約1時間ほど離れた山手のニュータウンの脇にひっそりと佇むA病院におばあちゃんを連れていった。 おばあちゃんは車から降りて病院に入ったところで表情が豹変し、急に凶暴になった。その状態で院長先生との面談に3人で臨んだ。 おばあちゃんが「あんたはキツネが化けとるんや!」と叫びながら院長先生を杖で突こうとしたところで看護師3名に押さえつけられ、車椅子で奥に連れて行かれた。 オヤジと2人で平謝りし、その後に入院の手続きなどを行い、最後に病室に通された時にはおばあちゃんは眠ってた。 1階のロビーから病室まで案内されたのだが、病棟の玄関では施錠されているドアを2か所通った。さらにおばあちゃんの病室にも鍵がかかっていた。 病室前の廊下ではベッドごと出されて眠っている方や、車椅子と腰ベルトでつながれている方などを目撃した。自分が勤める施設とあまりに違う光景に衝撃を受けた…。 「こういうところにおばあちゃんを置いていくのか…」 そう思いながらもぼくは、介護士でありながらおばあちゃんの介護を放棄した… よく「介護の仕事って大変ですよね」と言われるが、おうちで家族介護されているみなさんの苦労を思うと、軽々しく「そうなんですよ」なんて言えない。他人だからこそ冷静に、余裕を持って、その人のお世話をさせて頂けるんだと思う。 家族介護を何年もされたかたのお話を聞くたび、尊敬の念を深く抱く。ほんとによほどの覚悟がないと出来ないし、自分が壊れてしまってもおかしくないと思う。 だからこそ、家族介護を頑張っておられる方には、少しでもぼくたちのようなプロの介護士に頼ってほしいと伝えたい。そしてぼくは、頼られるプロになりたいと思う。 生きてるおばあちゃんを見た最後は、お見舞いに行った時だった。看護師さんに頭を撫でられ、気持ちよさそうに眠ってる姿。 陽に当たり、全ての苦痛から解放されたような穏やかな表情が、「家でお世話できなかった」というぼくの罪悪感を消してくれた。94歳の誕生日を迎えた春のことだった。 どれだけ穏やかに関わっても、認知症による暴言暴力が全く治まらないかたもいる。高齢者施設によっては「精神科の病院への入院」を良しとせず、ただ耐えることを方針とするところもある。 だが、介護する側にも限界がある。時にはそういった病院や薬に頼ることも必要であると、おばあちゃんのことがあったからこそ、考えるようになった。

  • 介護職のやりがいを教えてくれた人!18年間介護士を続けられる理由とは?

    Mさん(女性)は施設入居時から寝たきりではありましたが認知症は全く有りませんでした。施設入居初日に、ロビーで「イヤぁぁぁ!帰らせてぇぇぇ!」と大絶叫。 それからずっと全てを拒否。食事、水分摂取、入浴、更衣、オムツ交換、そして会話。車椅子からベッドに移る際に激しく抵抗され、壁のほうを向いたままで、職員みんなが困ってた…。   介護士としてのデビュー ぼくが介護士になったのは29歳の時。 それまでは主に家庭の事情で、少しでも高い収入を得る必要があった為に、あえて正職員に就かずに、朝から晩までアルバイトを掛け持ちして収入を得ていた。 家庭の事情が落ち着き、結婚もしたので、そろそろ正職員として勤務をしようということになり、当時『ホームヘルパー2級』という資格を1ヶ月半ほどで取得したのちに初めての就活をした。 そしてすぐ、自宅近くに新設される『住宅型有料老人ホーム』にオープニングスタッフとして採用されたのである。 開設1ヶ月前に召集された介護職員の内訳は次の通り。 系列の高齢者施設から異動して来られた男性の主任さんと、オープニングスタッフの中から抜擢された2人の副主任。 2名ほどの経験者と、10数名の未経験者。 そのほとんどが高校や専門学校、大学を卒業したばかり。 ぼくはその中では圧倒的な最年長だった。 そして抜擢された副主任の2人は、介護経験豊富な女性と、 「社会人経験が豊富」なだけの僕だった。 未経験なのにいきなりの副主任…プレッシャーが半端じゃなかった。   初めての入居者さんが介護拒否 1ヶ月の開設準備期間を経て、いよいよオープン初日。初めて入居してこられたかたが、冒頭のMさんだったのだ。 病院の送迎車からストレッチャーに寝た状態で降りてこられたMさんは、施設のロビーで「イヤぁぁぁ!帰らせてぇぇぇ!」と大絶叫された。 初めての入居者さんをお迎えしていた施設の全職員が唖然とする中、介護主任とぼくじゃないほうの副主任がMさんの元に駆け寄る。 なだめるように話しかけるが、聞く耳を持たれず、両手をバタつかせて抵抗されたので、送迎に同行されていたヘルパーさんも加わり、なんとか施設で用意していた車椅子(リクライニングタイプ)に移って頂いた。 その間も絶叫は続いていたが、お構いなしに送迎の方々は戻っていかれた。 車椅子を主任が押して、居室に案内する。ぼくたちは全員でついていく。それから居室のベッドに移って頂くのも3人がかり。 その時に初めて、ぼくは高齢者のかたの介助をさせて頂いた。そして思いっきり、腕に爪を立てられてキズを負わされた。 それからというもの、Mさんは、職員が少しでも身体に触れようものなら、ひっかくわ、噛みつくわ。飲まず食わずで3日間。時には大声、時には無視で、介護拒否を続けた。 さすがに3日目には、脱水を危惧した施設のDr.が点滴を試みたが、それも思いっきり暴れて拒否。「これだけ元気ならまだ大丈夫」と、Dr.の指示で様子を見ることになった。 Mさんは「要介護5」のかたで、認知症は全くないが、下半身に全く力が入らず寝たきりの状態。両腕は動かせるが、脇を半分開けることができる程度しか上げれず、また指が変形しているので上手くものを掴んだりできない。 オシッコは『バルーンカテーテル』という管につながれていて、流れ出てパックにたまったものを介護者が定期的に破棄する。ウンチはオムツ内にするよりないが、便秘傾向なので、下剤を服用して4〜5日ごとに出るかどうかという感じであった。 要するに、生活全般に介護が必要な方なので…。 このままずっと介護拒否が続くと、ほんとに大変なことになる。 介護士、看護師、ケアマネジャー、相談員など、多職種みんなでカンファレンスで話し合うもいい対策案は出ず。入院していた病院に問い合わせても、そんなことはなかったとのこと。 かたくなな心を溶かした作戦 徹底抗戦の構えから4日目の夜勤がぼくだった… 夕方に出勤し、Mさんの情報を日勤の職員に確認すると、その日も朝から何も口にせず、全て拒否が続いているとのこと。 夕食は18時から提供開始。衛生的な観点から食事は2時間以内に召し上がって頂くのが施設のルール。 Mさんの居室に運び、お声掛けするも無視。すべてのお椀にフタをした状態でお盆ごとテーブルに置いて一旦、退室する。 今日も食べてくれないのか… そう思いつつ19時、再度、Mさんの居室へ。 壁のほうを向いて寝ている背中に話しかける。 「Mさん、お腹へってないんですか?」「のど乾いてないです?」 …返事はない。 そこでぼくは(なぜそうしようと思ったのか全く覚えていないが)ペットボトルを取りに行き、 「のど乾いたから、ぼく飲みますね~」と言った後、 グビグビグビグビ~って思いっきり音を立てて飲んでみた。 そして、「あぁうまぁぁ!」と大げさに言ってみた。 すると、 “ぐぅ~~~っ”とMさんのお腹の虫が鳴いたのだ。 「ん?今のなんです?なんの音です?」と、詰め寄る。返事はない。 が、肩が揺れていることに気付いた。 わざと沈黙で間を取ったあと、Mさんの寝ておられるベッドのブレーキを外し、壁からベッドを離して身体を入れることの出来るスキマを作った。 そのスキマに入り、 「今のぐぅ~~~ってなんでした?」と言いつつ、壁のほうを向いてるMさんの顔を覗き込むと、目と口をギュッとして笑いを堪えてた。 「めっちゃ笑ろてますやん」とツッコむと、よけいに目と口をギュッとして堪える。全身が揺れている。 「Mさん、ぐぅ~~~~って聞こえませんでした?」って、肩に手を当てて言ったと同時に我慢しきれず大爆笑! 「あっははははははははは!!」 すかさず、「飲みます?」とお聞きすると、「うん」と笑顔で返して下さった。4日間で初めて見せて下さったその笑顔が可愛すぎた。 ペットボトルにストローを指し、お口元へ持っていくと、ポカリをゴックンゴックン一気飲みされた。それから「夕食も食べます?」とお聞きすると、「お腹がへってるから食べさせて」と言って下さった。 ベッドの頭側を上げて食べやすい姿勢になって頂き、ぼくの食事介助で召し上がって頂くと、パクパクと平らげて下さった。 途中で様子を見に来たもう1人の夜勤職員が、食事しているMさんを見て「え~~~?!」ってビックリしながら笑ってた。ぼくは副主任らしいことが初めて出来たことで、きっとドヤ顔をしていた。 拒否の理由と、介護という仕事のやりがい 食事しながらMさんは悲しそうにぼくに言った… 「この施設に入るって家族に言われてなかったんや。退院したら、自分のおうちに帰れるもんやと思ってた。おうちで家族が面倒見てくれるもんやと思ってた…そしたら、病院から車に乗せられても、家族のもんが一緒に乗ってけぇへんし、降ろされたと思ったら、見たこともないホテルみたいなところやろ?それでわかったんよ。」 それから、 「…でも、あんたらに関係ないもんな。家族とはまた話をしたいけど…とにかく、来てからずっと意地はってごめんな。ありがとう」 と、笑顔で言って下さった。 ご家族とのことを考えると複雑な気持ちではあったが、『ありがとう』の言葉で、ぼくは全身に喜びがこみ上げた。 身体が不自由でオシッコも管がつながれた状態。ご家族の協力がないとおうちでは生活できないと理解されていたMさんは、拒否がなければめっちゃ可愛いおばあさんだった… 介護職は、入居者さん・ご家族両方の思いを引き受ける仕事であり、めちゃくちゃやりがいのある仕事であるとMさんから教えて頂いた。 この時のことが脳裏に焼き付いているからこそ、ぼくは介護職という仕事を18年も続けてこれているのだと思う。 出会った初めての入居者さんがMさんで、ぼくは運が良かった…。

  • 訪問介護事業所の気になる人間関係とは?関わる人たちや重要度をご紹介!

    介護の仕事をしている人は優しい人が多いけれど、実際のところ人間関係ってどんな感じか気になりませんか? 今回は実際に訪問介護事業所で働いたことのある筆者が、その人間関係についてお伝えします。 訪問介護の人間関係 今回は訪問介護の人間関係について、筆者の経験を織り交ぜながらお伝えします。 中には人間関係の生々しい部分も出てくるかと思いますが、ぜひ最後まで読んで頂けると幸いです。 訪問介護で関わる人たち 訪問介護は仕事をするときに、基本的に1人で移動して介護サービスを提供しています。 そのため仕事をしている時は、自分1人だと思いがちです。 しかし、実際に仕事をしていると色々な人と関わっていることに気づきます。 今までの体験を元に、実際に関わったことのある人を振り返ってみようと思います。 ①ご利用者様 まずはご利用者様です。 ご利用者様あっての、訪問介護なのでここは1番にあげました。 ②ご利用者様の家族 次によく関わるのが、ご利用者様の家族です。 もっとも訪問介護は、家族が在宅で介護をしているけれど、仕事やプライベートの用事で面倒を見れないときに頼むことが多いです。 そのため、ご家庭によっては、ほとんど家族と合わないところもあります。 しかし、家族が利用を決定しているところが多いので2番目にあげました。 ③事業所の管理者 訪問介護事業所の管理者へは、仕事をしている過程でも困った事があったときに相談することが多いです。 筆者は実際の現場で、会社貸与のスマホがあったため、常にスマホを使用し相談や解決策を聞いたりしていました。 その他にも、ご利用者様が行方不明になっていたり、自身がトラブルに遭って動けないときなど、困り事はすぐに相談する大切な存在でした。 ④事業所の同僚 事業所には複数の人員が配置されています。 筆者が最初に配置された事業所は、女性管理者1人、その年に入職した新卒の男性職員、ベテランの40代女性職員、50代の男性ケアマネジャー1人の合計4人でした。 その事業所は、会社の中でも立ち上げたばかりの事業所で、筆者はそこで即戦力として働いていました。 この事業所は、1年後に15人ほどの職員が務める事業所になりますが、当初は人員が本当に少ない事業所でした。 ⑤事業所の事務員 事業所運営において、職員のシフト管理や事業所の経費管理、現場の職員ができない影の部分で働いてくれる職員が事務員さんです。 この事務員さんがどのように動いてくれるかで、事業所の印象は大きく変わります。 基本的に大切な電話は、最初に事業所にかかってきます。 そのため、その事業所の窓口として、最初に対応してくれる大切なポジションです。 ⑥事業所のケアマネジャー 事業所運営の上で、ケアマネジャーは絶対に必要な人員ではありません。 しかし筆者が勤めていたところには1人いました。 ケアマネジャーは介護の知識はもちろんのこと、介護における法律の部分などにも精通しているため、話をしていて勉強になります。 話した内容が、実際の現場で役立つこともあるため、重要な立場の1人です。 ⑦訪問看護の看護師 訪問介護の現場で、ご利用者様の次によく会うのが訪問看護師です。 在宅介護では、医療的ケアを必要としている人も一定数います。 そのため、定期的に訪問看護のサービスを利用しているご利用者様のお宅では、定期的にバッティングする時があります。 その他にも、訪問看護師から訪問介護員に指導が必要となったときに立ち会う事があります。 自身の事業所にいる訪問看護師の時もありますが、他事業所の訪問看護師の時もあるので、筆者自身丁寧に対応することを心がけていました。 ⑧他事業所のケアマネジャー ご利用者様が介護を受けるときに、ケアプラン作成のために必要な職種がケアマネジャーです。 普段の仕事中はほとんど関わりませんが、介護ではサービスの見直しをするためにケアカンファレンスというものが開かれます。 そのときに各事業所がご利用者様の自宅に集まり、ケアプランの見直しを家族を交えて行います。 その際、あまりその回数は多くはありませんが他事業所のケアマネジャーと関わることもあります。 中でも重要なのは? 上で挙げた中でも、重要なのはご利用者様と事業所の職員、そして訪問看護師さんです。 1日稼働していく中でも、よく関わるのがこの3つの方達です。 では実際の現場ではどうだったかをお伝えしていきます。 ご利用者様との関係 いうまでもなくご利用者様との関係は、関わる人たちの中で1番大切です。 ご利用者様との関わり方次第では、出禁になることもあります。 これは実際にあった体験ですが、筆者とは別の訪問介護員の話です。 とある男性職員が、あるお宅に介護に行った時の話です。 介護を受けているのは、そのお宅にいる娘さんのお母さんでした。 後で聞いた話によると、その娘さんはお母さんをすごく大切に介護してきていたようで、当時最初に訪問した男性職員の介護が雑で耐えられなかったそうです。 そもそも、ご利用者様とその家族とも関係性を築けていない中での訪問だった為、仕方のないところはあるものの、そのような出来事が実際に起こってしまいました。 筆者自身も、あまり聞いたことはありませんでしたが、以来そのようなこともあるのだと知り、仕事を改めて丁寧に行うきっかけになったことを覚えています。 事業所の職員との関係 次に重要なのが、事業所の職員です。 訪問介護は勤務時間によって、まる1日事業所の職員と関わらずに終わる日もあります。 つまり、訪問件数と勤務時間によっては事業所の職員と関わることなく業務を終える職員もいます。 基本的に、仲のいい同期や先輩などを中心にいい関係の人が多かったのですが、中には意地悪な職員もいたりします。 筆者が経験した事業所の職員で、事業所の窓口である事務員さんとの関係に悩んだ事がありました。 もちろん印象の悪い人ばかりではないですが、筆者が関わった事務員さんは訪問介護員に非協力的な方でした。 そのため、緊急時は苦労もしましたが上司などに相談をして困難を乗り越えた経験があります。 その時の経験から、訪問介護の空いている時間に事業所の職員と食事をしたり、仕事の後すこし話をする事が、普段の仕事に関わることもある事を学びました。 訪問看護師との関係 訪問看護師は、介護士より知識があると言う自負からか、介護士を下に見る方もいます。 ありがたいことに筆者は、訪問看護師に恵まれたため苦労した経験はなく、悪い印象もありません。 しかし、他の職員の話だと馬鹿にされたり、本来看護師がするべき仕事を押し付けられたなどの話を聞いたことがあります。 本来介護は、看護師が行う仕事の一部を切り取り、看護師の負担を減らすのが目的で出来た仕事です。 両者ともに助け合って仕事をしたいものです。 人間関係が悪いのは本当? 介護の人間関係が大変だといわれるのは、関わる人が他の職場に比べて多いことです。 介護の仕事は上記に示した通り、数多くの人たちと関わりを持ちます。 年代も幅広く、さまざまな業種の人たちと関わることがあります。 お互いにきちんと理解しあわないと、人間関係がこじれてしまいます。 また、苦手な人と関わることもあるでしょう。 介護という仕事柄、さまざまな人たちと密なコミュニケーションを取らなくてはいけません。 介護士は人手不足であることが多く、数多くの業務を抱えています。 そのため精神的に余裕が無く、感情的になりやすいです。 したがって、人間関係で苦労する介護職の人たちが多いのは本当です。 人間関係をスムーズにするために 人間関係が悪化してしまうと、仕事へのストレスをさらに増やしてしまいます。 働きやすい職場にするためにも、人間関係をスムーズにし、職場の府に気を良くすることはとても重要です。 働きやすい職場することは、利用者へのサービスの向上や仕事の効率化にもつながります。 では、どのようにすれば人間関係を良くすることができるのでしょうか。 相手のことを考える そもそも他人は自分と異なる意見を持っていることが多いです。 まずは反発せずに素直に相手の意見を聞いてみましょう。 反論がある場合は、その後に自分の考えを伝えればよいのです。 忙しくても感謝と笑顔を忘れない 笑顔や感謝のない職場は全体的にピリピリした雰囲気になりやすいです。 それが人間関係を悪化させることにもなってしまいます。 どんなに忙しくても、相手への感謝や笑顔を忘れないようにしましょう。 人間関係が辛いときは? どうしても人間関係が辛いときは、誰でもよいので相談してみましょう。 ストレスがたまると仕事の効率が悪化するだけでなく、健康被害を起こすこともあります。 自分なりのストレス解消法を見つけることも重要です。 もしもどうにもならずに仕事が辛くなってしまったら、転職を考えるのも1つの手段です。 人間関係の良い職場を見つけるために 人間関係の良い職場を見つけるためには、いくつかコツがあります。 頻繁に求人をしているところは要注意 頻繁にしているところは頻繁に人が入れ替わっている可能性が高いので、職場の人間関係が悪いことが多いです。 求人の内容をよく確認し、職場見学するなどして十分にリサーチするようにしましょう。 全体的に元気がないところは要注意 気になる求人がある場合は、必ず職場見学に行きましょう。 利用者やスタッフに笑顔や会話がない場合、何かしらの問題があることが多いです。 雰囲気が嫌だと思ったら、そこで働くことはやめた方が良いかもしれません。 まとめ 訪問介護は1人で行える仕事として、施設型にはない魅力のある仕事です。 しかし実際は多くの人が関わって成り立っている仕事であり、助け合っていることを忘れてはいけません。 介護士に限らず、他の職種の人も介護職員が介護をして収入を得ている側面もあります。お互いが支え合い、いい事業所づくりをしてほしいです。  

  • 認知症のNさんの話。

      認知症のNさんは、ぼくが勤務する特別養護老人ホームに入居してこられた初日から 夕方になるとご自身で風呂敷にまとめられた荷物を手に フロア内をウロウロし始めるという徘徊行動を繰り返されていた。 繰り返される夕方の帰宅願望 介護職員が「どうされましたか?」とお聞きすると 決まって「おうち帰らなあかんねん」と言われ 出口を探して廊下を行ったり来たりされるのだ。 他部署の職員がエレベーターでフロアに上ってくると、入れ違いで そのエレベーターに乗り込まれ、1階の事務所まで行かれたこともあった。 杖でスタスタと歩かれるそのご様子は、普通のお元気なおばあさんなので そのまま玄関から外に行かれたら、老人ホームから間違って出てこられたとは 誰も思わないほど。 それがかえって危険だった。 1度ウロウロし始めると、”早くおうちに帰らないといけない”という焦りから こちらからの声掛けに全く耳を傾けて下さらず 「今日はおうちに帰る日じゃないですよ」 「外はもう暗いので明日にしましょう」とお伝えしても 「こんなところにいてる場合じゃないねん!」 「早く帰らせて!」と 不穏が募るばかり。 事務所まで行かれた際には、玄関の自動ドアが開くたびに 出て行こうとされるのを止めなければならず お話を伺いながら落ち着いて頂き 居室のあるフロアまでNさんに戻って頂くのに かなりの時間を要したほどだった。 緊急カンファレンス 緊急で、介護のフロア主任・Nさんの担当職員・看護師・ケアマネジャー 相談員・リハビリ職員などが集まり、Nさんのカンファレンスを実施。 ぼくも参加することに。 「夕方になるまでに没頭できるものをして頂く」 「精神的に落ち着かれる薬を飲んで頂く」 「何か気がまぎれるレクリエーションをして頂く」などの意見が出たが どれも長期的な対応方法であり、その日からすぐに効果のある方法は なかなか思いつかなかった。 結果、統一した対応として、お疲れになられて落ち着いてこられるまでは 下手にお声掛けして「火に油を注ぐようなこと」はしないでおこう、となった。 落ち着かれると職員の声掛けにも応じて下さるようになるので それを待つという方法である。 ただ、杖歩行で足腰もしっかりされているとは言え やはり転倒のリスクもあり、また、エレベーターへ乗り込まれる可能性も あるので、付かず離れずの対応が必要だった。 帰宅願望によるウロウロは夕方から始まるので ちょうど夕食の忙しい時間とカブる。 それが毎日。 人手も足らず、Nさんだけに付きっきりになれる職員はいない。 かといって、ウロウロされるがままだと、Nさんはますます不穏になられるし リスクもある… どうすればいいか糸口がつかめず、職員みんなが困ってた… 最も光り輝いていた時代 認知症のかたの中には、自分が自分でなくなっていくような感覚から 不安や不満、混乱、恐怖といったネガティブな感情を感じなくて済むように ご自身で現実とは違う世界を創り出し、そこに避難するというかたがおられる。 Nさんの場合は、ご自身の人生において最も光り輝いていた 『専業主婦として夫と小さい子供たちを支えていた時代』という世界に 意識を戻すことで、認知症のツラさから逃避しているのではないか。 だから 「主人や子供たちが帰ってくるまでに晩ご飯の支度をしないといけない」 という思いで、夕方からの帰宅願望が出現しているのではないかと推測。 その推測を元に、ぼくはある作戦に打って出る。 寄り添いながらの散歩 それは、普段から現場職員の1人としてカウントされておらず、いつでもフリーで 動ける介護部長という役職のぼくだからこそ出来ること… いつものように夕方の帰宅願望が出現し 「おうち帰らなあかん」とウロウロし始めたNさんのお顔を見ながら 「おうちまで送っていきますね」と一緒に施設を出た。 風呂敷にまとめた荷物を背負い、杖をついておうちに向かうNさん。 あたりをキョロキョロと見渡しながら、時に立ち止まり、時に急な方向転換。 車道にも出ていくのでヒヤヒヤする。 隣りにつきながら安全を確保し、なるべく穏やかに話しかけるが 「ついてこんでええ!」と大きな声で怒鳴られる。 歩行者や自転車のかたがこちらを怪訝そうに見ている。 こけそうな時など、すぐに手が届く距離で付いて歩き どっちに行けばいいか迷っておられるしぐさの時に話しかける。 少しずつ少しずつ、ぼくの言葉にも耳を傾けて下さるようになり 車通りの少ない住宅街のほうに誘導していく。 だんだんぼくの顔に安心される感覚が大きくなってくる… そんな散歩を約2時間。 あたりもだいぶ暗くなってきた頃、最後はヘトヘトで 公園のベンチに座り込まれた。 施設に電話して相談員に車で迎えに来てもらう。 Nさんにペットボトルのお茶を飲んで頂いて、それから車で一緒に施設に戻った。 他のみなさんは夕食を召し上がっておられた。 翌日も、夕方に「おうち帰る!」が始まる。 「送っていきます」「来んでええ!」という会話を交わしつつ 2人で一緒に施設を出る。 前日と同じようなコースの散歩。 公園のベンチに座ったのは約1時間30分後。 施設に電話して車でのお迎え。 さらに次の日。 1時間ちょっとの散歩で施設へ歩いて帰る。 日はまだ落ちておらず、夕焼けに染まったアスファルトに Nさんとぼくの影が並んで伸びていた。 散歩3日目にしてはじめて夕食前に帰ってこれたので なんとなくの思い付きではあったが 職員がしている夕食の準備を手伝って頂くことにした。 笑顔で「ええよ」とのお返事。 「おうちに帰る!」と言ったことはすっかり忘れておられた。 4日目の散歩は30分程度。 Nさんはまだまだ歩けそうだったが、途中で切り上げられるかも?と思い 「夕食の準備があるから帰りましょうか?」と声を掛けてみた。 すると、「そうやな。帰ろか」とのお返事。 5日目でついに、「おうちに帰る!」がなくなった。 ぼくが、「散歩行きませんか?」とお声掛けすると 「今から行ったら、この人らの晩ご飯に間に合わんがな」と笑顔で言われた。 それ以降、みなさんの夕食の準備をすることが、Nさんの日課になった。 夕方からの帰宅願望は、時折、思い出したかのように顔を出すこともあったが 「今からNさんが帰ったら、みなさんの晩ご飯に間に合わないですよ」と お伝えすると、「そやな。じゃあ明日にするわ」と笑顔ですぐに現実の世界に 戻ってきて下さるようになった。 この対応を職員全員で共有して統一した。 帰宅願望から自分の居場所へ Nさんがおうちに帰りたかったのは 「家族が帰ってくるまでに夕食の準備をしないといけない」という 妻として、母親としての思いがあったから。 そしてそれは、認知症により、自分で自分に違和感を覚え じょじょに自分ではなくなっていくことの不安や恐怖から自分を守る為に構築した 『専業主婦として夫と小さい子供たちを支えていた時代』という 世界で生きることを選択したことから生じた思いだった。 Nさんの世界に入って寄り添い、否定せず じょじょに「この人は安心できる人」と認識して頂くことで 落ち着いて頂くまでの時間を短くする。 穏やかな気持ちになられたところで、ぼくのほうからお願いし 他のみなさんの夕食の準備をお手伝い頂く。 そうすることで夕食の準備をする対象を 「家族」から「この人ら」に変換できたことで Nさんが構築した世界と現実の世界を結び付けて1つにすることが出来た。 そしてNさんから、夕方の焦りが消えていった。 Nさんはその後、「人の役に立っている」ことで、ご自分の居場所を見出され 職員のするいろいろな業務を笑顔で手伝って下さり その後、体調を崩されるまでの数年間をほんとにイキイキと過ごされた… 今から13年前のお話です。

  • 訪問介護は辛い?実際に経験した経験者の語った思いとは?

    訪問介護の仕事は楽しいこともあるけども、辛い事もあります。 今回の記事では、実際に訪問介護を経験した筆者が、その体験を基に辛かったことをお伝えします。 訪問介護の辛いところ 介護の仕事は人に感謝されるいい仕事です。 介護以外の仕事も経験してよりわかった介護の仕事の魅力は、他者からの感謝を本当の意味で受け取れるところに魅力があります。 そんな中「きつい、しんどい、きたない」と言われるこの仕事を、喜んでしたいと言う人が少ないのも現実です。 個人的には魅力的だと思える介護の仕事ですが、今回は筆者が体験した訪問介護での辛かった体験をお伝えし、その対応策も付け加えようと思います。 それでは始めていきます。 自転車移動が辛かった これはシンプルに訪問するための自転車移動が辛かったです。 都市部での訪問介護の仕事は、自転車移動が基本になります。 地方の移動距離が長い事業所なんかだと、車で移動するところもあるようですが、都心部での基本は自転車です。 自転車移動での足腰への負担は、1件1件の移動を毎日積み重なると大きく、なかなか辛い経験でした。 電動自転車になってからはかなり楽になりましたが、それ以前はまるで足腰を鍛える修行をしているような物でした。 また事業所によっては、1日の訪問件数が多いところもあります。 筆者は、割と短めのケアを複数訪問していたため、1日の訪問件数は平均して15件前後でした。 この数字は、訪問介護業界の方でないとピンとこないかもしれません。 参考までに、筆者が聞いた他事業所の訪問件数は、1日平均5件ぐらいが基本でした。 若い訪問介護員でも多くて10件程度だそうです。 私は毎日3倍走っていたことになります。 訪問介護はご自宅同士の距離が遠いこともあるため、件数が短くても距離が遠かったりしてその移動で疲れるという事もあります。体力に自信のある方や身体を鍛えたい方などにはよいかもしれませんが、そうでない場合は電動自転車をおすすめします。 ご利用者様との人間関係 これも筆者の訪問先にいたあるご利用者様ですが、そのお宅はお風呂とトイレが共同の家でした。 部屋は6畳1間で、家賃も1ヶ月1万円程度のお宅でした。 そこのご利用者様は、服薬確認と安否確認だけのサービスでしたが訪問するや否や罵詈雑言の嵐でした。 さらに提供したいサービスを受けてくれないものですから終わりたくても終われない事もしばしばでした。 最終的に何もせずに帰らざる終えない時もありましたが、このようなご利用者様もいました。 ただ全ての人がこのような人ばかりと言うわけではありません。 あくまで一部のご利用者様だけなので、今紹介したような方はごく稀です。 他にも訪問先でご利用者様の家族に手を握られたり、セクハラのようなことをされた時もあります。 そういう事があった時は、訪問介護が辛いなと思ったりもしました。 ゴミ屋敷への訪問 表現が難しいのですが、いわゆる衛生環境が極端に良くないお宅は一定数あり、その割合は少なくありません。 筆者が経験した訪問先で、訪問するたびにスリッパを使用して入室する訪問先がありました。 そのお宅はマンションのとある一室でしたが、廊下にいるだけで異臭が立ち込めてきて、部屋の中はゴミでいっぱいでした。 訪問介護サービスを利用すると言うこともあって、入り口や洗面台、トイレや浴室などの介護で使用する場所は多少掃除されていました。 しかし衛生的とは言えませんでした。 私たちもプロですので、その環境下で介護をしました。 他にも、訪問先のお宅の中を土足で入ることになっているお宅もありました。 このお宅は、訪問入浴のサービスがありお風呂だけはすごく綺麗だったのを覚えています。 しかしそれ以外は足の踏み場もないぐらいゴミ袋の山でした。 必ずしもそのようなお宅ばかりではないですが、そのような環境を見たことが無い筆者にとっては、なかなか衝撃的で辛い経験だったのを覚えています。 1人で仕事していること 元も子もない話ですが、1人で仕事をしていることが辛い時もありました。 訪問介護は、基本的に1人で介護をして1人で完結して訪問先を退出します。 ほとんどの場合、家族はおらずご利用者様1人の時が多いです。 例えばご利用者様にトラブルがあったり、その他のアクシデントなどは1人で対応しなければいけません。 また介護保険以外のサービスの要求をしてくるご利用者様や、そのご家族がいたこともあります。 そのようなときに全て1人で対応するという面が、施設型の介護と違う大変さでした。 他にも、筆者が1人の訪問で辛いと感じたのは、1日の中であまり会話がない時でした。 自立度が高いご利用者様だと会話を多く交わして退出できるのですが、自立度の低いご利用者様だと、失語症などの理由で会話をできずにサービスを終えてしまうことが多かったです。 職員にもよりますが訪問介護の場合、他の職員との会話もあまりないため、ご利用者様とその家族と会話をしない限り、会話をする機会がありませんでした。 そのため、仕事はしているけれど淡々と目の前の仕事をこなし続けていることを、辛いと思う時期が何度かありました。 もちろん職員全員に当てはまることではありませんが、少なくとも筆者はそのように感じる場面がいくつかありました。 訪問介護が辛いと思った時の対処法 訪問介護が辛いと思ったときは現状を変えるためにも以下のような方法をとると良いでしょう。 管理者に相談 例えば、訪問先のご利用者様からセクハラや、モラハラを受けている時はまず上司に話しましょう。 筆者は実際にそのようなお宅があったときに、当時の管理者に相談しています。 訪問介護員も人間ですので、辛いときは無理をしてはいけません。 筆者の場合正直にそのときの現状を伝えた結果、訪問先を変更してくれました。 他にも、自転車移動の距離が長く移動が辛いことも話しました。 改めて訪問先の見直しをしてくれて、結果的に移動がかなり楽になり体への負担が減りました。 介護は体を使う仕事ですので、他の負担は極力減らした方がいいですね。 困った時は、管理者に相談してください。 最初の課題解決の動きだしは、まずそこからかもしれません。 環境を変える 環境を変えるのも1つの手です。 筆者は異動や、転職は行いませんでしたが、他の職員で異動をして仕事環境が変わり、前よりイキイキと仕事をしている職員がいました。 会社の規模にもよりますが、社内で異動が叶うのであれば事業所を変えてみるといいです。 その行動だけで、世界が大きく変わってきます。 もし事業所を移動できなかったり、異動しても環境が変わらず辛い時は、転職も選択肢に入れてください。 訪問介護の事業所は、探せば多くあります。 できればご自身が働いたことが無い地域がいいかもしれません。 事業所の環境や、雇用条件など見るところは多くありますが、転職をして今以上に良い環境で働いている職員もいたため、1つの選択肢としておすすめです。 まとめ 今回、実際に働いた体験談をもとに、訪問介護で辛かったことをお伝えしました。 しかし、訪問介護は何も辛いことばかりではありません。 仕事をしていて楽しいことももちろんあります。 辛いと言う点も個人差があり、上に挙げたもの以外にも辛いと思うポイントはあるのではないでしょうか。 大切なのは、その環境下で自分自身がどうしたいかです。 それを考えられる記事になっていれば嬉しいです。