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2023年6月の記事一覧

  • やんちゃな愛されキャラ

    認知症がひどくて、でもめっちゃ元気なAさん(女性)は、入居してからずっと「やんちゃ」を繰り返してた。 和室の畳をひっぺ返す。ウンチでカーテンをドロドロにする。造花を食べる。他の入居者さんのベッドに入ってケンカになる。全裸でリビングに出てくる。 「あぁもう!」といつも職員は振り回されていたが… 信じられない写真 ぼくがその施設に「介護部長」という管理職として就任した時、ある職員さんに信じられないような写真があるから見てほしいと言われて、見せられた写真には、小柄だがちょっとがっちりした体型のおばあさんが笑顔で立っている姿と、おばあさんの前に畳がひっくり返っているのが写っていた。 「これ、このAさんがご自分で(畳を)めくってひっくり返したんですよ」 と、笑いながらその職員さんは教えてくれた。 ぼくは、にわかに信じられなかった。素手で畳と畳の間に指を突っ込んで持ち上げてめくり、ひっくり返すというのは、ぼくのような身体の大きい男性でも結構、大変な作業だ。 それをここに写っているおばあさんがされたなんて。 「しかも、娘さんがこのAさんの面会に来られた時に、居室に入ったらこの状態だったってことで、笑いながら撮影した写真なんですよ」 さらに驚いた。 娘さん、ちょっとふざけすぎてやしないか。 この写真1枚で、一気にAさん親子に興味津々になったぼくは、早く娘さんが面会に来て下さらないかなと思っちゃっていた。 ただ、まだ施設の入居者さんのお一人お一人のお顔と名前も一致していない段階だったので、まずはAさんのことを詳しく知ることから始めようと思った。 常にやんちゃが炸裂するAさん Aさんは80代後半。身体は健康そのもので、ご自分でスタスタとハイスピードで歩かれる。立ったり座ったり、何なら床に寝そべったりも自由自在。 ただ、重度の認知症だった。 今がいつなのか、ここがどこなのか、目の前にいる人が誰なのか、何をすべきなのか、どうすればいいのか…あらゆることを認識できないがために、ご自分の置かれている状況が理解できず、正しい判断と正しい行動ができなくなっておられたのだ。 その結果、和室の畳をひっぺ返したり、手についたウンチをカーテンで拭いてドロドロにしたり、飾ってある造花を食べたり、他の入居者さんのベッドに入ってめちゃくちゃ怒鳴られてケンカになったり、全裸でいきなりリビングに出てこられたりと、まぁ「やんちゃ」の限りを尽くしていた。 はっきり言って、手についたウンチや、カーテンのウンチを洗うのなんてかなりめんどくさいし、手の届くところに造花などいろんなものを飾れなくなるし、他の方の居室に入ろうとされたらAさんを止めないといけないけど、歩くのが早すぎて、ちょっと目を離した瞬間におられなくなっていることなんてザラにあるし、全裸で出てこられたら、何をしてても最優先でAさんを居室にお連れして服を着て頂かないといけないし… つまり、誰よりも手がかかり、職員の手間を増やしてくれる方がAさんなのだ。 そして、そんなAさんなのに、なぜか人気があるのだ。 やんちゃが見つかって「あぁもう!」って言われてる時のAさんは、”してやったり”みたいにして笑ってる。 そして「ほら!またぁ!」って言いながら、やんちゃの後始末をする職員もやっぱり笑ってて、次は何してくれるんやろって密かに期待すらしてる感じだった。 娘さん登場 ある日、娘さんが面会に来られた。 ぼくはお会いしたことがなかったので挨拶させて頂くと、 「あぁ新しい部長さん、母がいつもお世話になってます!よろしくお願いします!変わった髪型してはりますね!ハハハハハ!」 みたいな感じで、初対面でいきなりぼくのマッシュルームカットをイジッてこられた。 サバサバして明るくて豪快な感じ。 一瞬で娘さんのキャラクターがわかった気がした。 と思ったらいきなり、 「もう!お母さん。しっかりしいや!」 と笑いながらAさんのお尻をポンッと叩いた。叩かれたAさんのほうもニコニコ笑ってた。 ぼくはこの親子のことが好きになった。 Aさんのアゴのヒゲ 施設には「バス旅行」や「秋祭り」といった、ご家族のみなさんも一緒に参加して頂ける大きなイベントがいくつかあり、娘さんは必ず参加して下さっていた。 ぼくはそういったイベントの統括指揮を取ることが多かったので、娘さんともお話させて頂く機会が増えていった。 Aさんと手をつなぎながらも悪態をつき、職員をねぎらい、いつも笑顔でイベントを楽しんでくださる娘さん。 娘さんがおられることで、イベント中は、やんちゃをされずにただひたすら笑顔のAさん。 ほんとに素敵なお2人だなって思って見ていた。 Aさんにはひとつの特徴があった。 アゴの左側に大きなイボがあり、そこから長~い一本のヒゲが常に生えているのだ。まるで「波平さん」みたいに。 長くなってきたら職員のほうで切ろうとするが、それはなぜか拒否されるAさん。 だが一ヶ月に一回、娘さんがお連れする美容室から戻られると、キレイに無くなっているのだ。 美容室でならOKなんやって思いつつ、でもAさんらしいなって思っていた。 Aさんとのお別れの時 そんなAさんでも高齢には抗えなかった。 いつの頃からか、少しずつ食事を食べなくなり、日中も寝ていることが多くなり、足元に力が入らなくなり、車椅子やオムツが必要になっていった。 面会のたびに、 「お母さん、しっかりせなあかんで!」 と声をかけておられた娘さんだったが、じょじょに弱っていかれるAさんを感じながら、施設での最期を希望された。 職員はお元気だった頃からのAさんの写真を厳選して、アルバム作りをし始めた。Aさんの居室に置いて、娘さんがいつでも見れるようにとのことだった。 どの写真にもいい笑顔で写るAさんがいた。 日に日に弱っていくAさんを前に、ある女性職員が言った言葉、 「何してくれてもいいから、また元気になってよ…」 は、みんなの気持ちを代弁していた。 その女性職員の言葉を聞き、Aさんの数々のやんちゃを思い出しては、思わず吹き出してしまうこともあった。 それからほどなく、Aさんは息を引き取られた。いよいよの時点で施設に泊まり込まれていた娘さんと、たくさんの職員に見守られながらの最期だった。 Dr.の死亡確認後、その場にいる誰もがこらえ切れずに涙する中、娘さんは、「お母さんお疲れ」と笑いながら、顔を両手で覆うようにして語りかけ、次の瞬間…イボのヒゲを、「ブチッ!」っと引っこ抜いたのだ。 時が一瞬止まった後、みんなが一斉に大爆笑。その場が一気にほぐれた。 葬儀屋さんがお迎えに来られた。お見送りの為に、たくさんの職員が施設の玄関まで降りた。 娘さんは、施設長やケアマネジャー、相談員、看護師など1人ずつに挨拶をして回られ、Aさんのフロアの介護職員にも笑顔で1人ずつ声を掛けて下さった。 介護職員はまた全員が泣いていた。 娘さんは、一番最後にぼくに声を掛けて下さった。 笑顔で「部長さん、ありがとうね。ここでお世話になって私たちほんまに幸せやわ」と言って下さった。 ぼくはまた、Aさんのやんちゃの数々、娘さんとAさんとのやり取りの数々、さきほどの「ヒゲ抜き」を思い出し、泣きながら笑った… 娘さんが遺影に使う為にと、施設で撮った中から選んだ写真のAさんは、やんちゃしてる時の無邪気な笑顔の、ヒゲのあるAさんでした。 あんな最期のお別れは、これまでもこれからも、きっとないんだろうなと、ぼくの心に強烈に刻まれています。 Aさんと娘さんからは、ほんとに多くの大切なものを頂いたような気がしています。 忘れがたい、10年前のお話です。

  • ウンチを渡そうとしてくるAさん

    認知症のAさん(男性)は、夜中にウンチを渡そうとしてくる。職員が手袋をしてウンチを取ろうとするとご立腹。 「無理やり手を洗わせて頂くんですけど、めっちゃ抵抗されるんです」とみんな途方に暮れていた。 状況がよくわからんので、ぼくが夜勤に入ってみる。が、初日は空振り。後日迎えた2回目… 1スタッフとして現場に入るまでの準備と心構え 普段は介護部の責任者として、事務的な仕事がほとんどのぼくは、実際に1スタッフとして現場に入るのは稀なことである。 人員不足などでヘルプせざるを得ない時には、事前に担当するところの入居者さんの情報や、業務の流れなどを確認するようにしている。 情報さえきっちりと教えてもらっておけば、いろいろなお手伝いなどは経験があるのでどうにかなるのだが、逆に情報がないと何をすればいいのかわからない状態になる為、はっきり言うと使い物にならないのだ。 責任者として、後輩から「使い物にならない」というレッテルを貼られると、その後、言葉に説得力を持たせることが出来なくなる為、何としても避けたいところ。 この時も、夜勤に入ってみると決めてから準備を入念にして臨んだ。だが、初日はAさんの「ウンチを渡してくる行為」はなく、空振りに終わった。 それが良かった。久しぶりの夜勤の感覚を掴むことが出来たし、入居者さんの夜のご様子を知ることが出来た。業務の流れも把握した。 Aさんに対して、「今日こそは来てくれないかな」という気持ちで2回目の夜勤を迎えられたのは、気持ちの余裕を持てたという点で、とても良かった。 そしてその時は訪れた このエピソード当時の夜勤の勤務時間は、夕方の17:00~翌朝の10:00まで。 夕食前から業務に入り、夕食、歯磨き、トイレ(オムツ交換)、就寝の準備、寝る前のお薬、就寝という感じで、だいたい22:00頃までには、入居者さんのみなさんは、眠りにつかれる。 情報によると、Aさんが例の行動をされるのは、夜中の2:00頃が多いとのこと。 とりあえずAさんが動かれるより前に、夜勤中にすべき雑務を終わらせていく。このあたりは、1回目に夜勤に入ったことで、スムーズにこなすことができた。 一方、なかなかAさんは起きてこられず、2:00にみなさんの居室を巡視した際にもよく眠っておられた。 「今日も空振りかな」と思っていたが… 夜中の4:00頃、廊下の向こうに人影が見えた。 右半身麻痺の為、右足を引きずって歩くシルエットは間違いなくAさん。じょじょにこちらに近づいて来られる。 左手が上に向いているのがわかる。その上に何かを乗せておられるのもわかる。 目の前まで来られるにつれ、乗っていた黒い物体が確認できた。まぎれもなくウンチだった。 それを、受け取れといわんばかりに「っん!っん!」と、ぼくに差し出してこられる。 「ほんまや!何で?」「何でこんなことされるんやろう?」 行動のヒントは居室にあった Aさんは、認知症からくる失語症でしゃべれない。なので、この行動がどういう意味なのかお聞き出来ないし、言葉から推測することも出来ないのだ。 手のひらにウンチが乗っているので、すぐに取って手を洗ってさしあげたいのだが、手袋をして受け取ろうとすると、事前の情報通り、やっぱり「うーーん!!」といって怒って取らせて頂けない。 「うーん、どういうことやろ?どういう意味があるんやろ?」と思いつつ、廊下でAさんとのやり取りをしていると、他の入居者さんにご迷惑をおかけしまうおそれがあるので、なんとなくAさんを居室にお連れすることにした。 「居室に何かヒントはないんかな?」とも思いつつ… 灯りをつけて居室の中を見渡すと、観音開きの扉が開いたり、ロウソクを立てる受け皿?が倒れていたりと、お仏壇が乱れているような気がした。 さっきまで(の巡視で)そんな感じやったかな?なんか普通やったような… 念のため、Aさんの顔を見て「お仏壇ですか?」と聞くと、ウンウンとうなずかれた。 やっぱりそうか… でも何? お仏壇が何かあるんかな?… !!! 考えて考えてようやく気付く。念のため、お声掛けさせて頂く。ウンチを指して「お供えってことですか?」 すると、ウンウンとこれまでになくうなずかれた。 やっぱそういうことやったんや! ついテンションが上がり、「わっかりました!」と言って、手袋で受け取ろうとすると、やっぱりご立腹で渡して下さらない。 マジか…素手じゃないとダメってこと? 「大事なお供え物を汚いもの扱いして、手袋で触ろうとするなんて!」っていう感じなのかな? 汚いもの扱いとか、手袋の意味とかは理解されるんや。 なんて思いつつ、覚悟を決めて手袋を外し、Aさんの前にぼくは左手を差し出した。 すると、Aさんはウンチを渡して下さった。 若干、罰当たりな気持ちになったが、そのウンチをお仏壇の前に供えるように置いた。 それを見たAさんは笑顔になられた。 「手を洗いましょうか?」とお聞きして洗面台にお連れすると、すんなり手を洗わせて頂けた。それからベッドにご案内し、横になって頂くとほどなくお休みになられた。 原因を取り除くことで理解できない行動が消えた 夜勤明けでフロアの職員に聞くと、「そういえばお仏壇が乱れてることありました」と数人が気付いていたことがわかった。 だが、ウンチを渡してくる行為とは結び付かず、誰もがあまり気にせずに扉を閉めたりして、整えていたとのことだった。 Aさんのご家族は、Aさんが施設に入居されてからほとんど面会に来られていなかった。当然、差し入れなどもないので、お供え物も入居時以来、何もなかった。 Aさんは失語症である為、普段からどのようなことを思って施設で生活をされているのかが掴めていなかった。 しかも、ちょっとしたことでご立腹なさる性格のかたでもあったので、お仏壇にはあまり触ってはいけないという思いがみんなの中にあったのだ。 ウンチを渡そうとされる行為が現れてきた時も、何故そういう行為をされているのかが、誰も想像できなかった。 その日から、職員がお仏壇のお世話をさせて頂き、施設のおやつの余りなどをお供えすることで、ウンチを渡そうとしてくる行動はなくなった。 改めて、認知症のかたの行動には意味があり、その原因を取り除くことで不可解な行動は消失するんだということを実感した。 そして、その原因を解き明かすヒントは、そのかたの微妙な表情の変化や、生活環境などにひそんでいることがあるというのも学べた事例でもあった。 Aさんへの対応がうまくいき、翌朝、フロアのみんなに報告した時の「部長もなかなかやるやん」って感じが忘れられない。 介護という仕事が楽しいって思えた、14年ほど前のエピソードでした。 Aさんのその後 失語症ということに加え、ご自分から何かを訴えてこられるということが、このウンチを渡してこられるという行動以外になかったAさん。 そしてちょっとしたことで「うーーん!」とご立腹なさるので、施設入居以来、職員みんながどのように接するべきか戸惑っていた。 食事やトイレ、入浴のお声掛けなどには、すんなり応じて下さるので、ケアに困るということはなかったが、普段からのコミュニケーションという点で難しさを感じていた。 この一件がきっかけで、こちらから質問をさせて頂き、ウンウンと頷かれると正解、「うーーん!」とご立腹なさると不正解というコミュニケーションに、みんなが慣れていった。 怒りはあらわにされても、だからって暴力とかそういった行動をされる方ではない、ということがわかったのだ。 適度な距離感が掴め、コミュニケーションも取れるようになったことで、Aさんは「笑顔のとっても素敵な優しいおじいちゃん」として職員みんなから愛される存在になられた。

  • 介護職員の夜勤のこと〜たっつんのほっこり介護日記〜

    夜勤の日の朝は、いつもよりのんびりできる。仕事とは言っても、22時からの開始だからだ。 ただし、普通の休日とも違う。夜勤開始まで、徹夜で働くのに備えて身体を極力休めておく必要があるからだ。 というわけで、どこかに出かけるようなことはせず、できるだけ昼寝の時間を確保のに専念することになる… 夜勤開始までのこと ただ、会議中なんかはすぐに眠くなるのに対して、いざがっつり昼寝しようと思うと、これがなかなかできないのだ。 外が明るいし、家族がいる場合もある。ついつい本を読んだり、Youtubeを見てしまったりする間に時間はどんどん過ぎ、気付いたら15時みたいなことがよくある。 そして慌てて目を閉じる。 それでもなかなか寝つけずに、寝れたと思ったら18時には目が覚める。結局、よく寝れて2時間みたいな感じになることも多いのだ。 22時には勤務を開始することになるので、最低でも10分前にはフロアで遅出勤務の職員さんから、その日の情報の「申し送り」を受けたい。 そこから逆算して、晩ご飯を食べ、お風呂に入り、洗濯物をたたむくらいは終わらせた上で、その他もろもろの支度をするということの時間配分を決めてやっていく。 で、おうちを出発し、施設に向かう。 夜勤前のおうちでの過ごし方で、どれだけHPを温存した上で夜勤に臨めるかが変わってくるので、かなり重要であると捉えている。 夜勤開始から0時まで 施設に到着するまでの道中も、「夜勤しんどいなぁ。めんどくさいなぁ。なんとか誰かと代わってもらえないかなぁ。」なんて考えている。 そんな願いもむなしく施設が見えてくる。玄関から入り、自分のロッカーで制服に着替えた段階で諦めがつき、「よしっ、朝まで頑張るしかないな」みたいな感じで覚悟が決まる。 タイムカードを押し、自分が勤務するフロアへ。廊下はうす暗く、入居者のみなさんの姿は見えない。22時までの勤務の職員さんが、夜のご様子について記録をつけている。 詰所(そのフロアの事務所のようなところ)に入り、業務連絡が書いてある「申し送りノート」に目を通す。それから遅出の職員さんに、その日一日の入居者さんのご様子を聞く。 体調の悪いかた、いつもと違うご様子のかた、ショートステイ(数日だけ施設に泊まりに来られること)のかた。夜間、特に注意してご様子を見させて頂くべきかたの情報をメモりつつ、頭に入れる。 申し送りが終わり、22時が過ぎると遅出の職員さんは勤務を終えて帰っていく。フロアには自分も含めた夜勤者だけになる。 夜勤者同士で声を掛け合い、「何かあればお願いします」という感じで協力体制を確認して持ち場につく。 自分が担当するエリアの入居者さんのご様子をお一人ずつ確認して回る(巡視)。 22時過ぎの時点でほとんどのかたがすでに寝ておられるが、たまにテレビを見たりして起きておられるかたもいる。体調不良のかたは特に注意してご様子を確認する。 朝まで何事もないことを願いつつ、1回目の巡視を終える。 お一人お一人が一日に使用するオムツを用意して各居室に配って回ったり、食事用のエプロンを干したり、洗濯物をたたんだりといった雑務をしているとすぐに時間が経過する。 夜勤中のメインの仕事は、ご用のあるかたが押して知らせて下さるナースコールに対応すること、巡視、オムツ交換、ご自身で身体を自由に動かすことの出来ないかたの身体の向きを変えさせて頂くこと(体位交換)である。 巡視は2時間ごと、そのタイミングでオムツ交換の必要なかた、体位交換の必要なかたにそれぞれ対応する。 オムツ交換は、お一人お一人の体格やオシッコの量、出るタイミングなどを考慮して、適切なサイズ・吸収量のオムツを選び、適切な時間帯での交換を決めていく。 なので、巡視ごとにオムツ交換をさせて頂くかたは一律ではないし、お一人お一人に、より適した交換のタイミングがわかってくるので常に変化する。 夜間帯に1回しか交換しないかたもいれば、3回交換するというかたもいる。 一方、体位交換については、2時間ごとに身体の向きを変えないと、同じ部位に体重による圧力がかかり続けることになり、褥瘡(じょくそう)=床ずれが発生する原因となってしまう。 この為、巡視ごとに必要なかた全員に体位交換をさせて頂くことになる。 簡単に表現すると、 22時:全入居者さん(20名)の巡視 オムツ交換5名 体位交換8名 0時:20名の巡視 オムツ交換6名 体位交換8名 2時:20名の巡視 オムツ交換5名 体位交換8名 4時:20名の巡視 オムツ交換4名 体位交換8名 6時:20名の巡視 オムツ交換6名 体位交換8名   といった感じ。オムツ交換の人数が時間ごとに変わる。 ただオムツ交換に関しては、ナースコールで「出たから交換して」と自ら言われて交換させて頂いたり、居室に入った瞬間にウンチのニオイがしているので、交換のタイミングじゃないけど交換させて頂いたり、というイレギュラーに常に対応するので、決められた通りだけで済むことはほぼない。 というわけで、0時の巡視に回る。この巡視が終わる頃にはみなさんが深く眠りにつかれ、フロアがより静かになっていく感じを受ける。 0時~4時まで フロアで勤務している夜勤者は施設の入居者さんの人数によって違いがあるが、だいたいこの時間帯に、順に声を掛け合って休憩することが多い。 自分の担当するエリアに加えて、休憩中の夜勤者が担当するエリアのナースコールにも対応する。1時間ほどの休憩をそうやって回す。 ちょうど2時のタイミングで休憩に入る夜勤者が担当するエリアの巡視と体位交換は、休憩していない夜勤者が担い、オムツ交換だけは休憩後の職員がちょっと時間をズラして回ることになる。 穏やかな夜は、ほんとにただただ静まり返り、待機しながら普段できない書類の整理をしたりする時間を確保出来たりもする。 だが、ナースコールを何度も押してこられるかたや、落ち着かれずに何度もベッドから立ちあがって転倒のリスクが高いかた、大きな独り言をずっとしゃべっておられるかたなど、認知症からくるそういった症状が出るのもこの時間が多い。 なんとか落ち着いて寝て頂くような関わりをするが、なかなか落ち着いて下さらず、結局、朝まで対応が必要な場合もある。 ”その日”に当たってしまったらほんとにヘトヘトになってしまうが、こればかりは誰にも読めない。 夜勤者全員の休憩が終わると、再びそれぞれ担当するエリアだけの業務に集中する。 4時~6時 各自、休憩を終えて4時の巡視に回る。 休憩を取ったにも関わらず、この巡視が終わってからの時間帯が、ぼくは一番睡魔に襲われる。「もうすぐ夜が明ける」という安心感からくるのかも知れない。 「眠いなぁ」と言いながら、朝の準備を始める。 食事用のエプロンの用意、顔拭きタオルの用意、お茶ゼリー(飲み込む力が弱いかた用の水分として)をタッパーからマグカップに取り分ける、朝食後の歯磨きの為の歯ブラシとコップの準備、ゴミの回収と新しいゴミ袋の設置、夜間帯のお一人お一人のご様子を記録に残すなどなど。 6時以降~ 6時になると、ボチボチ起きてこられるかたがおられる。 ナースコールを押して「起こしてくれる?」と呼ばれるのでそのかたの居室に行き、朝の支度をお手伝いさせて頂く。 これまでの生活習慣から、目覚められるかたはだいたい順番まで決まってくる。 夜勤者もその順番を把握していて、まずはAさん、次にBさんという感じで居室に伺い、起きられるかどうかをお聞きする。 「まだ寝とくわ」という場合は「また後で来ますね」とお答えし、「もう起きるわ」という場合にそのお手伝い。 お一人目のかたがリビングに出てこられたタイミングで照明をつけ、カーテンを開ける。テレビを付けさせて頂き、お湯で温めた顔拭きタオルをお渡しする。 起きると希望されたかたに起きてリビングに出てきて頂いたあとは、そのかたがたの体温と血中酸素濃度(血液に含まれる酸素量)を測定し、体調の確認をする。 当日が入浴の日に当たっている場合は、血圧と脈拍も同時に測る。 そうこうしていると7時前になり、早出の職員さんが出勤してくる。その姿を見ると心底ホッとする。 早出の職員さんに夜間の入居者さんのご様子を伝え、まだしていない記録をして、夜勤の業務が終わる。 夜勤明け 夜勤に入る前はほんとに毎回、「しんどいなぁ」「めんどくさいなぁ」と嫌な気持ちになるのに、夜勤明けの「あぁ終わった~」という開放感はめっちゃ好き。 帰りには、自分へのご褒美として朝マックに寄ってしまうことも多いし、おうちに帰ってからダラダラ過ごすのも最高に気持ちいい。 夜勤について 夜勤は怖い。 特に体調不良のかたがおられたり、いつ亡くなられてもおかしくないような状態で「施設での看取り」を希望されているかたがおられると、「何かあったらどうしよう」という気持ちになる。 介護士を18年やっているが、その感覚に慣れることはない。だからこそ、何事もなく朝を迎えられた時の安心感が半端ないのかも知れない。 今日もまた、全国で夜勤に入っている介護士さんがたくさんいると思うと、勝手に仲間意識が芽生えてくる。

  • コロナがほんとにキツかった件

    まるで戦場です。1週間のコロナ療養中も報告は受けていた。 が、まさかこれほどとは…山積みの感染防護具、廃棄用ゴミ箱、消毒液。フロアに誰もいない。 陽性者だらけでみなさん居室隔離。職員1人にかかる負担がヒドい。「熱あります!」「検査して!」「陽性でした!」が当たり前。 終わりの見えないトンネルに閉じ込められた気分だった… 兆しは突然に現れた… 施設職員の徹底した感染対策のおかげで、周りの施設の入居者さんがコロナに発症したという情報を何度となく聞きながら、ぼくの勤務する施設ではほとんど発症者を出すことなく平和だった。 だがやはり、完全に防止することは不可能だった。 2023年の1月。 職員2名が同時にコロナに発症し、その2名が勤務するフロアで、ついに入居者さんの中から感染者が出てしまったのである。 施設はわりと年季が入っていて、個室もあるが全室ではない。 もともとは4人部屋だったところを建具で仕切って個室のようにしているという造りのお部屋もあって、建具は天井に「つっぱり棒のデカいやつ」のような感覚で固定されている為、部屋の天井に近い部分はツーツーになっている。 発症されたかたはその4人部屋のかただった。その造りが災いし、発症した1名のかたと同室の3名のかたが『濃厚接触者扱い』になった。 『感染者』は、たまたま空いていた個室に移動して頂き、個別対応。同室ということで『濃厚接触者』になられたかた3名をそのままのお部屋で見させて頂く。 お昼間は職員がまだ多く出勤している為、感染者・濃厚接触者の対応をしてもどうにか業務が成立するが、問題は夜間帯。 夜勤者が1名で対応するのがかなりの負担になる。 感染対応をしているかたのお手伝いをする際には、感染防護具(マスク・フェイスシールド・ガウン・手袋・キャップ)を着て脱いで、また別のかたの対応で着て脱いで、を延々繰り返すことになる。 その方以外にも、普通に生活をしておられる入居者さんの対応も当然あるので、まぁようするにいつもの夜勤よりもかなりのキツさなのだ。 そこで、『感染者』と『濃厚接触者』のかたのみの対応をする、”+1名の夜勤者”をシフトに組み込むことになった。 その分、日勤者が少なくなるのは言うまでもないので、普段はシフトに1人としてカウントされていないぼくも夜勤に入ることにした。 初めて入居者さんから感染者が出て2日目、濃厚接触者のかたのうち2名が高熱を出し、検査の結果は陽性。感染者が3名になった。 濃厚接触者の残る1名は終日寝たきりで他のかたとの接触がほぼないことからお部屋の移動はせずにそのままのお部屋にいて頂くことになった。 2日目にして感染者3名・濃厚接触者1名の対応を引き続き行う。 次の日。フロアの職員から新たに陽性者1名。 さらに次の日。 職員1名、また別の居室の入居者さん1名が陽性。 この日も夜勤に入る。 そして次の日の夜勤明けで、ぼくは寒気を覚えた… 一番大変なタイミングで療養生活に… おうちに帰り、熱を測ると37.6℃。これはマズい。 すぐに調べて医療用の抗原検査キットを販売している最寄りのドラッグストアへ走る。ヒヤヒヤしながら検査をするとマイナス。 「よかった~」と思いつつもしんどいので、とりあえず昼寝。 そして… 夕方に起きたら39.6℃まで上がっていた。 すぐに施設へ連絡し、看護部長に状況を伝えると、『みなし陽性』ということで『感染者』と同じ扱いで、仕事を休むよう指示を受けた。 気分は最悪だった。 身体のしんどさとかより、めちゃくちゃ大変な時に介護部の責任者として現場に立てないことのツラさに押しつぶされそうになった。 だが、きっと感染しているであろう状態で出勤して、感染拡大させるわけにもいかない。「仕方ないことなんだ」と自分に言い聞かせた。 家族にも伝え、家庭内隔離をしてもらうことにした。ここでは施設での経験が大いに役立った。 結局、翌日の再検査で陽性が判明した。 陽性が確定することで、ホテル療養を申し込むことが出来た。 息子が大学受験、娘が高校受験の大詰めを迎えていたので、家にぼくがいて感染させるわけにはいかない。 そして翌日から1週間、ホテルでの療養生活がスタートした。 ホテル療養中にも、感染は拡大の一途をたどる ぼくの病状はホテルに行ってから5日目くらいまで微熱が続いていたが、寝込んでしまうほどのしんどさではなく、本を読んだり、パソコンしたり、テレビやYoutubeを見たりする余裕があり、むしろ快適だった。 そんな中で、施設で頑張ってくれているフロア主任と定期的に連絡を取っていた。その内容は悲惨なものだった。 毎日のように入居者さんの感染者が増えていき、それに伴い、同室のかたの濃厚接触者もまた増えていく。 対応してくれている職員もじょじょに感染していき、他フロアや、法人内の他施設から何名かヘルプに来てもらってなんとか業務をこなしているといった状況であった。 なかなか終息のメドが立たない状況で、それでも介護・看護が力を合わせて対応してくれている。 その中に自分がいないことの情けなさ。 この時ほど、自分の非力さを呪ったことはなかった。 ぼくが復帰するまで、なんとか耐えてほしい。復帰したら思いっきり働くからなんとか!という祈るような気持ちだった。 そして1週間… 復帰したぼくを待っていたのは、想像を超える現場の惨状であった。 それでも終わりはくる まるで戦場だった。 報告は受けていたが、まさかこれほどとは思ってもみなかった。 山積みの感染防護具、廃棄用ゴミ箱、消毒液。フロアに誰もいない。陽性者だらけでみなさん居室隔離。職員1人にかかる負担がヒドい。 「熱あります!」「検査して!」「陽性でした!」が当たり前。終わりの見えないトンネルに閉じ込められた気分だった… 主任はぼくの顔を見て安心したのか、ぼくが復帰した翌日に陽性になり、バトンタッチで休むことになった。あとはぼくが主任に代わってなんとか凌いでみせる番だった。 とりあえず、どの入居者さんがいつ感染対応解除になるのか、どの職員が自宅療養を終えて出勤できるのかを、1つずつ整理していきつつ、これ以上の拡大を防止すれば『あと〇日で完全に終息する』というのを明確にし、そこを目指して対応の徹底を改めて確認し合った。 入居者さんにしろ、職員にしろ、「熱がある」と聞くだけで「ビクッ」としてしまう。それでも「いや違う違う」と言い聞かす。 そんな気休めみたいなことばかり考えつつ、目の前の業務をひたすらこなしていると、なんとかピークが過ぎ、新たな陽性者が出ないという状況になってきた。自宅療養していた職員も少しづつ戻ってきた。 えらいもので、『感染者』や『濃厚接触者』の感染対策がみんなカンペキにできるようになっていった。通常の業務よりもいくつもやるべきことが増えたが、それすらも普通にこなせるようになってきた。 じょじょに入居者さんの対応が解けていく。職員の人数が元に戻っていく。 長かったトンネルの終わりが見えてくる。 そしてついに… 最初の感染者が出てから約1ヶ月半ほどで、感染の対応が必要なかたがゼロになった。 ほんとに長かったし、終わりが見えなかった。 ぼく自身も途中、離脱してしまって悔しい思いもした。それでも終わりがきたのである。 感染対応の物品を最後に撤収させた時、両手を広げて「終わったー!」と言ってしまった。 みんなも同じ気持ちだったように思う。 ほんとに過酷だった。それでも終わるんだなって思った。 これからも感染症と付き合っていかなければならない 振り返ってみると、職員がコロナに発症してしまったことは仕方がないし、そこから入居者さんが感染したことも防止できなかったと思う。 だが、施設内で感染が拡大してしまったのは、出来ていると思っていた対応が正確にきっちりと出来ていなかった事が原因ではないかと思う。 感染防護具の着脱や感染ゴミの扱い方など、最初からカンペキだったかと言われると、ぼく自身もはっきり言って自信がない。 今回のコロナクラスターの経験はとても厳しいものだったが、これで終わりではない。 コロナが2023年5月より『5類』という分類になり、これまでのような規制が緩和される。 だが、コロナがなくなるわけではないし、まだ見ぬ未知のウィルスが新たに発生するかも知れない。それでもぼくたちはそれらと共存していかないといけない。 その為にも正しい知識で適切に対応することがいかに大事かということを、今回の経験からは学んだ。 それにしてもキツかったぁ~!

  • 入浴拒否のYさんの心がゆるんだ話

    1ヶ月間、お風呂に入ってくれないYさんは、認知症の全くないおばあちゃん。「前におった施設でめっちゃ怖かってん」とのこと。 毎日お風呂にお誘いするが「やめとくわ」と拒否される。夜、パジャマに着替える時に、ちょこっと身体を拭かせて下さる程度。 どんな怖い思いをしたの?には「・・・」と無言になり、答えて下さらなかった… 入浴拒否の原因がつかめない 認知症が全くなくて普通に日常の会話が成立するYさん。 車椅子をご自分の足で漕いでフロア内を自由に動かれたり、手先が器用で洗濯物たたみなどのお手伝いを自ら職員に声をかけてして下さるくらい、しっかりされたかただった。 入居してから1ヶ月、周りの入居者さんとはあまり馴染もうとされなかったが、職員とはすぐに馴染んで仲良くなられた。 Yさんは手すりを掴んで立つことも出来るが、膝に力が入らずに数十秒で膝折れしてしまうので、トイレのお手伝いが必要だった。 だが、男性職員でもその介助はさせて頂けていたので、入浴を拒否されるのは「恥ずかしさ」ではないのはわかっていた。 つまり、ご本人がおっしゃるように、ほんとに「前にいた施設で怖い思い」をされたのだと思う。 入居されて以来1ヶ月間、誰がいつお声掛けさせて頂いても、入浴だけは絶対にして下さらなかった… 各部署の職員が集まってカンファレンスを開き、どうすれば入浴して下さるのかを話し合ったが、いい答えは出てこなかった。 突破口をこじ開けた、ある女性職員の行動 そんな状況の中、Yさんが特に心を許してる女性職員が、突然なにを思ったのか、洗面器にお湯を入れてYさんの居室に入って行った。 「お風呂に入るのが怖いのはわかりました。でもちょっと手をつけるだけです。やってみませんか?」Yさんはこの提案を受けてくれた。 女性職員はお湯の中でYさんの手のひらを優しくマッサージしたそうで、そのことを「すごく気持ちよかった」と喜んでおられた。 洗面器での『手浴』を何度かされた後、その流れで、次にその女性職員は『足浴』(洗面器でする足湯のようなもの)を提案。Yさんは「あんたがやってくれるんなら」と快諾された。 足浴も気持ちよかったらしく、「これええわ~」と大きな声で喜ばれた。手浴も足浴も2人きりの時間。何度も繰り返し行うことで、Yさんと女性職員の関係性がどんどんできあがっていく… そうこうしていると、突然、「シャワーやったらしてもええかな」とYさんからの申し出があったとのこと。 「もちろんあんたがやってな」とのオーダーだった。 女性職員はものすごい勢いで「部長!聞いて下さい!」と、報告に来てくれた。その時の嬉しそうな表情が忘れられない。 入居されて以来、入浴を拒否され続けてきたYさんがお風呂に入られる。 このことは施設全体の大きなニュースになった。 ただし、いろんな人が声をかけることでご本人の気持ちが変わってしまったらよくないので、全部署の責任者が集まり、Yさんにその話をしないということを全職員に統一することで意見を一致させた。 というわけで、Yさんとの話は女性職員だけが窓口になることになった。 Yさん入浴大作戦 女性職員が事前にお聞きしていた、Yさんの希望される入浴の時間は朝一番。「他の人の入った後の、濡れたお風呂場に入りたくない」とのこと。 他の入居者さんには申し訳ないが、その日はYさん以外のかたの入浴を午後からにして頂くことにした。 どのくらい時間がかかるかわからないので、2人が焦らず、ゆっくり時間を使えるようにお膳立てをしたのだ。 初日はほんとにシャワーで身体を流すだけだった為、その時間はすぐに終了した。Yさんは見たことのないような笑顔で、「あ~気持ちいい!」を連呼されていたそう。 ただし、身体を拭く段階で女性職員はちょっとした違和感を覚えたとのこと。 Yさんはシャワーで濡れた身体をバスタオルで拭かせて頂く際に、身体の部位を指さして「ここ」、「次はここ」と指定してこられたというのだ。 とりあえずその通りに拭かせて頂き、さらに髪の毛は洗っていなかったのでそこまで時間もかからずに終えることができた。が… 2回目のシャワーの日は身体をボディソープで洗わせて頂けた。 3回目では洗面器にためたお湯でお顔を自ら洗われた。 4回目で髪の毛にシャワーをかけさせて頂けた。 という具合に、少しずつ「Yさんのお風呂への恐怖心」がやわらいでいく毎に、させて頂けることが増えてきた。 その後、何度目かの時に髪の毛をシャンプー・リンスで洗わせて頂くことができ、さらに湯舟に使って頂くこともでき、ついに「普通の入浴」をして下さるようになった。 と、段階を経ていく毎に、Yさんの細かい指示もエスカレートしていった… 「普通の入浴」ができた日に要した時間は約1時間。Yさんとの関係性を築き上げてきた女性職員でさえ、あまりの細かい指示にぐったりしていた。 それもそのはず。洗う順番、流す時のシャワーの圧、湯舟のお湯加減、湯舟に浸かる時間、身体を拭く順番などなど… ただ、この女性職員がすごかったのは、入浴介助後すぐに場面場面を思い出しながら、手順をメモっていったこと。 そして、Yさんの入浴の前になるとそのメモを読み返し、じょじょにYさんの指示がくるよりも先にできるようになっていったのだ。 そうしてYさん専用の『入浴介助マニュアル』が完成したのである。 そこまで全てこの女性職員が対応してくれた後、それからはYさん了承の元で、女性職員が他の職員を連れてYさんの入浴介助に入らせて頂き、マニュアルの内容を伝授していった。 ぼくも教えてもらったが、まぁ細かいこと細かいこと。結局、全部覚えきれなかったくらいであった。 だが結果的に、フロアの職員全員がYさんの入浴を担当させて頂けるまでに至った。 Yさんの入浴時間は、浴室にお連れしてから髪の毛をドライヤーで乾かして浴室を出るまでで約30分にまで短縮することができた。 Yさんが朝風呂に一番で入るのは変わらなかったが、Yさんの為に他のかたに午後まで待って頂くといったことはなくなっていった。 しかも、思わぬ副産物までついてきた。 フロアの職員全員が、Yさんだけでなく、他の入居者さんへの入浴介助についても、これまで以上に丁寧に出来るようになったのだ。 入居から約3ヶ月、Yさんの『お風呂への恐怖心』を少しずつ溶かしてってくれたこの女性職員のこと、ほんとに尊敬しています。 入居者さんお一人お一人にとことんこだわって、最善の方法を探すことの大切さを後輩から教えてもらいました。 最初になんで「手浴」をしようと思いついたのか?を聞いてみましたが、「なんとなく」だったそうです。 ぼくだけが知っていたYさんのナイショ話 実は、女性職員が最初に洗面器を持ってYさんの居室に入っていった時、ぼくはすでに勝利を確信してました。 まだ入浴を拒否されていた頃、Yさんがぼくだけに、「誰にも言わんといてな…」とぶっちゃけてこられたことがあったからです。 15年の時を経て、Yさんとの約束をやぶって発表しちゃいます。ぼくにだけ打ち明けてくださったナイショ。それは、 「ほんまはお風呂、好きやねん」でした。 結局、Yさんの恐怖心の理由はわからずじまいでしたが、そこに触れる人は誰もいませんでした。 おわりに 15年の介護の管理職歴でつちかった知識や経験なんかを、ほっこりおもろい感じで発信しています。 暗いニュースばかりが目立つ介護業界ですが、介護職は「カッコよくてやりがいがある仕事」だって思って頂けるように、発信を続けたいと思います。

  • やんちゃな愛されキャラ

    認知症がひどくて、でもめっちゃ元気なAさん(女性)は、入居してからずっと「やんちゃ」を繰り返してた。 和室の畳をひっぺ返す。ウンチでカーテンをドロドロにする。造花を食べる。他の入居者さんのベッドに入ってケンカになる。全裸でリビングに出てくる。 「あぁもう!」といつも職員は振り回されていたが… 信じられない写真 ぼくがその施設に「介護部長」という管理職として就任した時、ある職員さんに信じられないような写真があるから見てほしいと言われて、見せられた写真には、小柄だがちょっとがっちりした体型のおばあさんが笑顔で立っている姿と、おばあさんの前に畳がひっくり返っているのが写っていた。 「これ、このAさんがご自分で(畳を)めくってひっくり返したんですよ」 と、笑いながらその職員さんは教えてくれた。 ぼくは、にわかに信じられなかった。素手で畳と畳の間に指を突っ込んで持ち上げてめくり、ひっくり返すというのは、ぼくのような身体の大きい男性でも結構、大変な作業だ。 それをここに写っているおばあさんがされたなんて。 「しかも、娘さんがこのAさんの面会に来られた時に、居室に入ったらこの状態だったってことで、笑いながら撮影した写真なんですよ」 さらに驚いた。 娘さん、ちょっとふざけすぎてやしないか。 この写真1枚で、一気にAさん親子に興味津々になったぼくは、早く娘さんが面会に来て下さらないかなと思っちゃっていた。 ただ、まだ施設の入居者さんのお一人お一人のお顔と名前も一致していない段階だったので、まずはAさんのことを詳しく知ることから始めようと思った。 常にやんちゃが炸裂するAさん Aさんは80代後半。身体は健康そのもので、ご自分でスタスタとハイスピードで歩かれる。立ったり座ったり、何なら床に寝そべったりも自由自在。 ただ、重度の認知症だった。 今がいつなのか、ここがどこなのか、目の前にいる人が誰なのか、何をすべきなのか、どうすればいいのか…あらゆることを認識できないがために、ご自分の置かれている状況が理解できず、正しい判断と正しい行動ができなくなっておられたのだ。 その結果、和室の畳をひっぺ返したり、手についたウンチをカーテンで拭いてドロドロにしたり、飾ってある造花を食べたり、他の入居者さんのベッドに入ってめちゃくちゃ怒鳴られてケンカになったり、全裸でいきなりリビングに出てこられたりと、まぁ「やんちゃ」の限りを尽くしていた。 はっきり言って、手についたウンチや、カーテンのウンチを洗うのなんてかなりめんどくさいし、手の届くところに造花などいろんなものを飾れなくなるし、他の方の居室に入ろうとされたらAさんを止めないといけないけど、歩くのが早すぎて、ちょっと目を離した瞬間におられなくなっていることなんてザラにあるし、全裸で出てこられたら、何をしてても最優先でAさんを居室にお連れして服を着て頂かないといけないし… つまり、誰よりも手がかかり、職員の手間を増やしてくれる方がAさんなのだ。 そして、そんなAさんなのに、なぜか人気があるのだ。 やんちゃが見つかって「あぁもう!」って言われてる時のAさんは、”してやったり”みたいにして笑ってる。 そして「ほら!またぁ!」って言いながら、やんちゃの後始末をする職員もやっぱり笑ってて、次は何してくれるんやろって密かに期待すらしてる感じだった。 娘さん登場 ある日、娘さんが面会に来られた。 ぼくはお会いしたことがなかったので挨拶させて頂くと、 「あぁ新しい部長さん、母がいつもお世話になってます!よろしくお願いします!変わった髪型してはりますね!ハハハハハ!」 みたいな感じで、初対面でいきなりぼくのマッシュルームカットをイジッてこられた。 サバサバして明るくて豪快な感じ。 一瞬で娘さんのキャラクターがわかった気がした。 と思ったらいきなり、 「もう!お母さん。しっかりしいや!」 と笑いながらAさんのお尻をポンッと叩いた。叩かれたAさんのほうもニコニコ笑ってた。 ぼくはこの親子のことが好きになった。 Aさんのアゴのヒゲ 施設には「バス旅行」や「秋祭り」といった、ご家族のみなさんも一緒に参加して頂ける大きなイベントがいくつかあり、娘さんは必ず参加して下さっていた。 ぼくはそういったイベントの統括指揮を取ることが多かったので、娘さんともお話させて頂く機会が増えていった。 Aさんと手をつなぎながらも悪態をつき、職員をねぎらい、いつも笑顔でイベントを楽しんでくださる娘さん。 娘さんがおられることで、イベント中は、やんちゃをされずにただひたすら笑顔のAさん。 ほんとに素敵なお2人だなって思って見ていた。 Aさんにはひとつの特徴があった。 アゴの左側に大きなイボがあり、そこから長~い一本のヒゲが常に生えているのだ。まるで「波平さん」みたいに。 長くなってきたら職員のほうで切ろうとするが、それはなぜか拒否されるAさん。 だが一ヶ月に一回、娘さんがお連れする美容室から戻られると、キレイに無くなっているのだ。 美容室でならOKなんやって思いつつ、でもAさんらしいなって思っていた。 Aさんとのお別れの時 そんなAさんでも高齢には抗えなかった。 いつの頃からか、少しずつ食事を食べなくなり、日中も寝ていることが多くなり、足元に力が入らなくなり、車椅子やオムツが必要になっていった。 面会のたびに、 「お母さん、しっかりせなあかんで!」 と声をかけておられた娘さんだったが、じょじょに弱っていかれるAさんを感じながら、施設での最期を希望された。 職員はお元気だった頃からのAさんの写真を厳選して、アルバム作りをし始めた。Aさんの居室に置いて、娘さんがいつでも見れるようにとのことだった。 どの写真にもいい笑顔で写るAさんがいた。 日に日に弱っていくAさんを前に、ある女性職員が言った言葉、 「何してくれてもいいから、また元気になってよ…」 は、みんなの気持ちを代弁していた。 その女性職員の言葉を聞き、Aさんの数々のやんちゃを思い出しては、思わず吹き出してしまうこともあった。 それからほどなく、Aさんは息を引き取られた。いよいよの時点で施設に泊まり込まれていた娘さんと、たくさんの職員に見守られながらの最期だった。 Dr.の死亡確認後、その場にいる誰もがこらえ切れずに涙する中、娘さんは、「お母さんお疲れ」と笑いながら、顔を両手で覆うようにして語りかけ、次の瞬間…イボのヒゲを、「ブチッ!」っと引っこ抜いたのだ。 時が一瞬止まった後、みんなが一斉に大爆笑。その場が一気にほぐれた。 葬儀屋さんがお迎えに来られた。お見送りの為に、たくさんの職員が施設の玄関まで降りた。 娘さんは、施設長やケアマネジャー、相談員、看護師など1人ずつに挨拶をして回られ、Aさんのフロアの介護職員にも笑顔で1人ずつ声を掛けて下さった。 介護職員はまた全員が泣いていた。 娘さんは、一番最後にぼくに声を掛けて下さった。 笑顔で「部長さん、ありがとうね。ここでお世話になって私たちほんまに幸せやわ」と言って下さった。 ぼくはまた、Aさんのやんちゃの数々、娘さんとAさんとのやり取りの数々、さきほどの「ヒゲ抜き」を思い出し、泣きながら笑った… 娘さんが遺影に使う為にと、施設で撮った中から選んだ写真のAさんは、やんちゃしてる時の無邪気な笑顔の、ヒゲのあるAさんでした。 あんな最期のお別れは、これまでもこれからも、きっとないんだろうなと、ぼくの心に強烈に刻まれています。 Aさんと娘さんからは、ほんとに多くの大切なものを頂いたような気がしています。 忘れがたい、10年前のお話です。

  • ウンチを渡そうとしてくるAさん

    認知症のAさん(男性)は、夜中にウンチを渡そうとしてくる。職員が手袋をしてウンチを取ろうとするとご立腹。 「無理やり手を洗わせて頂くんですけど、めっちゃ抵抗されるんです」とみんな途方に暮れていた。 状況がよくわからんので、ぼくが夜勤に入ってみる。が、初日は空振り。後日迎えた2回目… 1スタッフとして現場に入るまでの準備と心構え 普段は介護部の責任者として、事務的な仕事がほとんどのぼくは、実際に1スタッフとして現場に入るのは稀なことである。 人員不足などでヘルプせざるを得ない時には、事前に担当するところの入居者さんの情報や、業務の流れなどを確認するようにしている。 情報さえきっちりと教えてもらっておけば、いろいろなお手伝いなどは経験があるのでどうにかなるのだが、逆に情報がないと何をすればいいのかわからない状態になる為、はっきり言うと使い物にならないのだ。 責任者として、後輩から「使い物にならない」というレッテルを貼られると、その後、言葉に説得力を持たせることが出来なくなる為、何としても避けたいところ。 この時も、夜勤に入ってみると決めてから準備を入念にして臨んだ。だが、初日はAさんの「ウンチを渡してくる行為」はなく、空振りに終わった。 それが良かった。久しぶりの夜勤の感覚を掴むことが出来たし、入居者さんの夜のご様子を知ることが出来た。業務の流れも把握した。 Aさんに対して、「今日こそは来てくれないかな」という気持ちで2回目の夜勤を迎えられたのは、気持ちの余裕を持てたという点で、とても良かった。 そしてその時は訪れた このエピソード当時の夜勤の勤務時間は、夕方の17:00~翌朝の10:00まで。 夕食前から業務に入り、夕食、歯磨き、トイレ(オムツ交換)、就寝の準備、寝る前のお薬、就寝という感じで、だいたい22:00頃までには、入居者さんのみなさんは、眠りにつかれる。 情報によると、Aさんが例の行動をされるのは、夜中の2:00頃が多いとのこと。 とりあえずAさんが動かれるより前に、夜勤中にすべき雑務を終わらせていく。このあたりは、1回目に夜勤に入ったことで、スムーズにこなすことができた。 一方、なかなかAさんは起きてこられず、2:00にみなさんの居室を巡視した際にもよく眠っておられた。 「今日も空振りかな」と思っていたが… 夜中の4:00頃、廊下の向こうに人影が見えた。 右半身麻痺の為、右足を引きずって歩くシルエットは間違いなくAさん。じょじょにこちらに近づいて来られる。 左手が上に向いているのがわかる。その上に何かを乗せておられるのもわかる。 目の前まで来られるにつれ、乗っていた黒い物体が確認できた。まぎれもなくウンチだった。 それを、受け取れといわんばかりに「っん!っん!」と、ぼくに差し出してこられる。 「ほんまや!何で?」「何でこんなことされるんやろう?」 行動のヒントは居室にあった Aさんは、認知症からくる失語症でしゃべれない。なので、この行動がどういう意味なのかお聞き出来ないし、言葉から推測することも出来ないのだ。 手のひらにウンチが乗っているので、すぐに取って手を洗ってさしあげたいのだが、手袋をして受け取ろうとすると、事前の情報通り、やっぱり「うーーん!!」といって怒って取らせて頂けない。 「うーん、どういうことやろ?どういう意味があるんやろ?」と思いつつ、廊下でAさんとのやり取りをしていると、他の入居者さんにご迷惑をおかけしまうおそれがあるので、なんとなくAさんを居室にお連れすることにした。 「居室に何かヒントはないんかな?」とも思いつつ… 灯りをつけて居室の中を見渡すと、観音開きの扉が開いたり、ロウソクを立てる受け皿?が倒れていたりと、お仏壇が乱れているような気がした。 さっきまで(の巡視で)そんな感じやったかな?なんか普通やったような… 念のため、Aさんの顔を見て「お仏壇ですか?」と聞くと、ウンウンとうなずかれた。 やっぱりそうか… でも何? お仏壇が何かあるんかな?… !!! 考えて考えてようやく気付く。念のため、お声掛けさせて頂く。ウンチを指して「お供えってことですか?」 すると、ウンウンとこれまでになくうなずかれた。 やっぱそういうことやったんや! ついテンションが上がり、「わっかりました!」と言って、手袋で受け取ろうとすると、やっぱりご立腹で渡して下さらない。 マジか…素手じゃないとダメってこと? 「大事なお供え物を汚いもの扱いして、手袋で触ろうとするなんて!」っていう感じなのかな? 汚いもの扱いとか、手袋の意味とかは理解されるんや。 なんて思いつつ、覚悟を決めて手袋を外し、Aさんの前にぼくは左手を差し出した。 すると、Aさんはウンチを渡して下さった。 若干、罰当たりな気持ちになったが、そのウンチをお仏壇の前に供えるように置いた。 それを見たAさんは笑顔になられた。 「手を洗いましょうか?」とお聞きして洗面台にお連れすると、すんなり手を洗わせて頂けた。それからベッドにご案内し、横になって頂くとほどなくお休みになられた。 原因を取り除くことで理解できない行動が消えた 夜勤明けでフロアの職員に聞くと、「そういえばお仏壇が乱れてることありました」と数人が気付いていたことがわかった。 だが、ウンチを渡してくる行為とは結び付かず、誰もがあまり気にせずに扉を閉めたりして、整えていたとのことだった。 Aさんのご家族は、Aさんが施設に入居されてからほとんど面会に来られていなかった。当然、差し入れなどもないので、お供え物も入居時以来、何もなかった。 Aさんは失語症である為、普段からどのようなことを思って施設で生活をされているのかが掴めていなかった。 しかも、ちょっとしたことでご立腹なさる性格のかたでもあったので、お仏壇にはあまり触ってはいけないという思いがみんなの中にあったのだ。 ウンチを渡そうとされる行為が現れてきた時も、何故そういう行為をされているのかが、誰も想像できなかった。 その日から、職員がお仏壇のお世話をさせて頂き、施設のおやつの余りなどをお供えすることで、ウンチを渡そうとしてくる行動はなくなった。 改めて、認知症のかたの行動には意味があり、その原因を取り除くことで不可解な行動は消失するんだということを実感した。 そして、その原因を解き明かすヒントは、そのかたの微妙な表情の変化や、生活環境などにひそんでいることがあるというのも学べた事例でもあった。 Aさんへの対応がうまくいき、翌朝、フロアのみんなに報告した時の「部長もなかなかやるやん」って感じが忘れられない。 介護という仕事が楽しいって思えた、14年ほど前のエピソードでした。 Aさんのその後 失語症ということに加え、ご自分から何かを訴えてこられるということが、このウンチを渡してこられるという行動以外になかったAさん。 そしてちょっとしたことで「うーーん!」とご立腹なさるので、施設入居以来、職員みんながどのように接するべきか戸惑っていた。 食事やトイレ、入浴のお声掛けなどには、すんなり応じて下さるので、ケアに困るということはなかったが、普段からのコミュニケーションという点で難しさを感じていた。 この一件がきっかけで、こちらから質問をさせて頂き、ウンウンと頷かれると正解、「うーーん!」とご立腹なさると不正解というコミュニケーションに、みんなが慣れていった。 怒りはあらわにされても、だからって暴力とかそういった行動をされる方ではない、ということがわかったのだ。 適度な距離感が掴め、コミュニケーションも取れるようになったことで、Aさんは「笑顔のとっても素敵な優しいおじいちゃん」として職員みんなから愛される存在になられた。

  • 介護職員の夜勤のこと〜たっつんのほっこり介護日記〜

    夜勤の日の朝は、いつもよりのんびりできる。仕事とは言っても、22時からの開始だからだ。 ただし、普通の休日とも違う。夜勤開始まで、徹夜で働くのに備えて身体を極力休めておく必要があるからだ。 というわけで、どこかに出かけるようなことはせず、できるだけ昼寝の時間を確保のに専念することになる… 夜勤開始までのこと ただ、会議中なんかはすぐに眠くなるのに対して、いざがっつり昼寝しようと思うと、これがなかなかできないのだ。 外が明るいし、家族がいる場合もある。ついつい本を読んだり、Youtubeを見てしまったりする間に時間はどんどん過ぎ、気付いたら15時みたいなことがよくある。 そして慌てて目を閉じる。 それでもなかなか寝つけずに、寝れたと思ったら18時には目が覚める。結局、よく寝れて2時間みたいな感じになることも多いのだ。 22時には勤務を開始することになるので、最低でも10分前にはフロアで遅出勤務の職員さんから、その日の情報の「申し送り」を受けたい。 そこから逆算して、晩ご飯を食べ、お風呂に入り、洗濯物をたたむくらいは終わらせた上で、その他もろもろの支度をするということの時間配分を決めてやっていく。 で、おうちを出発し、施設に向かう。 夜勤前のおうちでの過ごし方で、どれだけHPを温存した上で夜勤に臨めるかが変わってくるので、かなり重要であると捉えている。 夜勤開始から0時まで 施設に到着するまでの道中も、「夜勤しんどいなぁ。めんどくさいなぁ。なんとか誰かと代わってもらえないかなぁ。」なんて考えている。 そんな願いもむなしく施設が見えてくる。玄関から入り、自分のロッカーで制服に着替えた段階で諦めがつき、「よしっ、朝まで頑張るしかないな」みたいな感じで覚悟が決まる。 タイムカードを押し、自分が勤務するフロアへ。廊下はうす暗く、入居者のみなさんの姿は見えない。22時までの勤務の職員さんが、夜のご様子について記録をつけている。 詰所(そのフロアの事務所のようなところ)に入り、業務連絡が書いてある「申し送りノート」に目を通す。それから遅出の職員さんに、その日一日の入居者さんのご様子を聞く。 体調の悪いかた、いつもと違うご様子のかた、ショートステイ(数日だけ施設に泊まりに来られること)のかた。夜間、特に注意してご様子を見させて頂くべきかたの情報をメモりつつ、頭に入れる。 申し送りが終わり、22時が過ぎると遅出の職員さんは勤務を終えて帰っていく。フロアには自分も含めた夜勤者だけになる。 夜勤者同士で声を掛け合い、「何かあればお願いします」という感じで協力体制を確認して持ち場につく。 自分が担当するエリアの入居者さんのご様子をお一人ずつ確認して回る(巡視)。 22時過ぎの時点でほとんどのかたがすでに寝ておられるが、たまにテレビを見たりして起きておられるかたもいる。体調不良のかたは特に注意してご様子を確認する。 朝まで何事もないことを願いつつ、1回目の巡視を終える。 お一人お一人が一日に使用するオムツを用意して各居室に配って回ったり、食事用のエプロンを干したり、洗濯物をたたんだりといった雑務をしているとすぐに時間が経過する。 夜勤中のメインの仕事は、ご用のあるかたが押して知らせて下さるナースコールに対応すること、巡視、オムツ交換、ご自身で身体を自由に動かすことの出来ないかたの身体の向きを変えさせて頂くこと(体位交換)である。 巡視は2時間ごと、そのタイミングでオムツ交換の必要なかた、体位交換の必要なかたにそれぞれ対応する。 オムツ交換は、お一人お一人の体格やオシッコの量、出るタイミングなどを考慮して、適切なサイズ・吸収量のオムツを選び、適切な時間帯での交換を決めていく。 なので、巡視ごとにオムツ交換をさせて頂くかたは一律ではないし、お一人お一人に、より適した交換のタイミングがわかってくるので常に変化する。 夜間帯に1回しか交換しないかたもいれば、3回交換するというかたもいる。 一方、体位交換については、2時間ごとに身体の向きを変えないと、同じ部位に体重による圧力がかかり続けることになり、褥瘡(じょくそう)=床ずれが発生する原因となってしまう。 この為、巡視ごとに必要なかた全員に体位交換をさせて頂くことになる。 簡単に表現すると、 22時:全入居者さん(20名)の巡視 オムツ交換5名 体位交換8名 0時:20名の巡視 オムツ交換6名 体位交換8名 2時:20名の巡視 オムツ交換5名 体位交換8名 4時:20名の巡視 オムツ交換4名 体位交換8名 6時:20名の巡視 オムツ交換6名 体位交換8名   といった感じ。オムツ交換の人数が時間ごとに変わる。 ただオムツ交換に関しては、ナースコールで「出たから交換して」と自ら言われて交換させて頂いたり、居室に入った瞬間にウンチのニオイがしているので、交換のタイミングじゃないけど交換させて頂いたり、というイレギュラーに常に対応するので、決められた通りだけで済むことはほぼない。 というわけで、0時の巡視に回る。この巡視が終わる頃にはみなさんが深く眠りにつかれ、フロアがより静かになっていく感じを受ける。 0時~4時まで フロアで勤務している夜勤者は施設の入居者さんの人数によって違いがあるが、だいたいこの時間帯に、順に声を掛け合って休憩することが多い。 自分の担当するエリアに加えて、休憩中の夜勤者が担当するエリアのナースコールにも対応する。1時間ほどの休憩をそうやって回す。 ちょうど2時のタイミングで休憩に入る夜勤者が担当するエリアの巡視と体位交換は、休憩していない夜勤者が担い、オムツ交換だけは休憩後の職員がちょっと時間をズラして回ることになる。 穏やかな夜は、ほんとにただただ静まり返り、待機しながら普段できない書類の整理をしたりする時間を確保出来たりもする。 だが、ナースコールを何度も押してこられるかたや、落ち着かれずに何度もベッドから立ちあがって転倒のリスクが高いかた、大きな独り言をずっとしゃべっておられるかたなど、認知症からくるそういった症状が出るのもこの時間が多い。 なんとか落ち着いて寝て頂くような関わりをするが、なかなか落ち着いて下さらず、結局、朝まで対応が必要な場合もある。 ”その日”に当たってしまったらほんとにヘトヘトになってしまうが、こればかりは誰にも読めない。 夜勤者全員の休憩が終わると、再びそれぞれ担当するエリアだけの業務に集中する。 4時~6時 各自、休憩を終えて4時の巡視に回る。 休憩を取ったにも関わらず、この巡視が終わってからの時間帯が、ぼくは一番睡魔に襲われる。「もうすぐ夜が明ける」という安心感からくるのかも知れない。 「眠いなぁ」と言いながら、朝の準備を始める。 食事用のエプロンの用意、顔拭きタオルの用意、お茶ゼリー(飲み込む力が弱いかた用の水分として)をタッパーからマグカップに取り分ける、朝食後の歯磨きの為の歯ブラシとコップの準備、ゴミの回収と新しいゴミ袋の設置、夜間帯のお一人お一人のご様子を記録に残すなどなど。 6時以降~ 6時になると、ボチボチ起きてこられるかたがおられる。 ナースコールを押して「起こしてくれる?」と呼ばれるのでそのかたの居室に行き、朝の支度をお手伝いさせて頂く。 これまでの生活習慣から、目覚められるかたはだいたい順番まで決まってくる。 夜勤者もその順番を把握していて、まずはAさん、次にBさんという感じで居室に伺い、起きられるかどうかをお聞きする。 「まだ寝とくわ」という場合は「また後で来ますね」とお答えし、「もう起きるわ」という場合にそのお手伝い。 お一人目のかたがリビングに出てこられたタイミングで照明をつけ、カーテンを開ける。テレビを付けさせて頂き、お湯で温めた顔拭きタオルをお渡しする。 起きると希望されたかたに起きてリビングに出てきて頂いたあとは、そのかたがたの体温と血中酸素濃度(血液に含まれる酸素量)を測定し、体調の確認をする。 当日が入浴の日に当たっている場合は、血圧と脈拍も同時に測る。 そうこうしていると7時前になり、早出の職員さんが出勤してくる。その姿を見ると心底ホッとする。 早出の職員さんに夜間の入居者さんのご様子を伝え、まだしていない記録をして、夜勤の業務が終わる。 夜勤明け 夜勤に入る前はほんとに毎回、「しんどいなぁ」「めんどくさいなぁ」と嫌な気持ちになるのに、夜勤明けの「あぁ終わった~」という開放感はめっちゃ好き。 帰りには、自分へのご褒美として朝マックに寄ってしまうことも多いし、おうちに帰ってからダラダラ過ごすのも最高に気持ちいい。 夜勤について 夜勤は怖い。 特に体調不良のかたがおられたり、いつ亡くなられてもおかしくないような状態で「施設での看取り」を希望されているかたがおられると、「何かあったらどうしよう」という気持ちになる。 介護士を18年やっているが、その感覚に慣れることはない。だからこそ、何事もなく朝を迎えられた時の安心感が半端ないのかも知れない。 今日もまた、全国で夜勤に入っている介護士さんがたくさんいると思うと、勝手に仲間意識が芽生えてくる。

  • コロナがほんとにキツかった件

    まるで戦場です。1週間のコロナ療養中も報告は受けていた。 が、まさかこれほどとは…山積みの感染防護具、廃棄用ゴミ箱、消毒液。フロアに誰もいない。 陽性者だらけでみなさん居室隔離。職員1人にかかる負担がヒドい。「熱あります!」「検査して!」「陽性でした!」が当たり前。 終わりの見えないトンネルに閉じ込められた気分だった… 兆しは突然に現れた… 施設職員の徹底した感染対策のおかげで、周りの施設の入居者さんがコロナに発症したという情報を何度となく聞きながら、ぼくの勤務する施設ではほとんど発症者を出すことなく平和だった。 だがやはり、完全に防止することは不可能だった。 2023年の1月。 職員2名が同時にコロナに発症し、その2名が勤務するフロアで、ついに入居者さんの中から感染者が出てしまったのである。 施設はわりと年季が入っていて、個室もあるが全室ではない。 もともとは4人部屋だったところを建具で仕切って個室のようにしているという造りのお部屋もあって、建具は天井に「つっぱり棒のデカいやつ」のような感覚で固定されている為、部屋の天井に近い部分はツーツーになっている。 発症されたかたはその4人部屋のかただった。その造りが災いし、発症した1名のかたと同室の3名のかたが『濃厚接触者扱い』になった。 『感染者』は、たまたま空いていた個室に移動して頂き、個別対応。同室ということで『濃厚接触者』になられたかた3名をそのままのお部屋で見させて頂く。 お昼間は職員がまだ多く出勤している為、感染者・濃厚接触者の対応をしてもどうにか業務が成立するが、問題は夜間帯。 夜勤者が1名で対応するのがかなりの負担になる。 感染対応をしているかたのお手伝いをする際には、感染防護具(マスク・フェイスシールド・ガウン・手袋・キャップ)を着て脱いで、また別のかたの対応で着て脱いで、を延々繰り返すことになる。 その方以外にも、普通に生活をしておられる入居者さんの対応も当然あるので、まぁようするにいつもの夜勤よりもかなりのキツさなのだ。 そこで、『感染者』と『濃厚接触者』のかたのみの対応をする、”+1名の夜勤者”をシフトに組み込むことになった。 その分、日勤者が少なくなるのは言うまでもないので、普段はシフトに1人としてカウントされていないぼくも夜勤に入ることにした。 初めて入居者さんから感染者が出て2日目、濃厚接触者のかたのうち2名が高熱を出し、検査の結果は陽性。感染者が3名になった。 濃厚接触者の残る1名は終日寝たきりで他のかたとの接触がほぼないことからお部屋の移動はせずにそのままのお部屋にいて頂くことになった。 2日目にして感染者3名・濃厚接触者1名の対応を引き続き行う。 次の日。フロアの職員から新たに陽性者1名。 さらに次の日。 職員1名、また別の居室の入居者さん1名が陽性。 この日も夜勤に入る。 そして次の日の夜勤明けで、ぼくは寒気を覚えた… 一番大変なタイミングで療養生活に… おうちに帰り、熱を測ると37.6℃。これはマズい。 すぐに調べて医療用の抗原検査キットを販売している最寄りのドラッグストアへ走る。ヒヤヒヤしながら検査をするとマイナス。 「よかった~」と思いつつもしんどいので、とりあえず昼寝。 そして… 夕方に起きたら39.6℃まで上がっていた。 すぐに施設へ連絡し、看護部長に状況を伝えると、『みなし陽性』ということで『感染者』と同じ扱いで、仕事を休むよう指示を受けた。 気分は最悪だった。 身体のしんどさとかより、めちゃくちゃ大変な時に介護部の責任者として現場に立てないことのツラさに押しつぶされそうになった。 だが、きっと感染しているであろう状態で出勤して、感染拡大させるわけにもいかない。「仕方ないことなんだ」と自分に言い聞かせた。 家族にも伝え、家庭内隔離をしてもらうことにした。ここでは施設での経験が大いに役立った。 結局、翌日の再検査で陽性が判明した。 陽性が確定することで、ホテル療養を申し込むことが出来た。 息子が大学受験、娘が高校受験の大詰めを迎えていたので、家にぼくがいて感染させるわけにはいかない。 そして翌日から1週間、ホテルでの療養生活がスタートした。 ホテル療養中にも、感染は拡大の一途をたどる ぼくの病状はホテルに行ってから5日目くらいまで微熱が続いていたが、寝込んでしまうほどのしんどさではなく、本を読んだり、パソコンしたり、テレビやYoutubeを見たりする余裕があり、むしろ快適だった。 そんな中で、施設で頑張ってくれているフロア主任と定期的に連絡を取っていた。その内容は悲惨なものだった。 毎日のように入居者さんの感染者が増えていき、それに伴い、同室のかたの濃厚接触者もまた増えていく。 対応してくれている職員もじょじょに感染していき、他フロアや、法人内の他施設から何名かヘルプに来てもらってなんとか業務をこなしているといった状況であった。 なかなか終息のメドが立たない状況で、それでも介護・看護が力を合わせて対応してくれている。 その中に自分がいないことの情けなさ。 この時ほど、自分の非力さを呪ったことはなかった。 ぼくが復帰するまで、なんとか耐えてほしい。復帰したら思いっきり働くからなんとか!という祈るような気持ちだった。 そして1週間… 復帰したぼくを待っていたのは、想像を超える現場の惨状であった。 それでも終わりはくる まるで戦場だった。 報告は受けていたが、まさかこれほどとは思ってもみなかった。 山積みの感染防護具、廃棄用ゴミ箱、消毒液。フロアに誰もいない。陽性者だらけでみなさん居室隔離。職員1人にかかる負担がヒドい。 「熱あります!」「検査して!」「陽性でした!」が当たり前。終わりの見えないトンネルに閉じ込められた気分だった… 主任はぼくの顔を見て安心したのか、ぼくが復帰した翌日に陽性になり、バトンタッチで休むことになった。あとはぼくが主任に代わってなんとか凌いでみせる番だった。 とりあえず、どの入居者さんがいつ感染対応解除になるのか、どの職員が自宅療養を終えて出勤できるのかを、1つずつ整理していきつつ、これ以上の拡大を防止すれば『あと〇日で完全に終息する』というのを明確にし、そこを目指して対応の徹底を改めて確認し合った。 入居者さんにしろ、職員にしろ、「熱がある」と聞くだけで「ビクッ」としてしまう。それでも「いや違う違う」と言い聞かす。 そんな気休めみたいなことばかり考えつつ、目の前の業務をひたすらこなしていると、なんとかピークが過ぎ、新たな陽性者が出ないという状況になってきた。自宅療養していた職員も少しづつ戻ってきた。 えらいもので、『感染者』や『濃厚接触者』の感染対策がみんなカンペキにできるようになっていった。通常の業務よりもいくつもやるべきことが増えたが、それすらも普通にこなせるようになってきた。 じょじょに入居者さんの対応が解けていく。職員の人数が元に戻っていく。 長かったトンネルの終わりが見えてくる。 そしてついに… 最初の感染者が出てから約1ヶ月半ほどで、感染の対応が必要なかたがゼロになった。 ほんとに長かったし、終わりが見えなかった。 ぼく自身も途中、離脱してしまって悔しい思いもした。それでも終わりがきたのである。 感染対応の物品を最後に撤収させた時、両手を広げて「終わったー!」と言ってしまった。 みんなも同じ気持ちだったように思う。 ほんとに過酷だった。それでも終わるんだなって思った。 これからも感染症と付き合っていかなければならない 振り返ってみると、職員がコロナに発症してしまったことは仕方がないし、そこから入居者さんが感染したことも防止できなかったと思う。 だが、施設内で感染が拡大してしまったのは、出来ていると思っていた対応が正確にきっちりと出来ていなかった事が原因ではないかと思う。 感染防護具の着脱や感染ゴミの扱い方など、最初からカンペキだったかと言われると、ぼく自身もはっきり言って自信がない。 今回のコロナクラスターの経験はとても厳しいものだったが、これで終わりではない。 コロナが2023年5月より『5類』という分類になり、これまでのような規制が緩和される。 だが、コロナがなくなるわけではないし、まだ見ぬ未知のウィルスが新たに発生するかも知れない。それでもぼくたちはそれらと共存していかないといけない。 その為にも正しい知識で適切に対応することがいかに大事かということを、今回の経験からは学んだ。 それにしてもキツかったぁ~!

  • 入浴拒否のYさんの心がゆるんだ話

    1ヶ月間、お風呂に入ってくれないYさんは、認知症の全くないおばあちゃん。「前におった施設でめっちゃ怖かってん」とのこと。 毎日お風呂にお誘いするが「やめとくわ」と拒否される。夜、パジャマに着替える時に、ちょこっと身体を拭かせて下さる程度。 どんな怖い思いをしたの?には「・・・」と無言になり、答えて下さらなかった… 入浴拒否の原因がつかめない 認知症が全くなくて普通に日常の会話が成立するYさん。 車椅子をご自分の足で漕いでフロア内を自由に動かれたり、手先が器用で洗濯物たたみなどのお手伝いを自ら職員に声をかけてして下さるくらい、しっかりされたかただった。 入居してから1ヶ月、周りの入居者さんとはあまり馴染もうとされなかったが、職員とはすぐに馴染んで仲良くなられた。 Yさんは手すりを掴んで立つことも出来るが、膝に力が入らずに数十秒で膝折れしてしまうので、トイレのお手伝いが必要だった。 だが、男性職員でもその介助はさせて頂けていたので、入浴を拒否されるのは「恥ずかしさ」ではないのはわかっていた。 つまり、ご本人がおっしゃるように、ほんとに「前にいた施設で怖い思い」をされたのだと思う。 入居されて以来1ヶ月間、誰がいつお声掛けさせて頂いても、入浴だけは絶対にして下さらなかった… 各部署の職員が集まってカンファレンスを開き、どうすれば入浴して下さるのかを話し合ったが、いい答えは出てこなかった。 突破口をこじ開けた、ある女性職員の行動 そんな状況の中、Yさんが特に心を許してる女性職員が、突然なにを思ったのか、洗面器にお湯を入れてYさんの居室に入って行った。 「お風呂に入るのが怖いのはわかりました。でもちょっと手をつけるだけです。やってみませんか?」Yさんはこの提案を受けてくれた。 女性職員はお湯の中でYさんの手のひらを優しくマッサージしたそうで、そのことを「すごく気持ちよかった」と喜んでおられた。 洗面器での『手浴』を何度かされた後、その流れで、次にその女性職員は『足浴』(洗面器でする足湯のようなもの)を提案。Yさんは「あんたがやってくれるんなら」と快諾された。 足浴も気持ちよかったらしく、「これええわ~」と大きな声で喜ばれた。手浴も足浴も2人きりの時間。何度も繰り返し行うことで、Yさんと女性職員の関係性がどんどんできあがっていく… そうこうしていると、突然、「シャワーやったらしてもええかな」とYさんからの申し出があったとのこと。 「もちろんあんたがやってな」とのオーダーだった。 女性職員はものすごい勢いで「部長!聞いて下さい!」と、報告に来てくれた。その時の嬉しそうな表情が忘れられない。 入居されて以来、入浴を拒否され続けてきたYさんがお風呂に入られる。 このことは施設全体の大きなニュースになった。 ただし、いろんな人が声をかけることでご本人の気持ちが変わってしまったらよくないので、全部署の責任者が集まり、Yさんにその話をしないということを全職員に統一することで意見を一致させた。 というわけで、Yさんとの話は女性職員だけが窓口になることになった。 Yさん入浴大作戦 女性職員が事前にお聞きしていた、Yさんの希望される入浴の時間は朝一番。「他の人の入った後の、濡れたお風呂場に入りたくない」とのこと。 他の入居者さんには申し訳ないが、その日はYさん以外のかたの入浴を午後からにして頂くことにした。 どのくらい時間がかかるかわからないので、2人が焦らず、ゆっくり時間を使えるようにお膳立てをしたのだ。 初日はほんとにシャワーで身体を流すだけだった為、その時間はすぐに終了した。Yさんは見たことのないような笑顔で、「あ~気持ちいい!」を連呼されていたそう。 ただし、身体を拭く段階で女性職員はちょっとした違和感を覚えたとのこと。 Yさんはシャワーで濡れた身体をバスタオルで拭かせて頂く際に、身体の部位を指さして「ここ」、「次はここ」と指定してこられたというのだ。 とりあえずその通りに拭かせて頂き、さらに髪の毛は洗っていなかったのでそこまで時間もかからずに終えることができた。が… 2回目のシャワーの日は身体をボディソープで洗わせて頂けた。 3回目では洗面器にためたお湯でお顔を自ら洗われた。 4回目で髪の毛にシャワーをかけさせて頂けた。 という具合に、少しずつ「Yさんのお風呂への恐怖心」がやわらいでいく毎に、させて頂けることが増えてきた。 その後、何度目かの時に髪の毛をシャンプー・リンスで洗わせて頂くことができ、さらに湯舟に使って頂くこともでき、ついに「普通の入浴」をして下さるようになった。 と、段階を経ていく毎に、Yさんの細かい指示もエスカレートしていった… 「普通の入浴」ができた日に要した時間は約1時間。Yさんとの関係性を築き上げてきた女性職員でさえ、あまりの細かい指示にぐったりしていた。 それもそのはず。洗う順番、流す時のシャワーの圧、湯舟のお湯加減、湯舟に浸かる時間、身体を拭く順番などなど… ただ、この女性職員がすごかったのは、入浴介助後すぐに場面場面を思い出しながら、手順をメモっていったこと。 そして、Yさんの入浴の前になるとそのメモを読み返し、じょじょにYさんの指示がくるよりも先にできるようになっていったのだ。 そうしてYさん専用の『入浴介助マニュアル』が完成したのである。 そこまで全てこの女性職員が対応してくれた後、それからはYさん了承の元で、女性職員が他の職員を連れてYさんの入浴介助に入らせて頂き、マニュアルの内容を伝授していった。 ぼくも教えてもらったが、まぁ細かいこと細かいこと。結局、全部覚えきれなかったくらいであった。 だが結果的に、フロアの職員全員がYさんの入浴を担当させて頂けるまでに至った。 Yさんの入浴時間は、浴室にお連れしてから髪の毛をドライヤーで乾かして浴室を出るまでで約30分にまで短縮することができた。 Yさんが朝風呂に一番で入るのは変わらなかったが、Yさんの為に他のかたに午後まで待って頂くといったことはなくなっていった。 しかも、思わぬ副産物までついてきた。 フロアの職員全員が、Yさんだけでなく、他の入居者さんへの入浴介助についても、これまで以上に丁寧に出来るようになったのだ。 入居から約3ヶ月、Yさんの『お風呂への恐怖心』を少しずつ溶かしてってくれたこの女性職員のこと、ほんとに尊敬しています。 入居者さんお一人お一人にとことんこだわって、最善の方法を探すことの大切さを後輩から教えてもらいました。 最初になんで「手浴」をしようと思いついたのか?を聞いてみましたが、「なんとなく」だったそうです。 ぼくだけが知っていたYさんのナイショ話 実は、女性職員が最初に洗面器を持ってYさんの居室に入っていった時、ぼくはすでに勝利を確信してました。 まだ入浴を拒否されていた頃、Yさんがぼくだけに、「誰にも言わんといてな…」とぶっちゃけてこられたことがあったからです。 15年の時を経て、Yさんとの約束をやぶって発表しちゃいます。ぼくにだけ打ち明けてくださったナイショ。それは、 「ほんまはお風呂、好きやねん」でした。 結局、Yさんの恐怖心の理由はわからずじまいでしたが、そこに触れる人は誰もいませんでした。 おわりに 15年の介護の管理職歴でつちかった知識や経験なんかを、ほっこりおもろい感じで発信しています。 暗いニュースばかりが目立つ介護業界ですが、介護職は「カッコよくてやりがいがある仕事」だって思って頂けるように、発信を続けたいと思います。