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2023年8月の記事一覧

  • 思い通りに身体が動かないAさんのイライラ

    認知症はないが、首から下が全く動かなくなっていく難病を患ってるAさん(女性)のイライラが止まらない。 居室で横になられる時は、ナースコールを左肩の上あたりに置き、ほっぺたで押せるようにセットする。 が、ちょっとでもズレたら、押したくても押せずに大声で職員を呼ぶことになる… 筋萎縮性側索硬化症(ALS) Aさんの難病、『筋萎縮性側索硬化症(ALS)』は、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく病気。 しかし、筋肉そのものの病気ではなく、筋肉を動かし、かつ運動をつかさどる神経が主に障害を受けた結果、脳から「手足を動かせ」といった命令が伝わらなくなることにより、力が弱くなり、筋肉がやせていくという病気である。 一方で、身体の感覚、視力や聴力、内臓機能などはすべて保たれることが一般的とされている。 日本では50歳~74歳という、比較的若い時期に発症する人が多く、実際にAさんも70代前半のかたであった。 思い通りにならないイライラ 居室で横になっていて、ナースコールを押したくても押せなくなってしまった場合は大声で職員を呼ぶことになるが、他の業務をしている中、なかなか声は届かない。 結果的には、2時間ごとの職員の巡視が来るまで待たざるを得ない状況になる。ナースコールに細工を施してズレないように対策を取るが、どうしても上手くいかない場合もあった。 車椅子はリクライニング式のものを購入して使っておられたが、身体がズレてくることから長時間座っていられない。首にも力が入らないので、バランスが崩れるとグランと頭が落ちてしまう。 頭を安定して支えるサポート(U字になっていて後頭部を包むように支えるもの)もついているが、食事前にそのサポートに真っ直ぐに頭をもたれられるようにしないと、水分をストローで飲もうとしてお口で迎えに行こうとされるタイミングでグラン。 そもそも施設の食事について「薄味で口に合わない」と、常に言われていた。 トイレには座れずに終日オムツの中にせざるを得ない。 不快感があるので出た瞬間にキレイにしてほしいが、上にも書いたように、ナースコールを押せずにすぐに職員を呼べない場合は、次の巡視までその不快感を我慢するしかない。 寝たきりのかた用の『機械浴』という特殊なお風呂は「ちょっと怖い」と思いつつ、仕方なく入られる。 生活のほとんどの時間を居室でテレビを観て過ごす… 自分で動けないのに頭はしっかりしているという状態が、いかに過酷なものか想像できるはずもない。 そんな思い通りにならない毎日と、ご自分ではどうにもならない不甲斐なさとで、職員に対して常に愚痴をこぼしたり、きつく当たるなど、イライラをぶつけておられた。 例えば… 大声で叫んでも職員が気付かなかった場合、次に巡視に伺った職員に対しては特にボロカスに罵声を浴びせられた。 食事のお手伝い中も常にブスッとしており、職員や他の入居者さんと会話が弾むなどということはほとんどなかった。 唯一、湯舟につかっておられる時だけ、ホッとした表情を浮かべておられたが、それでも「ぬるい」と文句を言うことは忘れてはいなかった。 職員のみんなはだんだん、Aさんと関わること自体がストレスになってきているようだった。となると、ぼくやフロア主任がなるべくAさんと関わる担当をするということになっていく… 実際にAさんと蜜に関わらせて頂くと、言われていることはほんとに「仰る通り」のことばかりで、ただイライラを理不尽に職員にぶつけておられるわけではなく、「考えたらわかること」「ちょっと気を配ればできること」をしてくれない時に、怒っておられたということが理解できた。 Aさんの為にも、関わる職員の為にも、Aさんが心穏やかに過ごして頂く方法はないかを考える… Aさんのご要望を実現していく 他部署の職員も交えて、Aさんの対応についてカンファレンスを行う。 そして、少しでもイライラを解消する為に、『Aさんが望んでおられることをできるだけさせて頂く』ということになった。 その為に、その時々で何を望んでおられるのかを知る必要があった。 Aさんにご要望をお聞きすると… ・熱めのお風呂に5分浸かりたい ・ウンチが出たらすぐオムツを替えてほしい ・お風呂とオムツはなるべく女性にしてほしい ・おかずの味付けをもう少し濃くしてほしい ・下痢も便秘も嫌なので、ヨーグルトは欠かさず朝食べたい そして、 ・主人の油絵が好き ・韓流ドラマが好き ・主人と行った海外旅行がとてもいい思い出 などなど… といったことを挙げられた。そしてご自身のお身体の状態から、 ・こうしてもらえると嬉しい ・こうされるとしんどい、ツラい といったことも教えて下さった。 挙げて頂いたことを、みんなで協力してできる範囲で実現させていく。 ●お風呂は機械浴に43℃で5分間。 ●ウンチ後はすぐにオムツ交換。これをする為に、ナースコールで呼ばれていなくても、1時間おきにAさんの居室を伺うようにした。ただしこれは、男性が対応せざるを得ない日もあった。 ●フロアの冷蔵庫には調味料を常備し、味付けが薄いと言われた際に醤油などを使えるようにした。 ●ご主人の面会時にはヨーグルトを買ってきて頂き、一緒に居室で過ごす日をなるべく作って頂いた。 ●ビデオデッキ(当時)を持ってきて頂き、『世界遺産』や『韓流ドラマ』を流した。韓流ドラマについては、TSUTAYAでぼくが選んでレンタルしてきた『私の名前はキムサムスン』にドはまりし、他のかたにも見せたいとのことで、Aさん主催と銘打って上映会をしたほどだった。 ※キムサムスンはぼく自身もハマり、あとで全話を一気見したのは余談ですが、観たことないかたはぜひ見てほしい作品です。マジで名作ですから。 こういった取り組みを進めていくうちに、業務中に少し手の空いた職員が話し相手としてAさんの居室を訪れるようになった。ご主人も積極的にご協力くださり、居室にはみるみる油絵が増えていった。 Aさんのイライラは少しずつ解消し、職員のみんなもAさんが優しくなっていかれるのが嬉しいようであった。どんどん良好な関係性が築かれていった。 そんな時、ぼくの施設異動が決まった… 満を持して託せるようになったチーム 打ち明けるのを数日悩み、夜勤明けで行うAさんの朝の身支度の際に伝えた。歯磨きと洗顔のルーティン。 ところどころにマッサージ的な要素を加えるぼくのやり方をすごく喜んで下さっており、「もうこれもしてもらわれへんようになるんやね…」とすごく落ち込まれた。 「これ」の詳細は… まだ他のみなさんが目覚めておられない時間帯にAさんの居室に行き、1番に起きて頂く。朝の身支度の時間を確保する為である。 パジャマから洋服に着替えて頂く。それからフロアのもう1人の夜勤者に協力してもらって車椅子に移って頂き、洗面台の前へ。 Aさんの習慣として起きてすぐの歯磨きをさせて頂いた後、お湯で温めたフェイスタオルで顔全体を覆い、温めながら拭かせて頂く。 その時に、タオル越しにお顔をマッサージするのだ(散髪屋さんのマネ)。かつ、両耳も拭きつつマッサージ。 それから、Aさん愛用の化粧水をピチャピチャつけさせて頂いて、最後に髪の毛をとく。 リクライニングをいい感じに倒しつつ、テレビが見れる位置で朝食が用意できるまで居室で過ごして頂く。 というルーティン。 異動までの間にフロアの職員に「これ」のやり方を伝え、みんなができるようになった。 「部長さん、たまには顔出してね」と泣きながら言って下さったぼくの最終日。Aさんのイライラが一切なくなっていたことに気付いた。 残ったメンバーに託して、安心して離れられると確信した。 高齢者施設には、認知症はないが身体が不自由な為に入居しているかたもおられる。 頭がしっかりされているぶん、ご自分の思い通りにならないことへの歯がゆさ、苛立ち、不安や不満は想像を絶するものがある。 そういったかたへの身体的・精神的ケアも決して疎かにしてはならないと実感した、Aさんとのお話です。  

  • 訪問介護で実際にあったトラブル!実体験をご紹介!

    訪問介護はご利用者様の自宅に訪問して、介護サービスをする仕事です。 その訪問介護の現場で、実際に仕事をしていた時のトラブルをお伝えしていきます。 実体験の内容なので、今後訪問介護をしようと思っている人や、現在現役で働いている人の学びや力になれればと思います。 訪問介護で実際にあったトラブル 訪問介護は、特定のご自宅に訪問してご利用者様に介護サービスを提供する仕事です。 施設型の介護と大きく違うのは、ほとんどの仕事を1人で行わなければいけないという所です。 施設型の介護だと、困ったことがあっても人手があることが多いため、トラブルがある時は2人で介助をすることができます。 しかし、訪問介護は大体のことを1人で解決しなければいけません。 もちろんイレギュラーな時もあり、他の介護員を派遣することもあるかもしれませんが、大体が1人で訪問して1人で対応します。 この記事では、訪問介護経験者の筆者が実際に合ったトラブルについて紹介します。 警察に保護されたご利用者様 夜勤で訪問介護をしていた時の話です。 サービスを提供していた場所の土地柄、車で訪問介護を行なっていた時のことです。 その日は訪問介護では珍しい、夜勤をしていた日のことでした。 時間はちょうど0時を過ぎていました。 別の先輩ヘルパーから、「今どこにいる?」と着信があったのです。 「今◯◯様のサービスが終わって、◯◯の近くにいます」と返事をしました。 すると、「◯◯⁉︎ちょうどよかった!」といわれました。 詳しく聞くとどうやら丁度この近くで、とあるご利用者様が徘徊していたところ、警察官に保護されたと言うのです。 時間が夜中で、家族も対応ができそうにないと言うことで、日中にも伺ったことのある私が迎えに行くことになりました。 ご利用者様は、認知症を患っている1人暮らしの女性 とにかく急げとばかりに、保護されている警察署に迎えにいきました。 警察署の受付で、「◯◯介護事業所の◯◯と言いますが、こちらで保護されている方がいると聞いてきたのですが…」と伝えると、奥に見覚えのあるご利用者様がいらっしゃったのです。 念のため、本人確認をした後にその後利用者様の保護された時の状況を聞きました。 どうやら住宅街で保護された時、そのご利用者様は紙袋を持ち歩きながら、目的地が定まらない様子で歩いていたようです。 気になった警察官が職務質問をしたところ、すぐに様子がおかしいことに気づきました。 職務質問をした後、ご利用者様が持っている紙袋に視線がいきました。 どうやら、財布のほかに布に包まれた包丁が入っていたみたいで、すぐに保護することになったようです。 しかし、連絡する先もよくわからず、ご利用者様も認知症なためまともに会話はできません。 財布にあった紙に、うちの事業所の電話番号があったことから、このように迎えに行く事になったようでした。 警察官も時折認知症を患った人を保護することがあるようです。 警察では認知症の人への対応は困難 認知症の人への対応は素人と言っても良いほどなので、対応に困っていたようでした。 文章だと伝えづらいですが、認知症の人はイレギュラーな状況や、予想外の出来事に弱いです。 ましてや警察に連れて行かれるという状況です。 私が迎えに行った時のご利用者様の不安そうな表情は、今でも忘れられません。 その後、車に乗せて自宅まで送った時は表情も良くなり、落ち着いた表情でした。 自宅の環境をある程度整えてあげて、その後は退室しました。 訪問介護をしていると、このようなこともあるのかと感じたのを覚えています。 この記事を読んで、これから訪問介護をしようと思っている方の学びの1つになればと思います。 訪問したら目の前で… この日は日中の訪問で、集合住宅のマンションでした。 その日は気温が高く、水分補給をしながら一件一件訪問をしていました。 そしてとあるマンションを訪問したところ、玄関の入り口付近でご利用者様が倒れていたのです。 私はびっくりして、「大丈夫ですか!?」と声をかけましたが、反応が薄く、私はかなり焦りました。 転倒した時、すぐに頭を動かしたりするのは危険です。 そのため、もう一度声をかけると、ゆっくりと起きあがろうとして動き出しました。 その様子を見て、私も利用者様が立とうとするのをゆっくりと起こすサポートします。 その後椅子に座ってもらい、お水を飲みたいというので提供しました。 家の中の状況は… 家の中の状況を確認すると、床が濡れているのが確認できました。 どうやらその水で滑ってしまい、転倒してしまったようです。 幸い怪我はなく、本人が転倒してからすぐに私が訪問したようでした。 ご利用者様の状況が急変する可能性もあるので、椅子に座っていただいてからは様子を見ながらサービスの提供をします。 身体介護のサービスではなく、居室清掃のサービスだったため、ご利用者様の様子を見守りつつ掃除を行いました。 念のため、管理者にも連絡をしました。 訪問した時に状況を説明した後、退室時にも様子を報告します。 その上で一旦退室することにし、もし何かあれば連絡をもらえるようにお伝えして退室しました。 このご利用者様は、男性で1人暮らしのためやや不安ではありましたが、その後訪問した訪問介護院からも状況を聞いていたので、特にその後は問題なかったようです。 このように、訪問すると目の前で突然のトラブルに遭うことがあります。 このような時に落ち着いて冷静な行動をすることも、訪問介護員には必要な力と言えます。 訪室した部屋に感じる違和感 今回の話は、訪問した時に感じた違和感の話です。 そのお宅は、共に80前後の夫婦のお宅でした。 奥様は認知症の方で、旦那様は難聴で耳が聞こえづらく大きな声で話しかけてもほとんど聞こえていないような方でした。 ちなみに旦那様は補聴器をつけても聞こえづらい方です。 さらにキーパーソンとなる娘さんが、3階の居室に住んでいるようでしたが、親子関係はあまり良くなかったようでした。 全くというわけではないものの、やや両親は放置されているような環境です。 そのため、訪問介護員である私たちがお宅に伺い、身の回りのお世話を行っていました。 主に行うのは、居室やお風呂の掃除をメインに体調管理(血圧測定・体温測定・薬の内服状況)などです。 訪問した時の違和感 その時の訪問で感じた違和感は、「匂い」でした。 居室の中は綺麗になっているし、とりわけ大きな変化も見られません。 ただ不快な匂いが居室内にかすかに充満していて、この匂いはどこからくるのか分かりませんでした。 すると奥様が立ち上がり、何やら押し入れの中を物色し始めました。 ちょうど私は記録を記入していたタイミングだったので、話をしながら様子を伺っていたところ匂いが強くなったのです。 場所がわかったので、私はすぐにその押入れの中を確認しました。 押し入れの中には… 押し入れの中には奥様の汚れた下着がありました。 通常であれば、汚物で汚れた下着は水洗いするなどして洗濯しますが、認知症の方は違います。 全員ではないかもしれませんが、大体の人が汚れた下着をどこかに隠すのです。 理由としては大人になって自分がトイレを失敗したことを、知られたくないし認めたくないことがあります。 その為、咄嗟に取る行動が「隠す」です。 この時大きく怒ったり、否定したりしてはいけません。 私はその時、笑いながら誰のものかわからない体で水洗いをして洗濯したのを覚えています。 このような時に大切なのは、相手を否定せずに自尊心を傷つけない声かけをすることなのです。 まとめ 訪問介護の仕事に予想外の出来事はつきものです。 またその起こる出来事が、ほとんどの場合一緒でないのも事実です。 その都度冷静に判断し、行動に移して対処していく必要があります。

  • 認知症の母を施設に入居させるまで。ひとり娘の奮闘記①

    私は母が43歳の時に産まれた。 今の母は80歳後半。 80歳を超えたあたりから認知症の症状が出始め、現在の介護度は要介護2。 認知症と診断され、介護度を判定してから1年、グループホームへ入居した。 これはひとり娘の私が認知症の母をグループホームへ入居させるまでのお話。 親を施設に入れることに悩んでいる方の参考になるとうれしいです。 母と私の関係 最初に母と私の関係をお伝えしておきたい。 私は一応一人っ子だ。 私は子供時代、普通の家庭で育っていない。 詳しく語るととても長くなるので割愛するが、簡単に言うと昼ドラの大人の愛憎ドロドロの真ん中で泣いている子供が私だと思ってもらえればいい。 そのため、私は物心ついてからずっと「親」が嫌いだった。 小さなころからずっと親から離れてひとりで暮らすことに憧れた。 母はそんな環境だったからか、いつもイライラしていて、よくつまらないことで私を怒鳴った。 大人になったから当時の母の気持ちは理解できないこともないが、それでも私はいまだに母を許すことができない。 父と母は長らく家庭内別居状態で(父はほとんど家にいなかったが)、私が高校生の時に正式に離婚したらしい。 私は高校を卒業してすぐに就職し、成人してまもなくひとり暮らしをした。 その後母はなぜか私の出生の秘密を手紙にしたためてきて(要するに私は普通の子供のように、周りから望まれて祝福されて産まれたわけではない。複雑すぎる環境で産まれたのだ)、それが原因でパニック障害を発病し、それをきっかけに母と数年没交渉になったこともあった。 ちなみに私の父にも母にも親戚はいない。 親戚にあたる人たちはいるが、彼らは私たち一家と関わりたくないのだ。 それもこれも父と母の自業自得ではあるのだが。 その後、パニック障害を克服した私の中で「ひとりぼっちの母の面倒を見てあげるべきではないか、一応高校までは面倒を見てもらったのだし」と思い直し、母と再び連絡を取り合うようになる。 私はその数年後結婚をし、地元を離れた。 高齢の母を地元に残しておくと、死んだ後の処理が大変になるかもしれないと思った私は、しばらくして私の住んでいる街に母を呼び寄せた。 それから数年して、母は認知症を発症する。 母が同じことを繰り返し話すようになる 母が80歳をすぎたあたりで、私は母の違和感に気付く。 同じことを繰り返し話すようになったのだ。 私の母は保険の営業を60歳すぎまでやっていたこともあって、しっかりしている印象が強い。 だからこそ、こんな風に同じことを繰り返し話すことに、とても違和感を覚えた。 母が私の住んでいる街に引っ越してきた当初、私は母の住む地域にある地域包括支援センターに母のことを伝えておいた。 もちろん、母にも何かあったら連絡するか、地域包括支援センターに言ってみるように伝えてあった。 実際、母は1か月に何回か地域包括支援センターに行き、読書をしたりしていたようだ。 その地域包括支援センターのケアマネージャーさんと私も連絡をとっていたこともあり、母の現状を相談すると、近くの総合病院で認知症の検査をしてもらえることを教えてくれた。 私は母に「念のため」を強調し、病院につれていって検査をしてもらった。 MRIは特に異常が見られず、「長谷川式」と言われる検査でも「年相応」との診断を受ける。 「そうか。母も80歳を過ぎたし、物忘れもひどくなるか」 検査の結果を受け、私は自分をそう納得させた。 そしてそのあと、施設で利用者さんたちにやっていただいているような、簡単な計算ドリルや塗り絵などを買ってあげたのだが、母は面倒だから、とほとんどやっていなかったらしい。 しかし、この1年後に大きな事件が起きる。 母の家に泥棒が? ある日、私の携帯に警察から連絡が入った。 「お母さんが泥棒が入ったとおっしゃっていたので現地捜査をしましたが、他人が入った後や物が盗られたという形跡は見られません」 「もう何度も同じような通報が入り、こちらとしても困っています。娘さんの方で対処してもらえませんか?」 私はそんな警察の話を、ただひたすら謝りながら聞くしかなかった。 そしてその後、母の賃貸アパートの管理会社からも連絡が来る。 「お母さんが私どもが勝手に家の中に入って物を盗ったというんです」 「もちろんそんなことはしていませんし、何度もそんな風に疑われるのであれば、退去してもらうほかありません」 どうやら母が「泥棒が入った」と騒ぎ始めたのは今回が初めてではなく、何度かやらかしていたらしい。 そして一度は管理会社に鍵を変えてもらっていたのだそうだ。 そのあと何度も泥棒説を繰り返し、挙句の果ては管理会社を泥棒呼ばわりしたらしい。 私は電話越しで顔面蒼白になりながら、とにかく管理会社に謝った。 80歳近い老人のひとり暮らしのアパート探しは簡単ではなかった。 そんななか、「娘が近くで暮らしているなら」とOKを出してくれた管理会社に、母はひどい物言いをしていた。 合計で2時間ほどかかって謝り続けた警察と管理会社との電話を終え、半泣き状態の私がすぐに電話したのは、母の地域の地域包括支援センターのケアマネージャーさんだった。 すると、どうやらそのケアマネージャーさんは、母の家の盗難話を何度か聞いていたらしく、 「お母さんには一度病院に行くように説得していたんです。明後日病院で検査を受けるそうですよ」 と教えてくれた。 母はどうやら娘の私に黙って病院の検査を入れていたらしい。 しかも、前回とは違う病院で検査を受けるそうだ。 私はケアマネージャーさんにお礼を告げ、私に病院のことを伝えていないことにしてほしい、と口止めをした。 その後母に連絡をし、実は認知症の検査の予約を入れていなかった母を「念のため」と説得し、再度認知症の検査を受けるよう、予約を入れたのだった。 母に認知症の診断がおりる MRI検査を受けた後、前回同様「長谷川式」の検査を受ける。 今回の母はこの質問のほとんどをきちんと答えられなかった。 認知症は1年で大きく進むのだと、実感し、痛感した。 出された検査結果は「認知症」の「初期段階」であること。 その後薬の飲み方などの指導を受け、私は母を引き連れて母の地域にある地域包括支援センターに向かった。 ケアマネージャーさんと相談するためである。 介護士の私はもちろん介護を受けるための流れは知っていた。 まず介護認定を受け、そこからケアマネージャーとともに介護プランを決める。 そのためにも、まずはいつも相談させていただいているケアマネージャーさんと話をするべきだ、と思ったのだ。 そしてもう1つ重要なことがある。 私は母と同居する気が全くなかったことだ。 ただでさえ母と一緒にいるととても疲れる。 体力が半分以上持っていかれる感じがする。 一緒にいたくなくて成人してすぐにひとり暮らしをした、あの頃の気持ちは今でも私の中にある。 認知症になったからと言って、母と同居をし、面倒を見るなんてはっきり言ってごめんだ。 だから、母にはこれからもひとりで暮らしてもらわねばならない。 認知症の初期症状ならば、きちんと処方された薬を飲み、適切なケアを受ければ、なんとかひとり暮らしを継続できるだろう。 というか、してもらわねばならない。 そのためにも、早く介護認定を受ける必要がある。 ケアマネージャーさんは病院の結果を聞くとすぐに介護認定を受けられる手続きをしてくれた。 そのあと、デイサービスの見学もさせてもらい、その日は母を送って私も家に帰ったのだった。 介護認定調査を受ける 数日後、母の家に役所から介護認定調査がやってきた。 もちろん私も同席である。 いくつかの質問を母にして家を出るとき、私は家を出て母の状態を伝えた。 このように、家族から見た本人の状態を認定員に伝えることが重要であることを私は知っていた。 初期の認知症の場合、見た目と少し話しただけだと、しっかりしているような感じがしてしまうからだ。 そして数日後、母の介護度が出た。 「要介護2」 それは想像以上に高い介護度だった。 私もケアマネージャーさんも、要支援程度であると思っていたからだ。 しかし、要支援と要介護では受けられる介護サービスが大きく異なる。 私とケアマネージャーさんはこれ幸いと、デイサービスの予定を組んでいった。 しかし、ここでもまた、母は問題を起こすのだった。   ②に続く

  • 徘徊を繰り返すAさん

    真冬の夜の23時頃、「パジャマに素足にスリッパ」という格好のおばあさんが、歩道でフラフラ歩いていた。 ぼくはコンビニに寄っておうちに帰るところだった。 一目で徘徊されていると気付いたぼくは、「どうされました?」と話しかけたが、キョトンとした表情で「別に何でもありまへん」との返答だった… 認知症のおばあさんを保護 おうちの住所、お名前、ここで何をされているかなど、ゆっくりお聞きするが、少し考え、「わかりまへん」「さぁ何でしたかいな?」といった調子が続く。 少し目を離してしまうと、フラフラと車道に出て行ってしまう危うさを感じたので、おばあさんと車道の間に立ち、笑顔で安心してもらうようにしつつ、見守りながら110番に連絡をした。 事情を説明し、はっきりとした住所は言えないものの、幸い、おうちの近くだったので場所が特定できる伝え方が出来た為、10分足らずでパトカーがやってきてくれた。 その間にもぼくが原因でおばあさんが落ち着かれなくなってしまわないように、安心して頂くよう努めた。 パジャマで素足だったので、ぼくのデカすぎるダウンジャケットを着て頂いたりもした。 穏やかに笑って「ありがとうございます」と言って下さったので、ホッとしたのを覚えている。 2人のおまわりさんに、おばあさんを保護した状況を説明すると、「ありがとうございます。あとは我々で対応しますので結構ですよ。」と言って下さったので、お任せしておうちに帰った。 念の為と、名前と連絡先も聞かれてお答えしたが、特にその後は何もなく、ぼくもこのこと自体を忘れていた… 施設にきた入所申し込み 当時のぼくは、介護老人保健施設で、『介護部の責任者』と『生活相談員』という役割を兼務していた。 介護老人保健施設、略して『老健』とは、自宅で生活ができるように高齢者がリハビリをする施設である。 何らかの理由で病院に入院されていたかたが、治療を終え、退院できる状態にまでなられたものの、自宅に帰って生活するのはまだちょっと困難な状態という場合、リハビリ目的で申し込みをされるというのが、一般的な施設の利用方法である。 そしてその申し込みは、そのかたが入院中に、ご家族が病院の『相談員さん』に”次の行き先”をご相談されて紹介してもらうというのが一般的である。 生活相談員とは、その施設の窓口的な役割を担う職種であり、上に挙げたような形で施設への入所申し込みをされたかたに対応したり、反対に、病院側に出向き、退院を控えておられるかたで、自宅に帰られるまでにリハビリが必要なかたがおられたら紹介して頂くといった営業的なこともする。 申し込みについてお問い合わせ頂いたご家族さんに施設を見学して頂いたり、必要書類の説明をしてご提出頂いたり、その書類を元にご本人とお会いしてより詳細な情報を持ち帰り、実際に施設で受け入れさせて頂くことが可能なかたであるかを、関係各部署の責任者が集まって決定する『判定会議』を実施したり、施設に入所されたかたのリハビリ状況を見て、いつご自宅に戻られるかをご家族さんと検討したり、リハビリが上手く進まずに自宅に戻れそうにないかたに、”次の行き先”をご提案させて頂いたりもする。 とまあ、前置きが長くなったが、ぼくが『老健の生活相談員』をしていた時、いつものように入所の申し込みがあった。 情報では、 認知症の女性。1ヶ月ほど前、夜に1人で家を出て、道路で転倒し頭部を打撲。意識不明で倒れているところを発見されて救急搬送。 そのまま入院となったが、入院中に認知症が進行。お身体の状態は退院可能だが、ご家族が自宅での介護に不安を感じており、一旦、入所できる施設を探しておられる。 というかたであった。 ご家族さんからお話を伺い、入所申し込みに必要な書類もご提出頂いたので、実際にその女性・Aさんにお会いする為、病院に行くことになった。 ぼくだけが覚えている再会 Aさんとの面会には、入所申し込みの際に施設にこられた長男さんの奥様と、Aさんのご主人さんが同席された。 最初に病院の相談員さんと看護師さんから、病院でのAさんのご様子をお聞きし、それからAさんご本人とご家族さんからいろいろなことをお聞かせ頂く。 Aさんは、普通にご自分でスタスタと歩いてなんでもできるといったご様子で、動作的に看護師さんが何かをお手伝いされるということはないとのことだった。 だが、なぜ自分がここにいるのか、今が何月何日なのか、どこにトイレがあるのか、どこがご自分の病室なのか、といったことが全く理解されていないので、何度も同じことを看護師さんにお聞きになられているとのことだった。 そして、夜に何度も起きて病室から出てこられるので、その都度、夜勤の看護師さんが病室まで案内して横になって頂いているとのことだった。 Aさんご本人にお話を伺うと、ご主人さんのことは当然わかっておられるし、長男さんの奥様のこともわかっておられた。 長男さんの奥様から、「おばあちゃん、ちょっと前に1人で夜中に家を出てこけて頭打ったやろ?だから入院してるんやろ?」って説明されると、「そうやったかいなぁ。全然覚えてへんわ」と笑っておられた。穏やかなかただった… 話をしている最中に、やっとぼくは思い出した。ピンと来るのが我ながら遅いと思った。 この面会の約1年前に、ぼくが夜中に偶然お見掛けして、警察に保護してもらったおばあさんが、このAさんだったのだ。 長男さんの奥様にお聞きしてみると、夜間に家を出ていき、警察に保護されたことが2回あったとのこと。 やっぱり! 確信を得たぼくは、そのうちの1回に偶然にもぼくが関わっていたということを打ち明けた。 お話を伺いながら、Aさんがなんとなく見覚えのあるお顔であったことと、申し込み書類の住所から「ひょっとして」と思ってお聞きしてみたのだ。 3回目の徘徊で転倒して、今回の入院になったそうで、今の状態で自宅に戻ってきても同じことを繰り返すリスクが高いのではないかというのが、施設に入所を申し込まれた理由であった。 Aさんは、ご主人さんと2人暮らし。 お近くの住む長男さんご夫妻が毎日のようにご高齢のお2人のご様子を見に行っておられるが、ご主人さんが気付かれないうちにAさんが徘徊されてしまったとのことで、自宅に戻ってこられるまでの間に、その対策を立てないといけないという課題があった。 施設で受け入れるも… 施設でも「夜の対応をどうするか?」という話になり、各フロアの介護主任からも、他のかたの居室に入ってトラブルになるのでは?転倒のリスクが高いのでは? という、受け入れに難色を示す意見が出たが、1人の主任さんが、「なんとか対応しますよ」と言ってくれて、入所が決まった。 ぼくはAさんを保護したことから親近感が沸き、なんとか入所して頂きたいと思っていたので、この申し出は嬉しかった。(こんなこと思うのは失格だと思うが) ご家族さんには、入所にあたっての転倒のリスクや他者とのトラブルを完全に回避できるものではないことなどをご説明させて頂き、ご了承頂いた上で入所して頂いた。 Aさんは病院から出て、見慣れない施設にやって来たことで混乱されていたが、ご主人と長男さんの奥様も一緒に来て下さったので、穏やかな状態はキープされていた。 だが、お2人が帰られてからが大変だった。 フロア内をずっとウロウロされ、「ここはどこですか?」「おうちに帰ります」と何度も居室から出てこられたそうで、その都度、ベッドまでご案内し、横にはなって下さるものの、30分も経たないうちにまた出てこられるの繰り返し。 特に何かをされるわけではないのだが、「万が一転倒されたらと思うと、ずっと付きっ切りにならざるを得ませんでした」と、疲れ切った表情の夜勤明けの職員さんから聞いた。 「お疲れさま。ほんまにありがとう」としか言えなかった。 落ち着かれて、夜間、寝て下さるようになるのか。ご家族さん側での受け入れ体制が整い、ご自宅に帰れる日がくるのか。 不安が膨らんでいったが、全く思いもよらない別の形で、Aさんはご自宅に戻ることになる… 突然のご主人さんの行動 ご主人さんが、翌日も施設に面会に来られた。そして、Aさんの手を握り、施設をお2人で出て行こうとされたのだ。 Aさんがおられるフロアのエレベーターの扉が開いた瞬間、ご主人さんとAさんがお2人で乗って1階まで降りてこられ、事務所の前を歩いていかれるのが見えた。 アレっ?と思った事務員さんがご主人さんにお声掛けすると、「今から連れて帰りますねん」と言って、施設を出ようとされたので「いや、ちょっと待って下さい!」とお止めしたが、聞く耳もたれず、激怒されたのだ。 ぼくも慌ててご主人さんをお止めしてロビーのソファに座って頂き、説明をするも、どうやら病院から退院して、自宅に帰ってくると思っておられたようであった。 長男さんの奥様に連絡を取り、電話でご主人さんとお話をして頂くと、しぶしぶ納得されたようで、お2人でAさんの居室に戻っていかれた。 長男さんの奥様とお話すると、前日の時点でご主人さんが「帰ってくるんと違うんか?」と何度も言われていたとのこと。ただ、まさかそんな行動に出るとは思ってもみなかったそう。そりゃそうである。 ご主人さんには夕方までAさんと一緒に過ごして頂き、長男さんの奥様が仕事帰りにお迎えに来られて帰っていかれた。 が、 この騒動が頻回に起こるので、長男さんご夫妻が、ついに何の対策も立てることが出来ないままにAさんの帰宅の決断を下したのだ。 退所の日 Aさんとご主人さんの嬉しそうなお顔とは対照的な、長男さんご夫妻の絶望的なお顔、「ほんとにご迷惑をおかけしました」というお言葉が忘れられない。 ぼくたち施設側の人間も、ほんとに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。 駐車場に止めてある車に、Aさんのお荷物を運ばせて頂いた際、長男さんがご主人に向かって「おかんになんかあったらオヤジが全部責任とれよ!」と怒鳴っておられるのが聞こえてしまった。 胸がしめつけられるような思いだった。 長男さんの奥様に、「ご主人さんも認知症がおありだと思いますので、申請して、介護サービスをお2人で受けられるようにされたほうがいいと思います。またご相談ください。」とお伝えした。 奥様は「やっぱりそうですよね」と苦笑いをされた。

  • 介護士という仕事の怖さを実感した話

    めちゃくちゃお元気だった101歳のAさん(男性)は、ぼくの不注意で転倒し、大けがをされた… ご家族さんが不在の時だけ施設に泊まりに来られる常連さん。認知症もなく、ピンと背筋を伸ばして歩く姿がカッコ良かった。 お1人でもおうちで大丈夫だろうと思われるくらいお元気だが、「念のため」ということと、ぼくを含む気ごころ知れた職員としゃべったり、ちょっとしたレクリエーションをしたりすることを楽しみに、定期的に施設に来て下さっていた。 そんなAさんが、ぼくの不注意で転倒してしまったのだ… 取り返しのつかない判断ミス ぼくが夜勤明けの早朝5:30頃、「おはようさん」と居室から出てこられたAさんは、両手にカラの湯飲みとマグカップを持って、キッチンにいるぼくに近づいてこられた。 湯飲みにお茶、マグカップに薬を飲むためのお白湯(夜のうちにつくって冷めているぶん)を希望されたので、その通りに注ぐ。 そしてそのまま、それらを両手で持って居室に戻ろうとされたので、「大丈夫ですか?」とお聞きする。すると、「いけるよ」とのお返事だった。 その時ぼくは、「Aさんなら大丈夫だろう」と軽く考えてしまった。その判断が取り返しのつかない事態を招く。 居室に戻って行かれるAさんの背中を何となく見ていたら、突然、Aさんがバランスを崩して前のめりに転倒された。 両手がふさがっていた為に受け身を取ることが出来ず、「ゴンッ!!」と床に、顔面から落ち、同時に右ヒザを強打されたのだ。 慌てて駆け寄り、「大丈夫ですか?!」とお聞きしながら身体を起こすと、「すまんすまん」との返事。アゴから血がしたたり落ち、右ヒザは少し動かすだけで顔をゆがめるほどの痛みがあった。 救急搬送 特別養護老人ホームにおいて、看護師さんが夜勤に入っている施設は少なく、この時の施設でも夜間は看護師さんが不在だった。 介護士だけで対応できない「何か」が起った時は、看護師さんに電話して状況を伝え、指示を仰ぐというルール。 そのルールに従って、他の夜勤者に看護師さんへの連絡を依頼する。ぼくはAさんのアゴの応急処置をしてから、身体をかついで車椅子に乗って頂き、居室のベッドまでお連れした。 右ヒザを動かさないように気をつけたが、響くだけでも痛いご様子だった。 連絡を受けた看護師さんは、自宅が施設からおうちが近いこともあって、かなり早く出勤してきてくれた。Aさんの状態を確認してもらうと、すぐに救急車で病院に向かうことになった。 看護師さんが119番に連絡し、救急車を手配。ほどなく施設に到着し、看護師さんの付き添いで、受け入れ先の病院まで搬送されることになった。 ぼくは「大したことありませんように」と強く願った。 看護師さんが救急車の手配をし、受け入れ先の病院が決まった段階で、ぼくからご家族さんに連絡すると、烈火のごとく激怒され、 「なんでそんなことになるんですか?!」 「ほんとにちゃんと見てくれてたんですか?!」 と、たたみかけるように質問攻めにあった。 ただただ謝るより他なかった。 その後、病院に同行した看護師さんから、Aさんは下アゴを5針縫い、右ヒザの骨折で入院することになったと連絡が入った。病院に到着したご家族さんは、看護師さんにも激怒され、罵声を浴びせられたらしい。 気のゆるみの代償 ぼくが、「Aさんなら大丈夫だろう」ではなく、「Aさんでも危険かもしれない」と判断し、飲み物を居室まで運んでいればこんなことにはならなかった… 気のゆるみ、判断の甘さで取り返しのつかないことになってしまった。ぼくは完全に自信を失った… Aさんはその後、入院生活の中で寝たきりになり、認知症を発症。退院して再び施設に泊まりに来られた際、その見違える姿にぼくは動揺を隠すことができなかった。 あの、背筋をピンと伸ばしてカッコよく歩くAさんはどこにもいなかった。 後日、Aさんを担当されていたケアマネさんから伺ったお話だと、本当はご家族さんは、Aさんを他の施設にお任せしたかったとのこと。 だが、申し込み手続きや面談など、サービス利用に至るまでに必要となる諸々をやっている時間がなく、複雑な思いながら、引き続き、ぼくのいる施設を使わざるを得なかったとのことだった。 何度かの施設ご利用後、ご自宅で肺炎を患い、帰らぬ人となってしまわれた。転倒から、たった1年後のことだった。 施設長がお通夜に行かせて頂きたいと連絡し、施設長と施設のケアマネさんが参列したが、その連絡の際、ご家族さんからぼくは名指しで「来させないでほしい」と、拒否されたとのことだった。 ぼくはどうしても行かせて頂きたかったが、参列させて頂くことで気持ちが少し楽になるのは自分だけだと思い直し、「やはり行くべきではない」と自分に言い聞かせた。 ぼくは当時、すでに介護部長という役職で、介護士の指導にあたる立場であったが、自分の不注意でこんな事故を起こしてしまった人間が、何をエラそうに他の職員の指導をできることがあるのかと考えた。 それどころか、このまま介護の仕事を続けていていいものか、それ自体を真剣に悩んでいた。 悩みながら、結論を出すことなく惰性で毎日の勤務をこなしていた。 介護士の後輩たちや、他の部署の職員さんも、 「たっつんさんじゃなくても、自分もたぶん同じ対応してたと思います」 「そこまで自分を責めなくてもいいんじゃないですか?」 と、声をかけてくれたが、誰の慰めの言葉も耳に入らなかった。 ご家族さんからのお手紙 後日、ご家族さんからぼく宛てに手紙が届く。 『たっつんさん。父は入院中、 「あの人を責めたらいかん。ワシが勝手にこけただけや」 と、何度も言ってました。 私たちの気持ちの整理がつかず、拒否してしまいましたが、たっつんさんに辛い思いをさせてしまい、申し訳ありません』 といったことが書かれてあった。 ぼくは読みながら、生まれて初めて崩れるように泣いた… ぼくは正直、Aさんが転倒されたあの日からずっと、介護士を続けるかどうか迷いながら仕事をしていた。 許されるはずもない、取り返しのつかないことをしてしまったという罪悪感で常に自分を責めていた。 そして、命をお預かりする、介護士という仕事の怖さを、ほんとに心の底から感じていた。 このお手紙は、そんな思いを浄化してくれた。 いろんな思いの入り混じった涙を、しばらく止めることができなかった。 後悔を胸に刻んだまま進んでいく ぼくはAさんから、 「介護士という仕事の怖さ」と「人を許すことの大切さ」を教わりました。 ぼくの場合は、たまたまAさんとそのご家族さんが、とてもいいかただったので救われましたが、気をゆるめてはいけない場面で気をゆるめてしまったり、判断ミスをしてしまうことで取り返しのつかないことになってしまうことがある「介護士という仕事の怖さ」を理解してもらいたい。 そして、ぼくと同じ後悔をしないようにしてほしいという思いで、後輩にはこの話を必ずしています。 人の悪口を言ったり、自分が楽をしたいという思いから業務を適当にこなすような職員さんには注意をしますが、それでもなかなか改善せずに相変わらず同じようなことを繰り返していると、さすがにイラっとします。 ですがそういう時は、Aさんから教わった「人を許すことの大切さ」を思い出し、自分の指導のしかたが間違ってたのかな?次はどういうアプローチすればいいかな?と考えられるようになりました。 ぼくはまだ完全に自分を許すことができていませんが、今でも鮮明に浮かぶAさんの笑顔とあの日の後悔を胸に刻んだまま、介護士を続けていこうと思います。

  • 思い通りに身体が動かないAさんのイライラ

    認知症はないが、首から下が全く動かなくなっていく難病を患ってるAさん(女性)のイライラが止まらない。 居室で横になられる時は、ナースコールを左肩の上あたりに置き、ほっぺたで押せるようにセットする。 が、ちょっとでもズレたら、押したくても押せずに大声で職員を呼ぶことになる… 筋萎縮性側索硬化症(ALS) Aさんの難病、『筋萎縮性側索硬化症(ALS)』は、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく病気。 しかし、筋肉そのものの病気ではなく、筋肉を動かし、かつ運動をつかさどる神経が主に障害を受けた結果、脳から「手足を動かせ」といった命令が伝わらなくなることにより、力が弱くなり、筋肉がやせていくという病気である。 一方で、身体の感覚、視力や聴力、内臓機能などはすべて保たれることが一般的とされている。 日本では50歳~74歳という、比較的若い時期に発症する人が多く、実際にAさんも70代前半のかたであった。 思い通りにならないイライラ 居室で横になっていて、ナースコールを押したくても押せなくなってしまった場合は大声で職員を呼ぶことになるが、他の業務をしている中、なかなか声は届かない。 結果的には、2時間ごとの職員の巡視が来るまで待たざるを得ない状況になる。ナースコールに細工を施してズレないように対策を取るが、どうしても上手くいかない場合もあった。 車椅子はリクライニング式のものを購入して使っておられたが、身体がズレてくることから長時間座っていられない。首にも力が入らないので、バランスが崩れるとグランと頭が落ちてしまう。 頭を安定して支えるサポート(U字になっていて後頭部を包むように支えるもの)もついているが、食事前にそのサポートに真っ直ぐに頭をもたれられるようにしないと、水分をストローで飲もうとしてお口で迎えに行こうとされるタイミングでグラン。 そもそも施設の食事について「薄味で口に合わない」と、常に言われていた。 トイレには座れずに終日オムツの中にせざるを得ない。 不快感があるので出た瞬間にキレイにしてほしいが、上にも書いたように、ナースコールを押せずにすぐに職員を呼べない場合は、次の巡視までその不快感を我慢するしかない。 寝たきりのかた用の『機械浴』という特殊なお風呂は「ちょっと怖い」と思いつつ、仕方なく入られる。 生活のほとんどの時間を居室でテレビを観て過ごす… 自分で動けないのに頭はしっかりしているという状態が、いかに過酷なものか想像できるはずもない。 そんな思い通りにならない毎日と、ご自分ではどうにもならない不甲斐なさとで、職員に対して常に愚痴をこぼしたり、きつく当たるなど、イライラをぶつけておられた。 例えば… 大声で叫んでも職員が気付かなかった場合、次に巡視に伺った職員に対しては特にボロカスに罵声を浴びせられた。 食事のお手伝い中も常にブスッとしており、職員や他の入居者さんと会話が弾むなどということはほとんどなかった。 唯一、湯舟につかっておられる時だけ、ホッとした表情を浮かべておられたが、それでも「ぬるい」と文句を言うことは忘れてはいなかった。 職員のみんなはだんだん、Aさんと関わること自体がストレスになってきているようだった。となると、ぼくやフロア主任がなるべくAさんと関わる担当をするということになっていく… 実際にAさんと蜜に関わらせて頂くと、言われていることはほんとに「仰る通り」のことばかりで、ただイライラを理不尽に職員にぶつけておられるわけではなく、「考えたらわかること」「ちょっと気を配ればできること」をしてくれない時に、怒っておられたということが理解できた。 Aさんの為にも、関わる職員の為にも、Aさんが心穏やかに過ごして頂く方法はないかを考える… Aさんのご要望を実現していく 他部署の職員も交えて、Aさんの対応についてカンファレンスを行う。 そして、少しでもイライラを解消する為に、『Aさんが望んでおられることをできるだけさせて頂く』ということになった。 その為に、その時々で何を望んでおられるのかを知る必要があった。 Aさんにご要望をお聞きすると… ・熱めのお風呂に5分浸かりたい ・ウンチが出たらすぐオムツを替えてほしい ・お風呂とオムツはなるべく女性にしてほしい ・おかずの味付けをもう少し濃くしてほしい ・下痢も便秘も嫌なので、ヨーグルトは欠かさず朝食べたい そして、 ・主人の油絵が好き ・韓流ドラマが好き ・主人と行った海外旅行がとてもいい思い出 などなど… といったことを挙げられた。そしてご自身のお身体の状態から、 ・こうしてもらえると嬉しい ・こうされるとしんどい、ツラい といったことも教えて下さった。 挙げて頂いたことを、みんなで協力してできる範囲で実現させていく。 ●お風呂は機械浴に43℃で5分間。 ●ウンチ後はすぐにオムツ交換。これをする為に、ナースコールで呼ばれていなくても、1時間おきにAさんの居室を伺うようにした。ただしこれは、男性が対応せざるを得ない日もあった。 ●フロアの冷蔵庫には調味料を常備し、味付けが薄いと言われた際に醤油などを使えるようにした。 ●ご主人の面会時にはヨーグルトを買ってきて頂き、一緒に居室で過ごす日をなるべく作って頂いた。 ●ビデオデッキ(当時)を持ってきて頂き、『世界遺産』や『韓流ドラマ』を流した。韓流ドラマについては、TSUTAYAでぼくが選んでレンタルしてきた『私の名前はキムサムスン』にドはまりし、他のかたにも見せたいとのことで、Aさん主催と銘打って上映会をしたほどだった。 ※キムサムスンはぼく自身もハマり、あとで全話を一気見したのは余談ですが、観たことないかたはぜひ見てほしい作品です。マジで名作ですから。 こういった取り組みを進めていくうちに、業務中に少し手の空いた職員が話し相手としてAさんの居室を訪れるようになった。ご主人も積極的にご協力くださり、居室にはみるみる油絵が増えていった。 Aさんのイライラは少しずつ解消し、職員のみんなもAさんが優しくなっていかれるのが嬉しいようであった。どんどん良好な関係性が築かれていった。 そんな時、ぼくの施設異動が決まった… 満を持して託せるようになったチーム 打ち明けるのを数日悩み、夜勤明けで行うAさんの朝の身支度の際に伝えた。歯磨きと洗顔のルーティン。 ところどころにマッサージ的な要素を加えるぼくのやり方をすごく喜んで下さっており、「もうこれもしてもらわれへんようになるんやね…」とすごく落ち込まれた。 「これ」の詳細は… まだ他のみなさんが目覚めておられない時間帯にAさんの居室に行き、1番に起きて頂く。朝の身支度の時間を確保する為である。 パジャマから洋服に着替えて頂く。それからフロアのもう1人の夜勤者に協力してもらって車椅子に移って頂き、洗面台の前へ。 Aさんの習慣として起きてすぐの歯磨きをさせて頂いた後、お湯で温めたフェイスタオルで顔全体を覆い、温めながら拭かせて頂く。 その時に、タオル越しにお顔をマッサージするのだ(散髪屋さんのマネ)。かつ、両耳も拭きつつマッサージ。 それから、Aさん愛用の化粧水をピチャピチャつけさせて頂いて、最後に髪の毛をとく。 リクライニングをいい感じに倒しつつ、テレビが見れる位置で朝食が用意できるまで居室で過ごして頂く。 というルーティン。 異動までの間にフロアの職員に「これ」のやり方を伝え、みんなができるようになった。 「部長さん、たまには顔出してね」と泣きながら言って下さったぼくの最終日。Aさんのイライラが一切なくなっていたことに気付いた。 残ったメンバーに託して、安心して離れられると確信した。 高齢者施設には、認知症はないが身体が不自由な為に入居しているかたもおられる。 頭がしっかりされているぶん、ご自分の思い通りにならないことへの歯がゆさ、苛立ち、不安や不満は想像を絶するものがある。 そういったかたへの身体的・精神的ケアも決して疎かにしてはならないと実感した、Aさんとのお話です。  

  • 訪問介護で実際にあったトラブル!実体験をご紹介!

    訪問介護はご利用者様の自宅に訪問して、介護サービスをする仕事です。 その訪問介護の現場で、実際に仕事をしていた時のトラブルをお伝えしていきます。 実体験の内容なので、今後訪問介護をしようと思っている人や、現在現役で働いている人の学びや力になれればと思います。 訪問介護で実際にあったトラブル 訪問介護は、特定のご自宅に訪問してご利用者様に介護サービスを提供する仕事です。 施設型の介護と大きく違うのは、ほとんどの仕事を1人で行わなければいけないという所です。 施設型の介護だと、困ったことがあっても人手があることが多いため、トラブルがある時は2人で介助をすることができます。 しかし、訪問介護は大体のことを1人で解決しなければいけません。 もちろんイレギュラーな時もあり、他の介護員を派遣することもあるかもしれませんが、大体が1人で訪問して1人で対応します。 この記事では、訪問介護経験者の筆者が実際に合ったトラブルについて紹介します。 警察に保護されたご利用者様 夜勤で訪問介護をしていた時の話です。 サービスを提供していた場所の土地柄、車で訪問介護を行なっていた時のことです。 その日は訪問介護では珍しい、夜勤をしていた日のことでした。 時間はちょうど0時を過ぎていました。 別の先輩ヘルパーから、「今どこにいる?」と着信があったのです。 「今◯◯様のサービスが終わって、◯◯の近くにいます」と返事をしました。 すると、「◯◯⁉︎ちょうどよかった!」といわれました。 詳しく聞くとどうやら丁度この近くで、とあるご利用者様が徘徊していたところ、警察官に保護されたと言うのです。 時間が夜中で、家族も対応ができそうにないと言うことで、日中にも伺ったことのある私が迎えに行くことになりました。 ご利用者様は、認知症を患っている1人暮らしの女性 とにかく急げとばかりに、保護されている警察署に迎えにいきました。 警察署の受付で、「◯◯介護事業所の◯◯と言いますが、こちらで保護されている方がいると聞いてきたのですが…」と伝えると、奥に見覚えのあるご利用者様がいらっしゃったのです。 念のため、本人確認をした後にその後利用者様の保護された時の状況を聞きました。 どうやら住宅街で保護された時、そのご利用者様は紙袋を持ち歩きながら、目的地が定まらない様子で歩いていたようです。 気になった警察官が職務質問をしたところ、すぐに様子がおかしいことに気づきました。 職務質問をした後、ご利用者様が持っている紙袋に視線がいきました。 どうやら、財布のほかに布に包まれた包丁が入っていたみたいで、すぐに保護することになったようです。 しかし、連絡する先もよくわからず、ご利用者様も認知症なためまともに会話はできません。 財布にあった紙に、うちの事業所の電話番号があったことから、このように迎えに行く事になったようでした。 警察官も時折認知症を患った人を保護することがあるようです。 警察では認知症の人への対応は困難 認知症の人への対応は素人と言っても良いほどなので、対応に困っていたようでした。 文章だと伝えづらいですが、認知症の人はイレギュラーな状況や、予想外の出来事に弱いです。 ましてや警察に連れて行かれるという状況です。 私が迎えに行った時のご利用者様の不安そうな表情は、今でも忘れられません。 その後、車に乗せて自宅まで送った時は表情も良くなり、落ち着いた表情でした。 自宅の環境をある程度整えてあげて、その後は退室しました。 訪問介護をしていると、このようなこともあるのかと感じたのを覚えています。 この記事を読んで、これから訪問介護をしようと思っている方の学びの1つになればと思います。 訪問したら目の前で… この日は日中の訪問で、集合住宅のマンションでした。 その日は気温が高く、水分補給をしながら一件一件訪問をしていました。 そしてとあるマンションを訪問したところ、玄関の入り口付近でご利用者様が倒れていたのです。 私はびっくりして、「大丈夫ですか!?」と声をかけましたが、反応が薄く、私はかなり焦りました。 転倒した時、すぐに頭を動かしたりするのは危険です。 そのため、もう一度声をかけると、ゆっくりと起きあがろうとして動き出しました。 その様子を見て、私も利用者様が立とうとするのをゆっくりと起こすサポートします。 その後椅子に座ってもらい、お水を飲みたいというので提供しました。 家の中の状況は… 家の中の状況を確認すると、床が濡れているのが確認できました。 どうやらその水で滑ってしまい、転倒してしまったようです。 幸い怪我はなく、本人が転倒してからすぐに私が訪問したようでした。 ご利用者様の状況が急変する可能性もあるので、椅子に座っていただいてからは様子を見ながらサービスの提供をします。 身体介護のサービスではなく、居室清掃のサービスだったため、ご利用者様の様子を見守りつつ掃除を行いました。 念のため、管理者にも連絡をしました。 訪問した時に状況を説明した後、退室時にも様子を報告します。 その上で一旦退室することにし、もし何かあれば連絡をもらえるようにお伝えして退室しました。 このご利用者様は、男性で1人暮らしのためやや不安ではありましたが、その後訪問した訪問介護院からも状況を聞いていたので、特にその後は問題なかったようです。 このように、訪問すると目の前で突然のトラブルに遭うことがあります。 このような時に落ち着いて冷静な行動をすることも、訪問介護員には必要な力と言えます。 訪室した部屋に感じる違和感 今回の話は、訪問した時に感じた違和感の話です。 そのお宅は、共に80前後の夫婦のお宅でした。 奥様は認知症の方で、旦那様は難聴で耳が聞こえづらく大きな声で話しかけてもほとんど聞こえていないような方でした。 ちなみに旦那様は補聴器をつけても聞こえづらい方です。 さらにキーパーソンとなる娘さんが、3階の居室に住んでいるようでしたが、親子関係はあまり良くなかったようでした。 全くというわけではないものの、やや両親は放置されているような環境です。 そのため、訪問介護員である私たちがお宅に伺い、身の回りのお世話を行っていました。 主に行うのは、居室やお風呂の掃除をメインに体調管理(血圧測定・体温測定・薬の内服状況)などです。 訪問した時の違和感 その時の訪問で感じた違和感は、「匂い」でした。 居室の中は綺麗になっているし、とりわけ大きな変化も見られません。 ただ不快な匂いが居室内にかすかに充満していて、この匂いはどこからくるのか分かりませんでした。 すると奥様が立ち上がり、何やら押し入れの中を物色し始めました。 ちょうど私は記録を記入していたタイミングだったので、話をしながら様子を伺っていたところ匂いが強くなったのです。 場所がわかったので、私はすぐにその押入れの中を確認しました。 押し入れの中には… 押し入れの中には奥様の汚れた下着がありました。 通常であれば、汚物で汚れた下着は水洗いするなどして洗濯しますが、認知症の方は違います。 全員ではないかもしれませんが、大体の人が汚れた下着をどこかに隠すのです。 理由としては大人になって自分がトイレを失敗したことを、知られたくないし認めたくないことがあります。 その為、咄嗟に取る行動が「隠す」です。 この時大きく怒ったり、否定したりしてはいけません。 私はその時、笑いながら誰のものかわからない体で水洗いをして洗濯したのを覚えています。 このような時に大切なのは、相手を否定せずに自尊心を傷つけない声かけをすることなのです。 まとめ 訪問介護の仕事に予想外の出来事はつきものです。 またその起こる出来事が、ほとんどの場合一緒でないのも事実です。 その都度冷静に判断し、行動に移して対処していく必要があります。

  • 認知症の母を施設に入居させるまで。ひとり娘の奮闘記①

    私は母が43歳の時に産まれた。 今の母は80歳後半。 80歳を超えたあたりから認知症の症状が出始め、現在の介護度は要介護2。 認知症と診断され、介護度を判定してから1年、グループホームへ入居した。 これはひとり娘の私が認知症の母をグループホームへ入居させるまでのお話。 親を施設に入れることに悩んでいる方の参考になるとうれしいです。 母と私の関係 最初に母と私の関係をお伝えしておきたい。 私は一応一人っ子だ。 私は子供時代、普通の家庭で育っていない。 詳しく語るととても長くなるので割愛するが、簡単に言うと昼ドラの大人の愛憎ドロドロの真ん中で泣いている子供が私だと思ってもらえればいい。 そのため、私は物心ついてからずっと「親」が嫌いだった。 小さなころからずっと親から離れてひとりで暮らすことに憧れた。 母はそんな環境だったからか、いつもイライラしていて、よくつまらないことで私を怒鳴った。 大人になったから当時の母の気持ちは理解できないこともないが、それでも私はいまだに母を許すことができない。 父と母は長らく家庭内別居状態で(父はほとんど家にいなかったが)、私が高校生の時に正式に離婚したらしい。 私は高校を卒業してすぐに就職し、成人してまもなくひとり暮らしをした。 その後母はなぜか私の出生の秘密を手紙にしたためてきて(要するに私は普通の子供のように、周りから望まれて祝福されて産まれたわけではない。複雑すぎる環境で産まれたのだ)、それが原因でパニック障害を発病し、それをきっかけに母と数年没交渉になったこともあった。 ちなみに私の父にも母にも親戚はいない。 親戚にあたる人たちはいるが、彼らは私たち一家と関わりたくないのだ。 それもこれも父と母の自業自得ではあるのだが。 その後、パニック障害を克服した私の中で「ひとりぼっちの母の面倒を見てあげるべきではないか、一応高校までは面倒を見てもらったのだし」と思い直し、母と再び連絡を取り合うようになる。 私はその数年後結婚をし、地元を離れた。 高齢の母を地元に残しておくと、死んだ後の処理が大変になるかもしれないと思った私は、しばらくして私の住んでいる街に母を呼び寄せた。 それから数年して、母は認知症を発症する。 母が同じことを繰り返し話すようになる 母が80歳をすぎたあたりで、私は母の違和感に気付く。 同じことを繰り返し話すようになったのだ。 私の母は保険の営業を60歳すぎまでやっていたこともあって、しっかりしている印象が強い。 だからこそ、こんな風に同じことを繰り返し話すことに、とても違和感を覚えた。 母が私の住んでいる街に引っ越してきた当初、私は母の住む地域にある地域包括支援センターに母のことを伝えておいた。 もちろん、母にも何かあったら連絡するか、地域包括支援センターに言ってみるように伝えてあった。 実際、母は1か月に何回か地域包括支援センターに行き、読書をしたりしていたようだ。 その地域包括支援センターのケアマネージャーさんと私も連絡をとっていたこともあり、母の現状を相談すると、近くの総合病院で認知症の検査をしてもらえることを教えてくれた。 私は母に「念のため」を強調し、病院につれていって検査をしてもらった。 MRIは特に異常が見られず、「長谷川式」と言われる検査でも「年相応」との診断を受ける。 「そうか。母も80歳を過ぎたし、物忘れもひどくなるか」 検査の結果を受け、私は自分をそう納得させた。 そしてそのあと、施設で利用者さんたちにやっていただいているような、簡単な計算ドリルや塗り絵などを買ってあげたのだが、母は面倒だから、とほとんどやっていなかったらしい。 しかし、この1年後に大きな事件が起きる。 母の家に泥棒が? ある日、私の携帯に警察から連絡が入った。 「お母さんが泥棒が入ったとおっしゃっていたので現地捜査をしましたが、他人が入った後や物が盗られたという形跡は見られません」 「もう何度も同じような通報が入り、こちらとしても困っています。娘さんの方で対処してもらえませんか?」 私はそんな警察の話を、ただひたすら謝りながら聞くしかなかった。 そしてその後、母の賃貸アパートの管理会社からも連絡が来る。 「お母さんが私どもが勝手に家の中に入って物を盗ったというんです」 「もちろんそんなことはしていませんし、何度もそんな風に疑われるのであれば、退去してもらうほかありません」 どうやら母が「泥棒が入った」と騒ぎ始めたのは今回が初めてではなく、何度かやらかしていたらしい。 そして一度は管理会社に鍵を変えてもらっていたのだそうだ。 そのあと何度も泥棒説を繰り返し、挙句の果ては管理会社を泥棒呼ばわりしたらしい。 私は電話越しで顔面蒼白になりながら、とにかく管理会社に謝った。 80歳近い老人のひとり暮らしのアパート探しは簡単ではなかった。 そんななか、「娘が近くで暮らしているなら」とOKを出してくれた管理会社に、母はひどい物言いをしていた。 合計で2時間ほどかかって謝り続けた警察と管理会社との電話を終え、半泣き状態の私がすぐに電話したのは、母の地域の地域包括支援センターのケアマネージャーさんだった。 すると、どうやらそのケアマネージャーさんは、母の家の盗難話を何度か聞いていたらしく、 「お母さんには一度病院に行くように説得していたんです。明後日病院で検査を受けるそうですよ」 と教えてくれた。 母はどうやら娘の私に黙って病院の検査を入れていたらしい。 しかも、前回とは違う病院で検査を受けるそうだ。 私はケアマネージャーさんにお礼を告げ、私に病院のことを伝えていないことにしてほしい、と口止めをした。 その後母に連絡をし、実は認知症の検査の予約を入れていなかった母を「念のため」と説得し、再度認知症の検査を受けるよう、予約を入れたのだった。 母に認知症の診断がおりる MRI検査を受けた後、前回同様「長谷川式」の検査を受ける。 今回の母はこの質問のほとんどをきちんと答えられなかった。 認知症は1年で大きく進むのだと、実感し、痛感した。 出された検査結果は「認知症」の「初期段階」であること。 その後薬の飲み方などの指導を受け、私は母を引き連れて母の地域にある地域包括支援センターに向かった。 ケアマネージャーさんと相談するためである。 介護士の私はもちろん介護を受けるための流れは知っていた。 まず介護認定を受け、そこからケアマネージャーとともに介護プランを決める。 そのためにも、まずはいつも相談させていただいているケアマネージャーさんと話をするべきだ、と思ったのだ。 そしてもう1つ重要なことがある。 私は母と同居する気が全くなかったことだ。 ただでさえ母と一緒にいるととても疲れる。 体力が半分以上持っていかれる感じがする。 一緒にいたくなくて成人してすぐにひとり暮らしをした、あの頃の気持ちは今でも私の中にある。 認知症になったからと言って、母と同居をし、面倒を見るなんてはっきり言ってごめんだ。 だから、母にはこれからもひとりで暮らしてもらわねばならない。 認知症の初期症状ならば、きちんと処方された薬を飲み、適切なケアを受ければ、なんとかひとり暮らしを継続できるだろう。 というか、してもらわねばならない。 そのためにも、早く介護認定を受ける必要がある。 ケアマネージャーさんは病院の結果を聞くとすぐに介護認定を受けられる手続きをしてくれた。 そのあと、デイサービスの見学もさせてもらい、その日は母を送って私も家に帰ったのだった。 介護認定調査を受ける 数日後、母の家に役所から介護認定調査がやってきた。 もちろん私も同席である。 いくつかの質問を母にして家を出るとき、私は家を出て母の状態を伝えた。 このように、家族から見た本人の状態を認定員に伝えることが重要であることを私は知っていた。 初期の認知症の場合、見た目と少し話しただけだと、しっかりしているような感じがしてしまうからだ。 そして数日後、母の介護度が出た。 「要介護2」 それは想像以上に高い介護度だった。 私もケアマネージャーさんも、要支援程度であると思っていたからだ。 しかし、要支援と要介護では受けられる介護サービスが大きく異なる。 私とケアマネージャーさんはこれ幸いと、デイサービスの予定を組んでいった。 しかし、ここでもまた、母は問題を起こすのだった。   ②に続く

  • 徘徊を繰り返すAさん

    真冬の夜の23時頃、「パジャマに素足にスリッパ」という格好のおばあさんが、歩道でフラフラ歩いていた。 ぼくはコンビニに寄っておうちに帰るところだった。 一目で徘徊されていると気付いたぼくは、「どうされました?」と話しかけたが、キョトンとした表情で「別に何でもありまへん」との返答だった… 認知症のおばあさんを保護 おうちの住所、お名前、ここで何をされているかなど、ゆっくりお聞きするが、少し考え、「わかりまへん」「さぁ何でしたかいな?」といった調子が続く。 少し目を離してしまうと、フラフラと車道に出て行ってしまう危うさを感じたので、おばあさんと車道の間に立ち、笑顔で安心してもらうようにしつつ、見守りながら110番に連絡をした。 事情を説明し、はっきりとした住所は言えないものの、幸い、おうちの近くだったので場所が特定できる伝え方が出来た為、10分足らずでパトカーがやってきてくれた。 その間にもぼくが原因でおばあさんが落ち着かれなくなってしまわないように、安心して頂くよう努めた。 パジャマで素足だったので、ぼくのデカすぎるダウンジャケットを着て頂いたりもした。 穏やかに笑って「ありがとうございます」と言って下さったので、ホッとしたのを覚えている。 2人のおまわりさんに、おばあさんを保護した状況を説明すると、「ありがとうございます。あとは我々で対応しますので結構ですよ。」と言って下さったので、お任せしておうちに帰った。 念の為と、名前と連絡先も聞かれてお答えしたが、特にその後は何もなく、ぼくもこのこと自体を忘れていた… 施設にきた入所申し込み 当時のぼくは、介護老人保健施設で、『介護部の責任者』と『生活相談員』という役割を兼務していた。 介護老人保健施設、略して『老健』とは、自宅で生活ができるように高齢者がリハビリをする施設である。 何らかの理由で病院に入院されていたかたが、治療を終え、退院できる状態にまでなられたものの、自宅に帰って生活するのはまだちょっと困難な状態という場合、リハビリ目的で申し込みをされるというのが、一般的な施設の利用方法である。 そしてその申し込みは、そのかたが入院中に、ご家族が病院の『相談員さん』に”次の行き先”をご相談されて紹介してもらうというのが一般的である。 生活相談員とは、その施設の窓口的な役割を担う職種であり、上に挙げたような形で施設への入所申し込みをされたかたに対応したり、反対に、病院側に出向き、退院を控えておられるかたで、自宅に帰られるまでにリハビリが必要なかたがおられたら紹介して頂くといった営業的なこともする。 申し込みについてお問い合わせ頂いたご家族さんに施設を見学して頂いたり、必要書類の説明をしてご提出頂いたり、その書類を元にご本人とお会いしてより詳細な情報を持ち帰り、実際に施設で受け入れさせて頂くことが可能なかたであるかを、関係各部署の責任者が集まって決定する『判定会議』を実施したり、施設に入所されたかたのリハビリ状況を見て、いつご自宅に戻られるかをご家族さんと検討したり、リハビリが上手く進まずに自宅に戻れそうにないかたに、”次の行き先”をご提案させて頂いたりもする。 とまあ、前置きが長くなったが、ぼくが『老健の生活相談員』をしていた時、いつものように入所の申し込みがあった。 情報では、 認知症の女性。1ヶ月ほど前、夜に1人で家を出て、道路で転倒し頭部を打撲。意識不明で倒れているところを発見されて救急搬送。 そのまま入院となったが、入院中に認知症が進行。お身体の状態は退院可能だが、ご家族が自宅での介護に不安を感じており、一旦、入所できる施設を探しておられる。 というかたであった。 ご家族さんからお話を伺い、入所申し込みに必要な書類もご提出頂いたので、実際にその女性・Aさんにお会いする為、病院に行くことになった。 ぼくだけが覚えている再会 Aさんとの面会には、入所申し込みの際に施設にこられた長男さんの奥様と、Aさんのご主人さんが同席された。 最初に病院の相談員さんと看護師さんから、病院でのAさんのご様子をお聞きし、それからAさんご本人とご家族さんからいろいろなことをお聞かせ頂く。 Aさんは、普通にご自分でスタスタと歩いてなんでもできるといったご様子で、動作的に看護師さんが何かをお手伝いされるということはないとのことだった。 だが、なぜ自分がここにいるのか、今が何月何日なのか、どこにトイレがあるのか、どこがご自分の病室なのか、といったことが全く理解されていないので、何度も同じことを看護師さんにお聞きになられているとのことだった。 そして、夜に何度も起きて病室から出てこられるので、その都度、夜勤の看護師さんが病室まで案内して横になって頂いているとのことだった。 Aさんご本人にお話を伺うと、ご主人さんのことは当然わかっておられるし、長男さんの奥様のこともわかっておられた。 長男さんの奥様から、「おばあちゃん、ちょっと前に1人で夜中に家を出てこけて頭打ったやろ?だから入院してるんやろ?」って説明されると、「そうやったかいなぁ。全然覚えてへんわ」と笑っておられた。穏やかなかただった… 話をしている最中に、やっとぼくは思い出した。ピンと来るのが我ながら遅いと思った。 この面会の約1年前に、ぼくが夜中に偶然お見掛けして、警察に保護してもらったおばあさんが、このAさんだったのだ。 長男さんの奥様にお聞きしてみると、夜間に家を出ていき、警察に保護されたことが2回あったとのこと。 やっぱり! 確信を得たぼくは、そのうちの1回に偶然にもぼくが関わっていたということを打ち明けた。 お話を伺いながら、Aさんがなんとなく見覚えのあるお顔であったことと、申し込み書類の住所から「ひょっとして」と思ってお聞きしてみたのだ。 3回目の徘徊で転倒して、今回の入院になったそうで、今の状態で自宅に戻ってきても同じことを繰り返すリスクが高いのではないかというのが、施設に入所を申し込まれた理由であった。 Aさんは、ご主人さんと2人暮らし。 お近くの住む長男さんご夫妻が毎日のようにご高齢のお2人のご様子を見に行っておられるが、ご主人さんが気付かれないうちにAさんが徘徊されてしまったとのことで、自宅に戻ってこられるまでの間に、その対策を立てないといけないという課題があった。 施設で受け入れるも… 施設でも「夜の対応をどうするか?」という話になり、各フロアの介護主任からも、他のかたの居室に入ってトラブルになるのでは?転倒のリスクが高いのでは? という、受け入れに難色を示す意見が出たが、1人の主任さんが、「なんとか対応しますよ」と言ってくれて、入所が決まった。 ぼくはAさんを保護したことから親近感が沸き、なんとか入所して頂きたいと思っていたので、この申し出は嬉しかった。(こんなこと思うのは失格だと思うが) ご家族さんには、入所にあたっての転倒のリスクや他者とのトラブルを完全に回避できるものではないことなどをご説明させて頂き、ご了承頂いた上で入所して頂いた。 Aさんは病院から出て、見慣れない施設にやって来たことで混乱されていたが、ご主人と長男さんの奥様も一緒に来て下さったので、穏やかな状態はキープされていた。 だが、お2人が帰られてからが大変だった。 フロア内をずっとウロウロされ、「ここはどこですか?」「おうちに帰ります」と何度も居室から出てこられたそうで、その都度、ベッドまでご案内し、横にはなって下さるものの、30分も経たないうちにまた出てこられるの繰り返し。 特に何かをされるわけではないのだが、「万が一転倒されたらと思うと、ずっと付きっ切りにならざるを得ませんでした」と、疲れ切った表情の夜勤明けの職員さんから聞いた。 「お疲れさま。ほんまにありがとう」としか言えなかった。 落ち着かれて、夜間、寝て下さるようになるのか。ご家族さん側での受け入れ体制が整い、ご自宅に帰れる日がくるのか。 不安が膨らんでいったが、全く思いもよらない別の形で、Aさんはご自宅に戻ることになる… 突然のご主人さんの行動 ご主人さんが、翌日も施設に面会に来られた。そして、Aさんの手を握り、施設をお2人で出て行こうとされたのだ。 Aさんがおられるフロアのエレベーターの扉が開いた瞬間、ご主人さんとAさんがお2人で乗って1階まで降りてこられ、事務所の前を歩いていかれるのが見えた。 アレっ?と思った事務員さんがご主人さんにお声掛けすると、「今から連れて帰りますねん」と言って、施設を出ようとされたので「いや、ちょっと待って下さい!」とお止めしたが、聞く耳もたれず、激怒されたのだ。 ぼくも慌ててご主人さんをお止めしてロビーのソファに座って頂き、説明をするも、どうやら病院から退院して、自宅に帰ってくると思っておられたようであった。 長男さんの奥様に連絡を取り、電話でご主人さんとお話をして頂くと、しぶしぶ納得されたようで、お2人でAさんの居室に戻っていかれた。 長男さんの奥様とお話すると、前日の時点でご主人さんが「帰ってくるんと違うんか?」と何度も言われていたとのこと。ただ、まさかそんな行動に出るとは思ってもみなかったそう。そりゃそうである。 ご主人さんには夕方までAさんと一緒に過ごして頂き、長男さんの奥様が仕事帰りにお迎えに来られて帰っていかれた。 が、 この騒動が頻回に起こるので、長男さんご夫妻が、ついに何の対策も立てることが出来ないままにAさんの帰宅の決断を下したのだ。 退所の日 Aさんとご主人さんの嬉しそうなお顔とは対照的な、長男さんご夫妻の絶望的なお顔、「ほんとにご迷惑をおかけしました」というお言葉が忘れられない。 ぼくたち施設側の人間も、ほんとに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。 駐車場に止めてある車に、Aさんのお荷物を運ばせて頂いた際、長男さんがご主人に向かって「おかんになんかあったらオヤジが全部責任とれよ!」と怒鳴っておられるのが聞こえてしまった。 胸がしめつけられるような思いだった。 長男さんの奥様に、「ご主人さんも認知症がおありだと思いますので、申請して、介護サービスをお2人で受けられるようにされたほうがいいと思います。またご相談ください。」とお伝えした。 奥様は「やっぱりそうですよね」と苦笑いをされた。

  • 介護士という仕事の怖さを実感した話

    めちゃくちゃお元気だった101歳のAさん(男性)は、ぼくの不注意で転倒し、大けがをされた… ご家族さんが不在の時だけ施設に泊まりに来られる常連さん。認知症もなく、ピンと背筋を伸ばして歩く姿がカッコ良かった。 お1人でもおうちで大丈夫だろうと思われるくらいお元気だが、「念のため」ということと、ぼくを含む気ごころ知れた職員としゃべったり、ちょっとしたレクリエーションをしたりすることを楽しみに、定期的に施設に来て下さっていた。 そんなAさんが、ぼくの不注意で転倒してしまったのだ… 取り返しのつかない判断ミス ぼくが夜勤明けの早朝5:30頃、「おはようさん」と居室から出てこられたAさんは、両手にカラの湯飲みとマグカップを持って、キッチンにいるぼくに近づいてこられた。 湯飲みにお茶、マグカップに薬を飲むためのお白湯(夜のうちにつくって冷めているぶん)を希望されたので、その通りに注ぐ。 そしてそのまま、それらを両手で持って居室に戻ろうとされたので、「大丈夫ですか?」とお聞きする。すると、「いけるよ」とのお返事だった。 その時ぼくは、「Aさんなら大丈夫だろう」と軽く考えてしまった。その判断が取り返しのつかない事態を招く。 居室に戻って行かれるAさんの背中を何となく見ていたら、突然、Aさんがバランスを崩して前のめりに転倒された。 両手がふさがっていた為に受け身を取ることが出来ず、「ゴンッ!!」と床に、顔面から落ち、同時に右ヒザを強打されたのだ。 慌てて駆け寄り、「大丈夫ですか?!」とお聞きしながら身体を起こすと、「すまんすまん」との返事。アゴから血がしたたり落ち、右ヒザは少し動かすだけで顔をゆがめるほどの痛みがあった。 救急搬送 特別養護老人ホームにおいて、看護師さんが夜勤に入っている施設は少なく、この時の施設でも夜間は看護師さんが不在だった。 介護士だけで対応できない「何か」が起った時は、看護師さんに電話して状況を伝え、指示を仰ぐというルール。 そのルールに従って、他の夜勤者に看護師さんへの連絡を依頼する。ぼくはAさんのアゴの応急処置をしてから、身体をかついで車椅子に乗って頂き、居室のベッドまでお連れした。 右ヒザを動かさないように気をつけたが、響くだけでも痛いご様子だった。 連絡を受けた看護師さんは、自宅が施設からおうちが近いこともあって、かなり早く出勤してきてくれた。Aさんの状態を確認してもらうと、すぐに救急車で病院に向かうことになった。 看護師さんが119番に連絡し、救急車を手配。ほどなく施設に到着し、看護師さんの付き添いで、受け入れ先の病院まで搬送されることになった。 ぼくは「大したことありませんように」と強く願った。 看護師さんが救急車の手配をし、受け入れ先の病院が決まった段階で、ぼくからご家族さんに連絡すると、烈火のごとく激怒され、 「なんでそんなことになるんですか?!」 「ほんとにちゃんと見てくれてたんですか?!」 と、たたみかけるように質問攻めにあった。 ただただ謝るより他なかった。 その後、病院に同行した看護師さんから、Aさんは下アゴを5針縫い、右ヒザの骨折で入院することになったと連絡が入った。病院に到着したご家族さんは、看護師さんにも激怒され、罵声を浴びせられたらしい。 気のゆるみの代償 ぼくが、「Aさんなら大丈夫だろう」ではなく、「Aさんでも危険かもしれない」と判断し、飲み物を居室まで運んでいればこんなことにはならなかった… 気のゆるみ、判断の甘さで取り返しのつかないことになってしまった。ぼくは完全に自信を失った… Aさんはその後、入院生活の中で寝たきりになり、認知症を発症。退院して再び施設に泊まりに来られた際、その見違える姿にぼくは動揺を隠すことができなかった。 あの、背筋をピンと伸ばしてカッコよく歩くAさんはどこにもいなかった。 後日、Aさんを担当されていたケアマネさんから伺ったお話だと、本当はご家族さんは、Aさんを他の施設にお任せしたかったとのこと。 だが、申し込み手続きや面談など、サービス利用に至るまでに必要となる諸々をやっている時間がなく、複雑な思いながら、引き続き、ぼくのいる施設を使わざるを得なかったとのことだった。 何度かの施設ご利用後、ご自宅で肺炎を患い、帰らぬ人となってしまわれた。転倒から、たった1年後のことだった。 施設長がお通夜に行かせて頂きたいと連絡し、施設長と施設のケアマネさんが参列したが、その連絡の際、ご家族さんからぼくは名指しで「来させないでほしい」と、拒否されたとのことだった。 ぼくはどうしても行かせて頂きたかったが、参列させて頂くことで気持ちが少し楽になるのは自分だけだと思い直し、「やはり行くべきではない」と自分に言い聞かせた。 ぼくは当時、すでに介護部長という役職で、介護士の指導にあたる立場であったが、自分の不注意でこんな事故を起こしてしまった人間が、何をエラそうに他の職員の指導をできることがあるのかと考えた。 それどころか、このまま介護の仕事を続けていていいものか、それ自体を真剣に悩んでいた。 悩みながら、結論を出すことなく惰性で毎日の勤務をこなしていた。 介護士の後輩たちや、他の部署の職員さんも、 「たっつんさんじゃなくても、自分もたぶん同じ対応してたと思います」 「そこまで自分を責めなくてもいいんじゃないですか?」 と、声をかけてくれたが、誰の慰めの言葉も耳に入らなかった。 ご家族さんからのお手紙 後日、ご家族さんからぼく宛てに手紙が届く。 『たっつんさん。父は入院中、 「あの人を責めたらいかん。ワシが勝手にこけただけや」 と、何度も言ってました。 私たちの気持ちの整理がつかず、拒否してしまいましたが、たっつんさんに辛い思いをさせてしまい、申し訳ありません』 といったことが書かれてあった。 ぼくは読みながら、生まれて初めて崩れるように泣いた… ぼくは正直、Aさんが転倒されたあの日からずっと、介護士を続けるかどうか迷いながら仕事をしていた。 許されるはずもない、取り返しのつかないことをしてしまったという罪悪感で常に自分を責めていた。 そして、命をお預かりする、介護士という仕事の怖さを、ほんとに心の底から感じていた。 このお手紙は、そんな思いを浄化してくれた。 いろんな思いの入り混じった涙を、しばらく止めることができなかった。 後悔を胸に刻んだまま進んでいく ぼくはAさんから、 「介護士という仕事の怖さ」と「人を許すことの大切さ」を教わりました。 ぼくの場合は、たまたまAさんとそのご家族さんが、とてもいいかただったので救われましたが、気をゆるめてはいけない場面で気をゆるめてしまったり、判断ミスをしてしまうことで取り返しのつかないことになってしまうことがある「介護士という仕事の怖さ」を理解してもらいたい。 そして、ぼくと同じ後悔をしないようにしてほしいという思いで、後輩にはこの話を必ずしています。 人の悪口を言ったり、自分が楽をしたいという思いから業務を適当にこなすような職員さんには注意をしますが、それでもなかなか改善せずに相変わらず同じようなことを繰り返していると、さすがにイラっとします。 ですがそういう時は、Aさんから教わった「人を許すことの大切さ」を思い出し、自分の指導のしかたが間違ってたのかな?次はどういうアプローチすればいいかな?と考えられるようになりました。 ぼくはまだ完全に自分を許すことができていませんが、今でも鮮明に浮かぶAさんの笑顔とあの日の後悔を胸に刻んだまま、介護士を続けていこうと思います。