Archive

2023年9月の記事一覧

  • だんだんプロになっていく

    最初から『介護士』な人なんていない。 ぼくが介護士として仕事を始めたのは、29歳の頃。 それまでは家庭の事情で、いろんなアルバイトを昼夜問わずに掛け持ちしながら、お金を稼げるだけ稼ぐ必要があったので、将来、こういう職業に就きたいといった希望や夢なんて全くなかった。 そんなぼくが、成り行き任せに介護士をすることになったので、「志」なんてあるわけもなかった… 何も持たない『介護士』としてのスタート 29歳で介護士としてデビューしたのは、家の近くに新しくできた『住宅型有料老人ホーム』で、そのホームが新設されるにあたり、半年後のオープンに向けて新入職者を募集していたのが、ぼくが介護士になるきっかけだった。 全くの無資格でなんの経験もない29歳の男性が面接に受かるはずもないということで、急遽、「ホームヘルパー2級(当時)」という資格が最速で取得できる専門学校に申し込んだ。 週5日、1日5~6科目の座学を約1ヶ月と、5日間の実習を経てヘルパー2級を取得。 実習をさせて頂いた特別養護老人ホームのヤバさには面食らったが、「ぼくはこんな施設では働くまい」「こんな介護士にはなるまい」という反面教師として今でも役立っているから、ある意味では勉強になったように思う。 そうして資格を取得して臨んだ有料老人ホームの面接で、無事に採用して頂くことができた。 その後、オープンの1ヶ月前からホームでの研修という形で勤務が始まった。 初日、集められた職員を見てぼくはビックリした。 同法人の別の施設で働いていた男性が介護部の責任者である主任としておられ、オープニングスタッフの中から経験豊富な女性が副主任として紹介された。 あと2名だけ他施設で経験のあるかたがおられたが、それ以外の人は、ぼくを除いたほぼ全員が、「卒業時に介護の資格を取得できる学校」を卒業したばかりの若い職員ばかりだったのだ。 「え?こんな未経験者だらけで大丈夫なん?」と思ったが、どうやらこのメンバーで本気で頑張るらしかった。 研修が始まると、ぼくだけが圧倒的に介護の知識がないことにさらにビックリした。 そりゃそうですよね。たった2ヶ月足らずの資格取得の為だけの勉強で、経験豊富やかたや、専門の学校で学んできた連中と渡り合えるわけがない。 なのに、いろんな職場経験は豊富なので、雑務だけは誰よりもできた。 そのことが「災い」し、開設準備期間中に、もう1人の副主任に抜擢されてしまったのだ。 そんなの、プレッシャーでしかなかったが、給料が一般職員に比べて上がるのですぐに首を縦に振ってしまった。 こうして、未経験で知識不足&介護士としての志も何もないままの副主任が誕生した。 迎えたオープン初日。いきなり、とんでもなく拒否の強い寝たきりのおばあさんが入居してこられ、ロビーで大絶叫! ぼくはどうしたらいいのかわからず、他の職員と一緒にただ黙って見ていることしかできなかった。 だがその数日後、ぼくはこのおばあさんに、介護士としてのやりがいを教わることになる。そして介護職という仕事にのめり込んでいくことになるのだ。 ※このお話は、『介護職のやりがいを教えてくれた人!18年間介護士を続けられる理由とは?』という記事に詳しく書いています。 誰でもやろうと思えばできること 副主任という立場上、他の職員が対応に困るような入居者さんの対応を率先してせざるを得ないという状況が、多くの失敗と、ごくまれではあるが成功体験をぼくにもたらしてくれた。 そうして徐々にに介護士として成長していった。 いろんな事情でそのホームを退職し、次に選んだ職場も、家の近くの新設の施設だった。 今度は『介護老人保健施設』のオープニングスタッフ。 この施設は介護経験者を多数採用しており、たった1年半の経験しかなかったぼくは、一般職員からのスタートだった。 だが、ここでも、他の職業を多数経験していることが役に立ち、さらに有料ホームでの1年半の介護経験と副主任経験がプラスされていた為、開設準備期間中からちょっと目立っていた。 オープニングの施設は、役職者として予定していた職員が急遽、入職してこないなどのハプニングが起こることも多い。 この時は、開設直後から事業所責任者と考え方が合わないという理由で、副主任にすぐに欠員が出た。 そしてぼくが抜擢された。 さらに半年後、あるフロアの主任が退職。 ぼくが選ばれた。 この施設で主任は、介護部長に次いで介護部として2番目の役職だった。 トントン拍子に役職が上がり、経験したことのない管理業務をする必要があったが、やりながら覚えたらどうにかなったし、何より入職時に比べて給料はだいぶ上がった。 なぜぼくを抜擢してもらえたのかを聞いてみたら、「たっつんさんは人が嫌がることを率先してやってくれてるでしょ?だからです。」と、介護部長が言ってくださった。 ぼくは、自分が29歳という、人よりだいぶ遅いタイミングで介護士になった。 周りの人より知識も経験もなかった。 だから、人がしないようなことも率先してやった。 出会った入居者さんとの関わりの中で、いろいろな学びを得ることで、周りの人に追いつこうとした。 そしてそれは、誰でもやろうと思えばできることだったと思う。 誰でもやろうと思えばできることをやってきた。それを認めてもらったのは嬉しかった。 やってみないとわからないから、とりあえずやろう それからぼくは32歳で介護部長になり、それ以降現在に至るまでに、2法人5施設で介護部の責任者として、15年間、現場に立ち続けている。 介護士は低収入と言われるし、実際にそうだ。 介護部の責任者のぼくですら、基本給の安さには驚きを隠せない。 だが、役職手当などもろもろついたら、世間一般的な47歳のかたの平均収入と同じくらいは頂けていると思う。 介護士の低収入への対策には、「昇格で補う」という方法がある。 が、これを嫌がる職員が多いこと多いこと。 ただでさえしんどい業務に加えて、管理業務をするのが大変そうだから嫌だという人が圧倒的に多いのだ。 (もちろん、その素養のないかたがおられることも事実ではあるが) だが、低収入を理由に介護士を辞めて、これまで培った知識や経験、人間関係などを全部捨てて、他の職業に新たにチャレンジすることのほうが大変だと思ったりするが、どうだろう? 役職に就きたがらない人が多いということは競争率も低く、なりやすいとは思えないだろうか? やったことのない業務に対して、こなす自信がないからという思いはないだろうか? ぼくは家族のために少しでも収入を増やしたくて、昇格の話を頂いたら、全部即答で、ありがたくお引き受けさせて頂いた。 当然、したことのない業務や足りない知識と、簡単には得られない職員からの信頼に苦労もしたが、得るものもまたとてつもなく多かった。 給料も当然上がった。 人間関係など、いろいろな理由で退職を考えるに至った時、役職に就いているという経歴が、次の就職先を探す際に大いに役立ったし、なんなら条件を自分で選ぶことさえできた。 後輩に、自分よりも明らかに認知症のかたの関わりが上手く、介護センス抜群の天才が現れた時、その天才の上司でいられる為にどうしたらいいかを考えた。 「たっつんさんの元で働いていても、自分の成長になりません」と言う理由で退職されてしまうことを恐れた。 そこでぼくは、介護保険制度の勉強や認知症についての勉強と、リーダーシップについての勉強をした。 本を読み漁った。 結果的に、知識や、指導する時の説明の上手さ、職員との関わり方などで、その天才に「自分にはできないっす。部長から学ばせてもらいます」と言われるまでになれた。 みんな最初は、何の武器ももたない状態からのスタートだと思う。 だが、自分自身の現在地を正確に把握し、周りの人と比べて足りないところを補うための工夫や、自ら率先して体験することで、徐々に徐々に、プロの介護士になっていくのだと思う。 自信がないからこそやってみる。自ら飛び込んでみる。 このことが、ほんとに大事だなって思いつつ、そういう人があまりいないなって実感から、この文章を書きたくなりました。

  • 認知症の母を施設に入居させるまで。ひとり娘の奮闘記②

    前回のお話。 80歳を超えたあたりから物忘れの症状が出始めた母。 病院で検査を受け、初期段階の認知症であると診断された母は要介護2と診断された。 ひとり暮らしを続けてもらうためにも、ひとまずデイサービスを受けてもらおうとしたが、問題が勃発する。 デイサービスに行きたくない! それまで母は毎日バスに乗り、ひとりで駅前をふらついていた。 基本的に家でのんびりできる人ではないことや、高齢者は申請すれば市営バスを乗り放題であることもあった。 しかし、母は初期段階であるとはいえ認知症である。 万が一迷子になって、色々な人にご迷惑にならないとも言いきれない。 そんなこともあってデイサービスを始めようとしたのだが。 まず、お迎えのバスに乗らない。 「私には必要ない。興味もない。だから行きたいときに行く」 デイサービスは行く曜日をきちんと設定してプランを作るものなので、そんな都合よく利用できるものではない。 しかし、ケアマネージャーさんはこの母の提案を受け入れてくれた。 そんな風に始めたデイサービスだったが、結果的に母はほとんど通わなかった。 母ははかなりの人嫌い 愛想よくふるまうことは得意だが、基本的にわがままなので人に合わせることが好きではない。 子供の私に 「人は利用するものだ。利用されるな」 なんて説教をした人である。 そんな母にはもちろん友人はほとんどいなかった。 私の知っている限り、地元にいる友人が1人と、同じ会社に勤めていた人1人だけである。 ちなみに引っ越してくる前は合唱やお琴などさまざまなサークル活動にも参加していたようだが、どれもこれも長続きはしなかった。 とにもかくにも、母は1人でいることの方が好きなのだ。 人が集まって雑談をするような場所は、基本的に好まない。 数か月間様子を見た後、ケアマネージャーさんからは、 「訪問介護とデイサービスの両方が使える施設を利用してはどうか」 との提案を受けた。 訪問介護を受けることに デイサービスに来ないのであれば料金がもったいない。 そのうえ、薬を毎日服薬することが80歳過ぎてもほとんど無かった母は、病院で処方された認知症の薬をほとんど飲んでいなかった。 1~2か月に一度、私が病院に連れて行くのだが、母の家で残量を確認すると半分以上が残っていたのだ。 そのため、服薬管理と体調管理をしてくれる訪問介護にして、気が向いたときにデイサービスを利用できるほうが、母に向いている、と、提案してくれたのだ。 私はこのケアマネージャーさんをかなり信用していたので、できればこの施設で面倒を見てもらいたかったが、訪問介護を扱っていない以上仕方ない。 そしてケアマネージャーさんから紹介された施設に母を連れて行き、手続きをした。 そこのケアマネージャーさんは地域包括センターのケアマネージャーさんから話を聞いていて、快く受け入れてくれた。 しかし、ここでもやはり、事件は起きるのである。 私はそんなものを頼んでいない とりあえず始めたのは訪問介護だった。 毎日朝、家に訪ねて行ってもらい、服薬と体調を見てもらう。 およそ10数分の行程だ。 このくらい娘の私がやれ、と思われる方もいるかもしれないが、私には小学生の娘が2人いた。 そして介護施設での仕事もある。 私が自宅から車で15分のところに住んでいる母のところに毎日行って、それらを確認できる時間をとることはとてもではないが難しかった。 母は訪問介護すらも拒絶 家に入られるのは嫌だから、と玄関での対応にしてもらったにも関わらず、だ。 訪問介護を契約したことをすっかり忘れ、 「おまえは誰だ。私はそんなものを頼んだ覚えはない」 と、怒鳴り散らしたのである。 しかも1度や2度ではない。 かなり頻繁に罵倒していたらしいのだ。 また、訪問介護が来る前に出かけてしまうこともあった。 朝9時に予定しているのに、それよりも早く出かけるのだ。 駅前の店なんて、喫茶店くらいしか開いていないのに。 もちろんデイサービスのバスにも乗らなかった。 というか、拒否をした。 そこでも数か月様子を見てもらったが、とうとう施設が根をあげた。 「受け入れて頂けないのであれば、これ以上の対応は無理です。お金ももったいないですし」 私は頭を抱えることしかできなかった。 そしてこの後、驚愕の事実を知るのである。 いくら使っているのかわからない ある日、母が訪問介護とデイサービスの料金に文句を付けてきた。 施設の利用料は全て母の預金から引き落としされている。 しかし、施設利用の契約をした記憶が無い母からすれば、訳の分からない料金が引き落とされている、とご立腹なのだ。 母は通帳を私に見せ、 「どういうことか」 と怒鳴り散らす。 認知症になってから母はイライラして怒鳴り散らすことが多くなっていた。 私は通帳を見ながら、施設に訪問介護とデイサービスの契約をしたこと、その場には母もいたことを告げる。 そこで私は驚愕の事実に気が付いた。 80歳を過ぎた母は基本的に年金暮らしだ。 もちろん年金だけでは生活することは困難なので、退職金などの貯金を切り崩して生活をしてきた。 子供のころ、裕福な生活などしてこなかったし、特に今は残金も限られているのだから、母もそれを理解して生活していたはずだった。 ここ数か月では頻繁にお金がおろされていた 母は通帳を2つ持っていた。 年金が入ったり家賃が引き落とされる通帳と、退職金などの貯金がある通帳。 基本的に貯金のある通帳から引き落とし通帳にお金を移し、そこから引き落として生活費にする、というめんどくさい行程を踏んでいたのだ。 だからこそ、あまりの引き落としの回数の多さに私はめまいがした。 試しに母に1週間レシートを取って置くように伝え、1週間後に再び確認する。 しかし、レシートをとっておいて家計簿をつける、なんてことをしてこなかった母は、私がレシートを取って置くように言ったことをすっかり忘れていた。 それでも残っていた2~3日間のレシートを見て、私はめまいを覚えた。 母は、毎日駅前をふらつき、お茶を飲み、ランチを食べ、帰りにお弁当を買って帰ってきた。 その合計額が、なんと1日あたり2,000~3,000円だったのだ。 毎日こんな生活をしていたら、単純計算で1か月60,000~90,000円を食費だけで使っていることになる。 母にそう指摘したのだが、 「私はそんなに使っていない」 の、一点張りだった。 自分が毎月いくら使っているのか、理解できていない これはまずい。 うちには母を援助できるような余裕はない。 ただでさえこれからお金のかかる子ども達が2人いるのに。 最近の母は家賃・光熱費・食費等を含めて1ヶ月に20万円程使っていることになる。 このままのペースでは、早かれ遅かれ貯金が底をつく。 そうなると生活保護を受けることになってしまう。 こんなお金を無駄に使ったことで、お金が無くなったから生活保護なんてありえない。 しかし、今ならまだ間に合う。 私がお金を管理していけば、あと数年はなんとかできるだろう。 私は母を説得し、お小遣い用に使っていなかった通帳を渡して、そこに生活費を入れるから、他の通帳は私が預かることにした。 もう今更だが、やっぱりここでも問題は起こった。 私のお金を返せ 私は母が銀行に乗り込むのを防ぐべく、事前に銀行に訳を説明しておいた。 電話口で銀行の偉い人に、 「認知症の母がお金を管理できないため、娘の私が預かっている。母が銀行に来ることがあると思うが、娘が預かっていると説明してほしい」 と、頼み込んだのだ。 銀行側はそんなことに対応していない、と言っていたのだが、私の必死の頼み込みを受け、しぶしぶではあるものの了承してくれた。 そしてやはり、母は銀行に 「通帳が無い」 と、言って訪れた。 それもほぼ毎日。 そのたびに窓口の人は私に電話をかけ、私はその都度、何度も母に同じ説明をした。 それと同時に、私は母に宅配でお弁当を頼まないか、と説得をし始めた。 せめて外で食べることを辞めてくれたら、少しは節約できる。 できればデイサービスに行ってお昼ご飯を食べてもらいたい。 なんならデイサービスにお昼ご飯を食べに行くだけでも構わない。 しかし、母は頑としてうなずかなかった。 「私は私の好きなものを食べたい。私のお金を私が好きに使って何が悪い」 その都度、私は母に残金が厳しいことを伝えるのだが、母は全く理解してくれなかった。 自分の理解したくないこと、わかりたくないことを率先して忘れていく 1か月ほど母の銀行通いは続いたが、何とかどうにもならないと理解したらしく、今度は私を罵倒するようになってきた。 「お金を返せ」 「親に向かってどういうつもりだ」 「私が何か迷惑をかけたか」 その他にもいろんな言葉を浴びせられた。 私はその都度、お金はきちんと渡してある通帳に振り込んでいること、このまま好きに使い続ければお金が無くなることを説明する。 しかし、その日は何とか納得しても、次の日には同じことが電話で繰り返される。 日によっては私のうちにきて、玄関で喚き散らすこともあった。 正直、近所から警察を呼ばれかねないレベルだった。 この時期、私はかなり精神的に追い込まれていた。 母の今後を考えて色々やったのに、何一つ報われなかった。 薬を飲むことを忘れ、適切なケアも拒否し、お金を湯水のごとく使いたがる。 そして今後の自分の生活を一切考えていない。 そんな母のせいで日々の生活に疲れ果てていた私は、1つの大きな決断をした。 仕事をやめよう… 私は第二の人生に、と始めた介護の仕事を辞めることにした。 とてもではないが、精神的に人の介護ができる状態ではなかった。 しかし、私が働かなければ家計が回らないので、必死で在宅でできる仕事を探した。 私は学んだ。 人を介護することと、親を介護することは大きく違う。 介護の現場で他のスタッフに相談しても、返ってくるのは 「ケアマネージャーに相談してみれば?」 「他に頼れる人はいないの?」 だけだった。 介護の現場で働いていても、結局は仕事だし第三者の目線でしか付き合えない。 というか、そうしなければやってられない。 それに介護職の人の中には、実際に自分の親の介護をした人はいなかった。 介護に関するいろいろな知識はあったが… しかし、それは仕事をするために必要なことでしかなかった。 逆に私に聞かれたとしても、同じ返事しかできなかっただろう。 無料の介護相談ダイアルにも電話した。 返ってきたのは 「大変ね」 「いろんな人に相談してみるといいよ」 だけだった。 愚痴を聞いてもらう分にはいいかもしれないが、何に相談をしても正直これといった解決方法が出なかった。 私の年齢で、親の介護をしている人はいなかった。 だから誰に相談しても、返ってくるのは 「大変ね」 だけだった。 違う。 そんなことを言ってほしいんじゃない。 具体的な解決策を知りたいのだ。 この頃の私はどん底だった この頃の私は、外に出るのも、電話が鳴るのも怖かった。 外に出たらそこらをふらついている母と会うかもしれない。 電話がなると、また罵倒されるのだろう、と気が滅入った。 しかし、家にいたとて、いつ母が怒鳴りに訪れるのかわからない。 私には安心できる時間は全くなかった。 これがあと何年続くのか。 私はどうしたらよいのか。 真っ暗闇の中、私はうつ状態に近い状態になってしまった。 ③に続く。

  • 新しい常識は、非常識の中から生まれる

    新しい常識は、これまで非常識とされていたことの中から生まれると思っている。 今、常識とされていることに誰も疑いを持たず、ずっと同じことを繰り返すだけだと、それに合わない人やそぐわないことが出てきても、「非常識」というレッテルを貼るだけで終わる。 全てのことは時を経てどんどん変わっていくにも関わらず、常識に捉われすぎて変化を嫌えば、発展や進化、成長は見込めない。 ぼくは、非常識の中に価値を見出す人でありたいなって思います。 食事介助の人には食事用エプロンが当たり前 食事介助が必要な状態の方には、お口から食事がボロボロこぼれて服が汚れるのを防止する為に、ビニール製のエプロンを付けて食事をして頂くのが、高齢者施設の当たり前の食事の光景である。 黄色いお花の柄のエプロンや、赤いチェック柄のエプロンなど、色とりどりのエプロンが並ぶ。 ぼくはあのエプロンがどうにも苦手。 「認知症や身体の麻痺などで上手くお箸やスプーンを使えないけど、なんとかご自分で食事を召し上がられる方」や、「介護士がお口に運び入れるまでをお手伝い(食事介助)させて頂くが、どうしてもお口の中のものがこぼれてしまうような方」には、エプロンをして頂いてもいいと思う。 だが、介護士による食事介助でお口の中のものがこぼれてしまわない方であれば、介助する側がお口に運ぶ際にこぼれないように注意すればいいので、エプロンは不要だと思っている。 そこで。 「食事介助が必要な方にはエプロンをする」を当たり前だと思っている介護士さんは、一度「エプロンなし」を試してほしいなと思う。 エプロンがあると服を汚す心配がないので、スプーンに乗せる一口の量にあまりこだわっていない状態。 ところがエプロンがないと、自分の「さじ加減」によってはこぼしてしまう恐れがある。 そうすると、こぼして服を汚してしまわないように、お口の中に確実に入れてもらえる量しかスプーンに乗せないようにするし、その方の食べるペースをより理解しようとする。 結果、のどを詰めるリスクが減るし、食事のお手伝いが上達する。少しならタオルで拭けるしね。 高齢者のおフロは週2回が当たり前 「おフロに週2回しか入れないって、自分だったら嫌だな」と思って、入居者さんの入浴の回数を、週3回にしてみたことがある。 高齢者施設の基準で、「週2回以上の入浴」と定められているからと言う理由で、だいたいの施設で週2回が当たり前になっている。 これをどうにか打破できないかと考えた。 ただ、ぼくの勝手な思いだけで職員みんなの負担になってはいけないので、介護部のみんなに提案する際に、業務改善案も一緒にプレゼンした。 反対多数を覚悟していたが、意外にも賛同してくれる職員さんのほうが多く、 中には、「自分もどうにかおフロの回数を増やしてあげたいと思っていました」と言ってくれる人も。 役職者を中心に会議で話し合いを重ね、業務改善の方法を固めていった。 それから、他部署のかたにも協力を仰ぎ、1ヶ月限定で週3回の入浴をお試しした。 事前の打ち合わせが功を奏し、想像していたよりは負担も大きくならずに1ヶ月間を乗り切ることができた。 お試し期間が終わり、入居者さんに感想を聞いてみると、「1日でも多くおフロ入れるほうがいいわ」という答えかと思いきや、ほとんどの方が「2日に1回はしんどいわ」だった。 100名の入居者さんのうち、「週3回入りたい」と希望された方は3名だけ。 その3名の方だけ、お試し期間が終わっても、そのまま継続した。 それ以降、新しく施設に入居してこられる方には、入浴の回数を週2回か3回かをお聞きするというルールができた。 それでもほとんどの方は週2回を選ばれた。 「おフロは出来るだけ毎日入りたいというのが当たり前」だと思っていたが、高齢者になると体力的にしんどかったり、誰かに手伝ってもらって入らないといけないことの羞恥心などから、回数は週2回がほとんどの方の適切な回数なんだと、この取り組みをしたことでわかった。 そういう観点で定められたかどうかはわからないが、「高齢者施設の入居者さんの入浴の回数は週2回以上」という、常識的には不衛生と思われる国の基準が、実は正しかったということがわかった。 夜間不眠の方の対応は、睡眠薬が当たり前 夜、目覚めると10分とたたずにナースコールを押してくるAさん(男性)にみんなホトホト困っていた。 「おしっこ出た」と言われてオムツを見たら出ていない。 「足が痛い」と言われてさすったりしても納得されない。 ドンピシャな対応が出来ていない感じで、ピンポンピンポンが朝まで続く… おしっこが出たと言って出ていないということから、①膀胱炎などの病気ではないかということで泌尿器科への受診が検討された。 同時に、 ②夜になって足の痛みの訴えがあった場合にシップを貼る ③夜にしっかり寝て頂く為に、日中、できるだけリビングで過ごして頂く ④もともと服用している睡眠薬の量を増やすかどうかの検討 という対応が話し合われ、②③についてはすぐに実施した。 だが、④の睡眠薬については、適切な量に調整するのが難しく、就寝前に服用した薬の作用が起床時にも残っていて、足腰がフラフラで転倒される恐れがあったり、食事の際に意識がはっきりしていないことで喉詰めのリスクが高まったりするので、容易に頼るべきではないという考えから、どうにか避けたいなと思っていた。 さらにAさんに関しては、認知症があって言葉がはっきりしない為、しっかり訴えを読み取れていないと感じていた。 まずはAさんの頻回なナースコールの本当の意味を探り、その理由がわかって対応できれば、睡眠薬も不要になるのではないかと考えた。 ぼくは自分が夜勤の時に、Aさんの居室前に陣取って入口の扉のスキマから、Aさんをよく見てみることにした。 ナースコールを押されるまでの間に、Aさんが身体を動かされたり、独り言を言われたりする中に、訴えたいことのヒントが隠れているのではないか? そう考えていたが、すぐに全く別の角度から問題がわかった。 Aさんの居室前で椅子に座って待機していると、どこからともなく、ボソボソと人の声が聞こえてくるのだ。 「何これ?誰の声?めっちゃ気になる…」 職員がコールで呼ばれて対応している時は、職員自らが発する声や音でボソボソが聞こえていなかったが、静かにしていると気になってしかたがない音量でずっとボソボソ聞こえてくるのだ。 そしてどうやらボソボソの合間にBGMも聞こえてくる… そう、隣りの居室の方が聴いておられる深夜ラジオの放送だったのだ。 Aさんに「音、気になりますか?」と言うとウンウンと首の縦振りが止まらなかった。 やっぱりこれか…ということで、隣りの居室の方にお願いして、イヤホンをして頂くことにした。 それで一発解決。 その日から、Aさんのコールが鳴り出すと、隣りの方にイヤホンをお願いするという流れで、Aさんは寝てくださるようになった…。 偶然の発見だったが、入居者さんが何をどう思い、どう感じて行動をされているのかを知ろうとした結果、問題が解決し、不眠の方への当たり前である睡眠薬の服用自体をなくすことができた。 新しい常識はこれまで非常識と思われていたものの中にある ぼくは子どもの頃から、よく「へそ曲がり」と言われてきた。 人と違うほうを選ぶ、人がやっていることをやりたがらない、流行っているものを敬遠する、というめんどくさい性格である。 ただ、流行っているものでも、「自分もいいと思えるもの」であれば、その流行りに乗っかるし、「人と一緒」が嫌なわけではなく、人と一緒を選択する前に、他にも何かないかを考えるひと手間がかかるだけなのだ。 そしてそれが仕事となると、「何を非常識なこと言ってるねん」と、特に上位層の方々や、変化を嫌うベテランさんから煙たがられる存在になってしまう。 でも、誰もがやってみようとも思わなかった「非常識」をあえて試すことで、実はソッチのほうが良かったという発見につながって「新しい常識」になっていったり、これまでの「常識」がやっぱり正しかったんだという根拠になったりするのを何度となく経験してきた。 そして、それこそが業務改善の提案や、自分自身の成長につながってきたように感じている。 これからも「非常識」と呼ばれるものも含めてフラットに見ることの出来る視点を養いつつ、入居者さんにとってよりよいケアにつなげたり、介護士がより働きやすい職場環境にしていけるように、「柔軟なへそ曲がり」であり続けたいと思います。  

  • 訪問介護で必要な技術やスキルとは?実体験を踏まえてご紹介!

    訪問介護の仕事は、施設型の介護とは違った特殊な技術を必要とします。 介護スキル以外の能力で必要なこともあれば、施設とはまた違った環境下での介護スキルなど、同じ介護でも大きな違いがあります。 今回は、そんな訪問介護で必要な介護技術を、経験者がお伝えします。 訪問介護に特化した技術って何? 今回の記事では、訪問介護に特化した技術で、筆者自身が経験して必要と感じた技術やスキルをお伝えしていこうと思います。 実際の現場での体験談をもとに書いていきますので、今訪問介護をやっている方や、これからやろうと思う方の参考になれればと思います。 土地勘は必ず身に付けよう 当たり前の話ですが、訪問介護は施設介護と違い、広大な土地を介護のために移動しています。 本当であれば介護技術を例にあげるのですが、私は最初に訪問介護ならではの「土地勘」の大切さをお伝えしたいと思います。 訪問介護は基本的に自転車で行う方が多いと思います。 他にも場所によっては車で訪問したり、徒歩で向かう時もあるかもしれません。 どちらにせよ、この時大切になってくるのが土地勘です。 私自身、最初は慣れない土地で複雑な道や、訪問先の場所などは事前に調べて向かっていました。 私が訪問介護をやっていた時は、スマホなどの便利な機器もなく、地図に頼っての訪問でした。 地図だと行き先を見つけるのが一苦労で、スマホが出来てからは非常に助かったのを覚えています。 訪問介護は、訪問件数によっては土地勘がないことで大きくタイムロスを起こす可能性があります。 そうすると、一つ一つのケアが疎かになり、いいサービスが提供できなくなってしまうのです。 そのため、訪問先の道を覚えて土地勘をつけることは、スムーズな仕事にも役立ちますし、サービスの質の向上にも繋がります。 大切なことですので、しっかり土地勘を身につけてください。 安全運転を心がけよう 介護をするために一軒一軒のお宅に自転車や車で移動するので、訪問介護は常に事故と隣り合わせです。 なぜここまで当たり前のことを言うのか、それには大きな理由があります。 これは私が前いた職場であった事です。 訪問を終えてステーションに戻ると、管理者だけ急遽本社に来るように連絡が入ったのです。 今までになかった事ですから、みんな何が起こったのかとソワソワしていたのを覚えています。 結論から言うと、他のステーションの訪問介護員が、移動中に大きなトラックに撥ねられて還らぬ人となったのです。 しかもその事故が起こった事故現場は、私自身よく通る場所でした。 その事故現場の近さを聞いて、私自身ゾッとしたのを今でも覚えています。 一歩間違えたら私自身も、同じ運命を辿っていたかもしれないからです。 なぜ事故にあったのか? 色々な調べで分かったことは、事故に遭った職員は以下の3点から事故に遭ったとみられています。 ①次の仕事先に急いで向かっていた ②車の位置や安全確認を怠っていた ③車通りの多い道路を走ろうとしていた 当時の事故の様子だと、その職員は車と車の間から道路に飛び出して、自転車を漕ごうとしていた時に事故にあったようなのです。 これは訪問介護ならではの事故です。 施設型の介護だと、基本的にこんなことにはなりません。 しかし、訪問介護はケアの時間が長引いたり、訪問件数が多かったりすると、どうしても移動を急いでしまいがちです。 もちろん無理なシフトを回らせる職場も悪いです。 危ないと感じたら慌てずに行動し、明らかに無理なシフトを渡された時は、正直にシフト作成者に伝えてみてください。 大切なことなので念押ししますが、命は一度失ったら2度と戻りません。 なので無理をせず無事故を心がけて、訪問先の移動を行ってください。 介護技術で必要と感じたもの 前回の章では、技術の中でも自身の身を守るための技術をお伝えしました。 この章では、実際の介護技術を経験談も交えてお伝えしていきます。 何かしらのお役に立てれば、幸いです。  ご利用者様・家族と仲良くなる技術 訪問介護は施設型と違い、被介護者以外に家族とも会話をする時があります。 このような時、しっかりと挨拶や一般的な社会人らしい振る舞いを心がけてください。 家族は介護サービスだけしてもらえればいいと言うわけではありません。 個人差はもちろんありますが、実は訪問介護員の所作を一つ一つ、細かく見ていたりします。 その行動次第では、「この人に任せて平気かしら?」と思われるかもしれません。 そのため、挨拶や言動、清潔感や服装など家族と関わる上で気をつける点はたくさんあります。 訪問介護の大切な点として、訪問したらまずはご利用者様と家族、どちらとも仲良くなる必要があります。 大切なのでお伝えしておきます。 基本的に1人で対応する技術 訪問介護は1人で仕事をするため、1人で仕事をしていたい人にとってはいい環境です。 ただそれは、裏を返せば1人で全ての業務をこなし、問題に対処していかねばならないと言うことです。 実はこの技術と経験は、施設型の介護をする時にもいろいろな面で役に立ちます。 役に立つポイントとしては以下の点です。 ①トラブルなどがあっても動じなくなる ②頼る人のいない環境下での判断経験値がつく ③1人で状況を打開する技術力が身に付く 今回は訪問介護をする上で必要な技術の話ですが、この1人で状況を打開できるスキルを身につければ、訪問介護以外の業態で仕事をする時も役立ちます。 さらに一言付け加えると、どの職場に行っても応用の効く人として重宝される強みもあります。 ぜひ意識して身につけてください。 1人で状況判断する技術 訪問介護をしていると、突然のトラブルに巻き込まれることが時々あります。 これは場合によっては不可避なことも多いです。 例えば訪問時にご利用者様が突然の熱発で倒れていたり、食事介助中に嘔吐したりなどがあります。 これらは職員に咄嗟の判断を必要と迫るものが多く、すぐにその場で対処することが必要です。 基本的には電話などを使い、管理者に状況を説明して打開策を聞くのも良いです。 そちらの方が何かあったときに、介護士自身の身を守ることにもつながるからです。 しかし突発的で、今すぐの対処が必要なときは致し方ありません。 ご自身の経験則ですぐに対処する必要があります。 ここからは実際に私が体験した内容を1つ紹介して、どのように対応したのかも記載しようと思います。 訪問したら床が汚物まみれで、ご利用者様が転倒されていた その方は身体機能が落ちている男性のご利用者様で、その方には居室清掃のサービスを提供しています。 訪問すると玄関から異臭がしていて、その臭いの原因を確認するべくトイレの近くを見ると、トイレの前に失敗した形跡がありました。 臭いの原因はその失敗した汚物が原因だったようで、さらにご利用者様はその汚物で足を滑らせたのか転倒されていたのです。 衛生的にも悪く、そのままの状況を管理者に伝えて判断を仰ごうとしましたが繋がりません。 そのままにしておくわけにもいかないので、まずはご利用者様の様子を確認しました。 頭を打った形跡もなく、意識もはっきりしていることを確認できたため、ゆっくりと一部介助をしながら起こします。 その後、着ていた服が汚れていたので、急いで着替えをし、床の汚物を処理や、着ていた洋服を洗ってその後洗濯機にかけました。 居室の換気もして空気の入れ替えもし、なんとか環境も落ち着いてくると、ご利用者様も安堵の表情です。 その後経過報告を行うと、判断を特に咎められることもなくご利用者様に至っては経過観察になりました。 このように、突然の出来事に対してご利用者様に適切な対処をすることがとても大事です。 まとめ 訪問介護の職員にとって必要な技術を一言でまとめるなら、「個で解決出来る力」ではないでしょうか。 それは介護技術だけの話ではなく、自身の安全を守ることも必要となってきます。 訪問介護は介護技術を基礎としてまずは移動中の安全を確保することが最優先だと感じました。 今後も違う視点からの発信をしていきたいです。

  • だんだんプロになっていく

    最初から『介護士』な人なんていない。 ぼくが介護士として仕事を始めたのは、29歳の頃。 それまでは家庭の事情で、いろんなアルバイトを昼夜問わずに掛け持ちしながら、お金を稼げるだけ稼ぐ必要があったので、将来、こういう職業に就きたいといった希望や夢なんて全くなかった。 そんなぼくが、成り行き任せに介護士をすることになったので、「志」なんてあるわけもなかった… 何も持たない『介護士』としてのスタート 29歳で介護士としてデビューしたのは、家の近くに新しくできた『住宅型有料老人ホーム』で、そのホームが新設されるにあたり、半年後のオープンに向けて新入職者を募集していたのが、ぼくが介護士になるきっかけだった。 全くの無資格でなんの経験もない29歳の男性が面接に受かるはずもないということで、急遽、「ホームヘルパー2級(当時)」という資格が最速で取得できる専門学校に申し込んだ。 週5日、1日5~6科目の座学を約1ヶ月と、5日間の実習を経てヘルパー2級を取得。 実習をさせて頂いた特別養護老人ホームのヤバさには面食らったが、「ぼくはこんな施設では働くまい」「こんな介護士にはなるまい」という反面教師として今でも役立っているから、ある意味では勉強になったように思う。 そうして資格を取得して臨んだ有料老人ホームの面接で、無事に採用して頂くことができた。 その後、オープンの1ヶ月前からホームでの研修という形で勤務が始まった。 初日、集められた職員を見てぼくはビックリした。 同法人の別の施設で働いていた男性が介護部の責任者である主任としておられ、オープニングスタッフの中から経験豊富な女性が副主任として紹介された。 あと2名だけ他施設で経験のあるかたがおられたが、それ以外の人は、ぼくを除いたほぼ全員が、「卒業時に介護の資格を取得できる学校」を卒業したばかりの若い職員ばかりだったのだ。 「え?こんな未経験者だらけで大丈夫なん?」と思ったが、どうやらこのメンバーで本気で頑張るらしかった。 研修が始まると、ぼくだけが圧倒的に介護の知識がないことにさらにビックリした。 そりゃそうですよね。たった2ヶ月足らずの資格取得の為だけの勉強で、経験豊富やかたや、専門の学校で学んできた連中と渡り合えるわけがない。 なのに、いろんな職場経験は豊富なので、雑務だけは誰よりもできた。 そのことが「災い」し、開設準備期間中に、もう1人の副主任に抜擢されてしまったのだ。 そんなの、プレッシャーでしかなかったが、給料が一般職員に比べて上がるのですぐに首を縦に振ってしまった。 こうして、未経験で知識不足&介護士としての志も何もないままの副主任が誕生した。 迎えたオープン初日。いきなり、とんでもなく拒否の強い寝たきりのおばあさんが入居してこられ、ロビーで大絶叫! ぼくはどうしたらいいのかわからず、他の職員と一緒にただ黙って見ていることしかできなかった。 だがその数日後、ぼくはこのおばあさんに、介護士としてのやりがいを教わることになる。そして介護職という仕事にのめり込んでいくことになるのだ。 ※このお話は、『介護職のやりがいを教えてくれた人!18年間介護士を続けられる理由とは?』という記事に詳しく書いています。 誰でもやろうと思えばできること 副主任という立場上、他の職員が対応に困るような入居者さんの対応を率先してせざるを得ないという状況が、多くの失敗と、ごくまれではあるが成功体験をぼくにもたらしてくれた。 そうして徐々にに介護士として成長していった。 いろんな事情でそのホームを退職し、次に選んだ職場も、家の近くの新設の施設だった。 今度は『介護老人保健施設』のオープニングスタッフ。 この施設は介護経験者を多数採用しており、たった1年半の経験しかなかったぼくは、一般職員からのスタートだった。 だが、ここでも、他の職業を多数経験していることが役に立ち、さらに有料ホームでの1年半の介護経験と副主任経験がプラスされていた為、開設準備期間中からちょっと目立っていた。 オープニングの施設は、役職者として予定していた職員が急遽、入職してこないなどのハプニングが起こることも多い。 この時は、開設直後から事業所責任者と考え方が合わないという理由で、副主任にすぐに欠員が出た。 そしてぼくが抜擢された。 さらに半年後、あるフロアの主任が退職。 ぼくが選ばれた。 この施設で主任は、介護部長に次いで介護部として2番目の役職だった。 トントン拍子に役職が上がり、経験したことのない管理業務をする必要があったが、やりながら覚えたらどうにかなったし、何より入職時に比べて給料はだいぶ上がった。 なぜぼくを抜擢してもらえたのかを聞いてみたら、「たっつんさんは人が嫌がることを率先してやってくれてるでしょ?だからです。」と、介護部長が言ってくださった。 ぼくは、自分が29歳という、人よりだいぶ遅いタイミングで介護士になった。 周りの人より知識も経験もなかった。 だから、人がしないようなことも率先してやった。 出会った入居者さんとの関わりの中で、いろいろな学びを得ることで、周りの人に追いつこうとした。 そしてそれは、誰でもやろうと思えばできることだったと思う。 誰でもやろうと思えばできることをやってきた。それを認めてもらったのは嬉しかった。 やってみないとわからないから、とりあえずやろう それからぼくは32歳で介護部長になり、それ以降現在に至るまでに、2法人5施設で介護部の責任者として、15年間、現場に立ち続けている。 介護士は低収入と言われるし、実際にそうだ。 介護部の責任者のぼくですら、基本給の安さには驚きを隠せない。 だが、役職手当などもろもろついたら、世間一般的な47歳のかたの平均収入と同じくらいは頂けていると思う。 介護士の低収入への対策には、「昇格で補う」という方法がある。 が、これを嫌がる職員が多いこと多いこと。 ただでさえしんどい業務に加えて、管理業務をするのが大変そうだから嫌だという人が圧倒的に多いのだ。 (もちろん、その素養のないかたがおられることも事実ではあるが) だが、低収入を理由に介護士を辞めて、これまで培った知識や経験、人間関係などを全部捨てて、他の職業に新たにチャレンジすることのほうが大変だと思ったりするが、どうだろう? 役職に就きたがらない人が多いということは競争率も低く、なりやすいとは思えないだろうか? やったことのない業務に対して、こなす自信がないからという思いはないだろうか? ぼくは家族のために少しでも収入を増やしたくて、昇格の話を頂いたら、全部即答で、ありがたくお引き受けさせて頂いた。 当然、したことのない業務や足りない知識と、簡単には得られない職員からの信頼に苦労もしたが、得るものもまたとてつもなく多かった。 給料も当然上がった。 人間関係など、いろいろな理由で退職を考えるに至った時、役職に就いているという経歴が、次の就職先を探す際に大いに役立ったし、なんなら条件を自分で選ぶことさえできた。 後輩に、自分よりも明らかに認知症のかたの関わりが上手く、介護センス抜群の天才が現れた時、その天才の上司でいられる為にどうしたらいいかを考えた。 「たっつんさんの元で働いていても、自分の成長になりません」と言う理由で退職されてしまうことを恐れた。 そこでぼくは、介護保険制度の勉強や認知症についての勉強と、リーダーシップについての勉強をした。 本を読み漁った。 結果的に、知識や、指導する時の説明の上手さ、職員との関わり方などで、その天才に「自分にはできないっす。部長から学ばせてもらいます」と言われるまでになれた。 みんな最初は、何の武器ももたない状態からのスタートだと思う。 だが、自分自身の現在地を正確に把握し、周りの人と比べて足りないところを補うための工夫や、自ら率先して体験することで、徐々に徐々に、プロの介護士になっていくのだと思う。 自信がないからこそやってみる。自ら飛び込んでみる。 このことが、ほんとに大事だなって思いつつ、そういう人があまりいないなって実感から、この文章を書きたくなりました。

  • 認知症の母を施設に入居させるまで。ひとり娘の奮闘記②

    前回のお話。 80歳を超えたあたりから物忘れの症状が出始めた母。 病院で検査を受け、初期段階の認知症であると診断された母は要介護2と診断された。 ひとり暮らしを続けてもらうためにも、ひとまずデイサービスを受けてもらおうとしたが、問題が勃発する。 デイサービスに行きたくない! それまで母は毎日バスに乗り、ひとりで駅前をふらついていた。 基本的に家でのんびりできる人ではないことや、高齢者は申請すれば市営バスを乗り放題であることもあった。 しかし、母は初期段階であるとはいえ認知症である。 万が一迷子になって、色々な人にご迷惑にならないとも言いきれない。 そんなこともあってデイサービスを始めようとしたのだが。 まず、お迎えのバスに乗らない。 「私には必要ない。興味もない。だから行きたいときに行く」 デイサービスは行く曜日をきちんと設定してプランを作るものなので、そんな都合よく利用できるものではない。 しかし、ケアマネージャーさんはこの母の提案を受け入れてくれた。 そんな風に始めたデイサービスだったが、結果的に母はほとんど通わなかった。 母ははかなりの人嫌い 愛想よくふるまうことは得意だが、基本的にわがままなので人に合わせることが好きではない。 子供の私に 「人は利用するものだ。利用されるな」 なんて説教をした人である。 そんな母にはもちろん友人はほとんどいなかった。 私の知っている限り、地元にいる友人が1人と、同じ会社に勤めていた人1人だけである。 ちなみに引っ越してくる前は合唱やお琴などさまざまなサークル活動にも参加していたようだが、どれもこれも長続きはしなかった。 とにもかくにも、母は1人でいることの方が好きなのだ。 人が集まって雑談をするような場所は、基本的に好まない。 数か月間様子を見た後、ケアマネージャーさんからは、 「訪問介護とデイサービスの両方が使える施設を利用してはどうか」 との提案を受けた。 訪問介護を受けることに デイサービスに来ないのであれば料金がもったいない。 そのうえ、薬を毎日服薬することが80歳過ぎてもほとんど無かった母は、病院で処方された認知症の薬をほとんど飲んでいなかった。 1~2か月に一度、私が病院に連れて行くのだが、母の家で残量を確認すると半分以上が残っていたのだ。 そのため、服薬管理と体調管理をしてくれる訪問介護にして、気が向いたときにデイサービスを利用できるほうが、母に向いている、と、提案してくれたのだ。 私はこのケアマネージャーさんをかなり信用していたので、できればこの施設で面倒を見てもらいたかったが、訪問介護を扱っていない以上仕方ない。 そしてケアマネージャーさんから紹介された施設に母を連れて行き、手続きをした。 そこのケアマネージャーさんは地域包括センターのケアマネージャーさんから話を聞いていて、快く受け入れてくれた。 しかし、ここでもやはり、事件は起きるのである。 私はそんなものを頼んでいない とりあえず始めたのは訪問介護だった。 毎日朝、家に訪ねて行ってもらい、服薬と体調を見てもらう。 およそ10数分の行程だ。 このくらい娘の私がやれ、と思われる方もいるかもしれないが、私には小学生の娘が2人いた。 そして介護施設での仕事もある。 私が自宅から車で15分のところに住んでいる母のところに毎日行って、それらを確認できる時間をとることはとてもではないが難しかった。 母は訪問介護すらも拒絶 家に入られるのは嫌だから、と玄関での対応にしてもらったにも関わらず、だ。 訪問介護を契約したことをすっかり忘れ、 「おまえは誰だ。私はそんなものを頼んだ覚えはない」 と、怒鳴り散らしたのである。 しかも1度や2度ではない。 かなり頻繁に罵倒していたらしいのだ。 また、訪問介護が来る前に出かけてしまうこともあった。 朝9時に予定しているのに、それよりも早く出かけるのだ。 駅前の店なんて、喫茶店くらいしか開いていないのに。 もちろんデイサービスのバスにも乗らなかった。 というか、拒否をした。 そこでも数か月様子を見てもらったが、とうとう施設が根をあげた。 「受け入れて頂けないのであれば、これ以上の対応は無理です。お金ももったいないですし」 私は頭を抱えることしかできなかった。 そしてこの後、驚愕の事実を知るのである。 いくら使っているのかわからない ある日、母が訪問介護とデイサービスの料金に文句を付けてきた。 施設の利用料は全て母の預金から引き落としされている。 しかし、施設利用の契約をした記憶が無い母からすれば、訳の分からない料金が引き落とされている、とご立腹なのだ。 母は通帳を私に見せ、 「どういうことか」 と怒鳴り散らす。 認知症になってから母はイライラして怒鳴り散らすことが多くなっていた。 私は通帳を見ながら、施設に訪問介護とデイサービスの契約をしたこと、その場には母もいたことを告げる。 そこで私は驚愕の事実に気が付いた。 80歳を過ぎた母は基本的に年金暮らしだ。 もちろん年金だけでは生活することは困難なので、退職金などの貯金を切り崩して生活をしてきた。 子供のころ、裕福な生活などしてこなかったし、特に今は残金も限られているのだから、母もそれを理解して生活していたはずだった。 ここ数か月では頻繁にお金がおろされていた 母は通帳を2つ持っていた。 年金が入ったり家賃が引き落とされる通帳と、退職金などの貯金がある通帳。 基本的に貯金のある通帳から引き落とし通帳にお金を移し、そこから引き落として生活費にする、というめんどくさい行程を踏んでいたのだ。 だからこそ、あまりの引き落としの回数の多さに私はめまいがした。 試しに母に1週間レシートを取って置くように伝え、1週間後に再び確認する。 しかし、レシートをとっておいて家計簿をつける、なんてことをしてこなかった母は、私がレシートを取って置くように言ったことをすっかり忘れていた。 それでも残っていた2~3日間のレシートを見て、私はめまいを覚えた。 母は、毎日駅前をふらつき、お茶を飲み、ランチを食べ、帰りにお弁当を買って帰ってきた。 その合計額が、なんと1日あたり2,000~3,000円だったのだ。 毎日こんな生活をしていたら、単純計算で1か月60,000~90,000円を食費だけで使っていることになる。 母にそう指摘したのだが、 「私はそんなに使っていない」 の、一点張りだった。 自分が毎月いくら使っているのか、理解できていない これはまずい。 うちには母を援助できるような余裕はない。 ただでさえこれからお金のかかる子ども達が2人いるのに。 最近の母は家賃・光熱費・食費等を含めて1ヶ月に20万円程使っていることになる。 このままのペースでは、早かれ遅かれ貯金が底をつく。 そうなると生活保護を受けることになってしまう。 こんなお金を無駄に使ったことで、お金が無くなったから生活保護なんてありえない。 しかし、今ならまだ間に合う。 私がお金を管理していけば、あと数年はなんとかできるだろう。 私は母を説得し、お小遣い用に使っていなかった通帳を渡して、そこに生活費を入れるから、他の通帳は私が預かることにした。 もう今更だが、やっぱりここでも問題は起こった。 私のお金を返せ 私は母が銀行に乗り込むのを防ぐべく、事前に銀行に訳を説明しておいた。 電話口で銀行の偉い人に、 「認知症の母がお金を管理できないため、娘の私が預かっている。母が銀行に来ることがあると思うが、娘が預かっていると説明してほしい」 と、頼み込んだのだ。 銀行側はそんなことに対応していない、と言っていたのだが、私の必死の頼み込みを受け、しぶしぶではあるものの了承してくれた。 そしてやはり、母は銀行に 「通帳が無い」 と、言って訪れた。 それもほぼ毎日。 そのたびに窓口の人は私に電話をかけ、私はその都度、何度も母に同じ説明をした。 それと同時に、私は母に宅配でお弁当を頼まないか、と説得をし始めた。 せめて外で食べることを辞めてくれたら、少しは節約できる。 できればデイサービスに行ってお昼ご飯を食べてもらいたい。 なんならデイサービスにお昼ご飯を食べに行くだけでも構わない。 しかし、母は頑としてうなずかなかった。 「私は私の好きなものを食べたい。私のお金を私が好きに使って何が悪い」 その都度、私は母に残金が厳しいことを伝えるのだが、母は全く理解してくれなかった。 自分の理解したくないこと、わかりたくないことを率先して忘れていく 1か月ほど母の銀行通いは続いたが、何とかどうにもならないと理解したらしく、今度は私を罵倒するようになってきた。 「お金を返せ」 「親に向かってどういうつもりだ」 「私が何か迷惑をかけたか」 その他にもいろんな言葉を浴びせられた。 私はその都度、お金はきちんと渡してある通帳に振り込んでいること、このまま好きに使い続ければお金が無くなることを説明する。 しかし、その日は何とか納得しても、次の日には同じことが電話で繰り返される。 日によっては私のうちにきて、玄関で喚き散らすこともあった。 正直、近所から警察を呼ばれかねないレベルだった。 この時期、私はかなり精神的に追い込まれていた。 母の今後を考えて色々やったのに、何一つ報われなかった。 薬を飲むことを忘れ、適切なケアも拒否し、お金を湯水のごとく使いたがる。 そして今後の自分の生活を一切考えていない。 そんな母のせいで日々の生活に疲れ果てていた私は、1つの大きな決断をした。 仕事をやめよう… 私は第二の人生に、と始めた介護の仕事を辞めることにした。 とてもではないが、精神的に人の介護ができる状態ではなかった。 しかし、私が働かなければ家計が回らないので、必死で在宅でできる仕事を探した。 私は学んだ。 人を介護することと、親を介護することは大きく違う。 介護の現場で他のスタッフに相談しても、返ってくるのは 「ケアマネージャーに相談してみれば?」 「他に頼れる人はいないの?」 だけだった。 介護の現場で働いていても、結局は仕事だし第三者の目線でしか付き合えない。 というか、そうしなければやってられない。 それに介護職の人の中には、実際に自分の親の介護をした人はいなかった。 介護に関するいろいろな知識はあったが… しかし、それは仕事をするために必要なことでしかなかった。 逆に私に聞かれたとしても、同じ返事しかできなかっただろう。 無料の介護相談ダイアルにも電話した。 返ってきたのは 「大変ね」 「いろんな人に相談してみるといいよ」 だけだった。 愚痴を聞いてもらう分にはいいかもしれないが、何に相談をしても正直これといった解決方法が出なかった。 私の年齢で、親の介護をしている人はいなかった。 だから誰に相談しても、返ってくるのは 「大変ね」 だけだった。 違う。 そんなことを言ってほしいんじゃない。 具体的な解決策を知りたいのだ。 この頃の私はどん底だった この頃の私は、外に出るのも、電話が鳴るのも怖かった。 外に出たらそこらをふらついている母と会うかもしれない。 電話がなると、また罵倒されるのだろう、と気が滅入った。 しかし、家にいたとて、いつ母が怒鳴りに訪れるのかわからない。 私には安心できる時間は全くなかった。 これがあと何年続くのか。 私はどうしたらよいのか。 真っ暗闇の中、私はうつ状態に近い状態になってしまった。 ③に続く。

  • 新しい常識は、非常識の中から生まれる

    新しい常識は、これまで非常識とされていたことの中から生まれると思っている。 今、常識とされていることに誰も疑いを持たず、ずっと同じことを繰り返すだけだと、それに合わない人やそぐわないことが出てきても、「非常識」というレッテルを貼るだけで終わる。 全てのことは時を経てどんどん変わっていくにも関わらず、常識に捉われすぎて変化を嫌えば、発展や進化、成長は見込めない。 ぼくは、非常識の中に価値を見出す人でありたいなって思います。 食事介助の人には食事用エプロンが当たり前 食事介助が必要な状態の方には、お口から食事がボロボロこぼれて服が汚れるのを防止する為に、ビニール製のエプロンを付けて食事をして頂くのが、高齢者施設の当たり前の食事の光景である。 黄色いお花の柄のエプロンや、赤いチェック柄のエプロンなど、色とりどりのエプロンが並ぶ。 ぼくはあのエプロンがどうにも苦手。 「認知症や身体の麻痺などで上手くお箸やスプーンを使えないけど、なんとかご自分で食事を召し上がられる方」や、「介護士がお口に運び入れるまでをお手伝い(食事介助)させて頂くが、どうしてもお口の中のものがこぼれてしまうような方」には、エプロンをして頂いてもいいと思う。 だが、介護士による食事介助でお口の中のものがこぼれてしまわない方であれば、介助する側がお口に運ぶ際にこぼれないように注意すればいいので、エプロンは不要だと思っている。 そこで。 「食事介助が必要な方にはエプロンをする」を当たり前だと思っている介護士さんは、一度「エプロンなし」を試してほしいなと思う。 エプロンがあると服を汚す心配がないので、スプーンに乗せる一口の量にあまりこだわっていない状態。 ところがエプロンがないと、自分の「さじ加減」によってはこぼしてしまう恐れがある。 そうすると、こぼして服を汚してしまわないように、お口の中に確実に入れてもらえる量しかスプーンに乗せないようにするし、その方の食べるペースをより理解しようとする。 結果、のどを詰めるリスクが減るし、食事のお手伝いが上達する。少しならタオルで拭けるしね。 高齢者のおフロは週2回が当たり前 「おフロに週2回しか入れないって、自分だったら嫌だな」と思って、入居者さんの入浴の回数を、週3回にしてみたことがある。 高齢者施設の基準で、「週2回以上の入浴」と定められているからと言う理由で、だいたいの施設で週2回が当たり前になっている。 これをどうにか打破できないかと考えた。 ただ、ぼくの勝手な思いだけで職員みんなの負担になってはいけないので、介護部のみんなに提案する際に、業務改善案も一緒にプレゼンした。 反対多数を覚悟していたが、意外にも賛同してくれる職員さんのほうが多く、 中には、「自分もどうにかおフロの回数を増やしてあげたいと思っていました」と言ってくれる人も。 役職者を中心に会議で話し合いを重ね、業務改善の方法を固めていった。 それから、他部署のかたにも協力を仰ぎ、1ヶ月限定で週3回の入浴をお試しした。 事前の打ち合わせが功を奏し、想像していたよりは負担も大きくならずに1ヶ月間を乗り切ることができた。 お試し期間が終わり、入居者さんに感想を聞いてみると、「1日でも多くおフロ入れるほうがいいわ」という答えかと思いきや、ほとんどの方が「2日に1回はしんどいわ」だった。 100名の入居者さんのうち、「週3回入りたい」と希望された方は3名だけ。 その3名の方だけ、お試し期間が終わっても、そのまま継続した。 それ以降、新しく施設に入居してこられる方には、入浴の回数を週2回か3回かをお聞きするというルールができた。 それでもほとんどの方は週2回を選ばれた。 「おフロは出来るだけ毎日入りたいというのが当たり前」だと思っていたが、高齢者になると体力的にしんどかったり、誰かに手伝ってもらって入らないといけないことの羞恥心などから、回数は週2回がほとんどの方の適切な回数なんだと、この取り組みをしたことでわかった。 そういう観点で定められたかどうかはわからないが、「高齢者施設の入居者さんの入浴の回数は週2回以上」という、常識的には不衛生と思われる国の基準が、実は正しかったということがわかった。 夜間不眠の方の対応は、睡眠薬が当たり前 夜、目覚めると10分とたたずにナースコールを押してくるAさん(男性)にみんなホトホト困っていた。 「おしっこ出た」と言われてオムツを見たら出ていない。 「足が痛い」と言われてさすったりしても納得されない。 ドンピシャな対応が出来ていない感じで、ピンポンピンポンが朝まで続く… おしっこが出たと言って出ていないということから、①膀胱炎などの病気ではないかということで泌尿器科への受診が検討された。 同時に、 ②夜になって足の痛みの訴えがあった場合にシップを貼る ③夜にしっかり寝て頂く為に、日中、できるだけリビングで過ごして頂く ④もともと服用している睡眠薬の量を増やすかどうかの検討 という対応が話し合われ、②③についてはすぐに実施した。 だが、④の睡眠薬については、適切な量に調整するのが難しく、就寝前に服用した薬の作用が起床時にも残っていて、足腰がフラフラで転倒される恐れがあったり、食事の際に意識がはっきりしていないことで喉詰めのリスクが高まったりするので、容易に頼るべきではないという考えから、どうにか避けたいなと思っていた。 さらにAさんに関しては、認知症があって言葉がはっきりしない為、しっかり訴えを読み取れていないと感じていた。 まずはAさんの頻回なナースコールの本当の意味を探り、その理由がわかって対応できれば、睡眠薬も不要になるのではないかと考えた。 ぼくは自分が夜勤の時に、Aさんの居室前に陣取って入口の扉のスキマから、Aさんをよく見てみることにした。 ナースコールを押されるまでの間に、Aさんが身体を動かされたり、独り言を言われたりする中に、訴えたいことのヒントが隠れているのではないか? そう考えていたが、すぐに全く別の角度から問題がわかった。 Aさんの居室前で椅子に座って待機していると、どこからともなく、ボソボソと人の声が聞こえてくるのだ。 「何これ?誰の声?めっちゃ気になる…」 職員がコールで呼ばれて対応している時は、職員自らが発する声や音でボソボソが聞こえていなかったが、静かにしていると気になってしかたがない音量でずっとボソボソ聞こえてくるのだ。 そしてどうやらボソボソの合間にBGMも聞こえてくる… そう、隣りの居室の方が聴いておられる深夜ラジオの放送だったのだ。 Aさんに「音、気になりますか?」と言うとウンウンと首の縦振りが止まらなかった。 やっぱりこれか…ということで、隣りの居室の方にお願いして、イヤホンをして頂くことにした。 それで一発解決。 その日から、Aさんのコールが鳴り出すと、隣りの方にイヤホンをお願いするという流れで、Aさんは寝てくださるようになった…。 偶然の発見だったが、入居者さんが何をどう思い、どう感じて行動をされているのかを知ろうとした結果、問題が解決し、不眠の方への当たり前である睡眠薬の服用自体をなくすことができた。 新しい常識はこれまで非常識と思われていたものの中にある ぼくは子どもの頃から、よく「へそ曲がり」と言われてきた。 人と違うほうを選ぶ、人がやっていることをやりたがらない、流行っているものを敬遠する、というめんどくさい性格である。 ただ、流行っているものでも、「自分もいいと思えるもの」であれば、その流行りに乗っかるし、「人と一緒」が嫌なわけではなく、人と一緒を選択する前に、他にも何かないかを考えるひと手間がかかるだけなのだ。 そしてそれが仕事となると、「何を非常識なこと言ってるねん」と、特に上位層の方々や、変化を嫌うベテランさんから煙たがられる存在になってしまう。 でも、誰もがやってみようとも思わなかった「非常識」をあえて試すことで、実はソッチのほうが良かったという発見につながって「新しい常識」になっていったり、これまでの「常識」がやっぱり正しかったんだという根拠になったりするのを何度となく経験してきた。 そして、それこそが業務改善の提案や、自分自身の成長につながってきたように感じている。 これからも「非常識」と呼ばれるものも含めてフラットに見ることの出来る視点を養いつつ、入居者さんにとってよりよいケアにつなげたり、介護士がより働きやすい職場環境にしていけるように、「柔軟なへそ曲がり」であり続けたいと思います。  

  • 訪問介護で必要な技術やスキルとは?実体験を踏まえてご紹介!

    訪問介護の仕事は、施設型の介護とは違った特殊な技術を必要とします。 介護スキル以外の能力で必要なこともあれば、施設とはまた違った環境下での介護スキルなど、同じ介護でも大きな違いがあります。 今回は、そんな訪問介護で必要な介護技術を、経験者がお伝えします。 訪問介護に特化した技術って何? 今回の記事では、訪問介護に特化した技術で、筆者自身が経験して必要と感じた技術やスキルをお伝えしていこうと思います。 実際の現場での体験談をもとに書いていきますので、今訪問介護をやっている方や、これからやろうと思う方の参考になれればと思います。 土地勘は必ず身に付けよう 当たり前の話ですが、訪問介護は施設介護と違い、広大な土地を介護のために移動しています。 本当であれば介護技術を例にあげるのですが、私は最初に訪問介護ならではの「土地勘」の大切さをお伝えしたいと思います。 訪問介護は基本的に自転車で行う方が多いと思います。 他にも場所によっては車で訪問したり、徒歩で向かう時もあるかもしれません。 どちらにせよ、この時大切になってくるのが土地勘です。 私自身、最初は慣れない土地で複雑な道や、訪問先の場所などは事前に調べて向かっていました。 私が訪問介護をやっていた時は、スマホなどの便利な機器もなく、地図に頼っての訪問でした。 地図だと行き先を見つけるのが一苦労で、スマホが出来てからは非常に助かったのを覚えています。 訪問介護は、訪問件数によっては土地勘がないことで大きくタイムロスを起こす可能性があります。 そうすると、一つ一つのケアが疎かになり、いいサービスが提供できなくなってしまうのです。 そのため、訪問先の道を覚えて土地勘をつけることは、スムーズな仕事にも役立ちますし、サービスの質の向上にも繋がります。 大切なことですので、しっかり土地勘を身につけてください。 安全運転を心がけよう 介護をするために一軒一軒のお宅に自転車や車で移動するので、訪問介護は常に事故と隣り合わせです。 なぜここまで当たり前のことを言うのか、それには大きな理由があります。 これは私が前いた職場であった事です。 訪問を終えてステーションに戻ると、管理者だけ急遽本社に来るように連絡が入ったのです。 今までになかった事ですから、みんな何が起こったのかとソワソワしていたのを覚えています。 結論から言うと、他のステーションの訪問介護員が、移動中に大きなトラックに撥ねられて還らぬ人となったのです。 しかもその事故が起こった事故現場は、私自身よく通る場所でした。 その事故現場の近さを聞いて、私自身ゾッとしたのを今でも覚えています。 一歩間違えたら私自身も、同じ運命を辿っていたかもしれないからです。 なぜ事故にあったのか? 色々な調べで分かったことは、事故に遭った職員は以下の3点から事故に遭ったとみられています。 ①次の仕事先に急いで向かっていた ②車の位置や安全確認を怠っていた ③車通りの多い道路を走ろうとしていた 当時の事故の様子だと、その職員は車と車の間から道路に飛び出して、自転車を漕ごうとしていた時に事故にあったようなのです。 これは訪問介護ならではの事故です。 施設型の介護だと、基本的にこんなことにはなりません。 しかし、訪問介護はケアの時間が長引いたり、訪問件数が多かったりすると、どうしても移動を急いでしまいがちです。 もちろん無理なシフトを回らせる職場も悪いです。 危ないと感じたら慌てずに行動し、明らかに無理なシフトを渡された時は、正直にシフト作成者に伝えてみてください。 大切なことなので念押ししますが、命は一度失ったら2度と戻りません。 なので無理をせず無事故を心がけて、訪問先の移動を行ってください。 介護技術で必要と感じたもの 前回の章では、技術の中でも自身の身を守るための技術をお伝えしました。 この章では、実際の介護技術を経験談も交えてお伝えしていきます。 何かしらのお役に立てれば、幸いです。  ご利用者様・家族と仲良くなる技術 訪問介護は施設型と違い、被介護者以外に家族とも会話をする時があります。 このような時、しっかりと挨拶や一般的な社会人らしい振る舞いを心がけてください。 家族は介護サービスだけしてもらえればいいと言うわけではありません。 個人差はもちろんありますが、実は訪問介護員の所作を一つ一つ、細かく見ていたりします。 その行動次第では、「この人に任せて平気かしら?」と思われるかもしれません。 そのため、挨拶や言動、清潔感や服装など家族と関わる上で気をつける点はたくさんあります。 訪問介護の大切な点として、訪問したらまずはご利用者様と家族、どちらとも仲良くなる必要があります。 大切なのでお伝えしておきます。 基本的に1人で対応する技術 訪問介護は1人で仕事をするため、1人で仕事をしていたい人にとってはいい環境です。 ただそれは、裏を返せば1人で全ての業務をこなし、問題に対処していかねばならないと言うことです。 実はこの技術と経験は、施設型の介護をする時にもいろいろな面で役に立ちます。 役に立つポイントとしては以下の点です。 ①トラブルなどがあっても動じなくなる ②頼る人のいない環境下での判断経験値がつく ③1人で状況を打開する技術力が身に付く 今回は訪問介護をする上で必要な技術の話ですが、この1人で状況を打開できるスキルを身につければ、訪問介護以外の業態で仕事をする時も役立ちます。 さらに一言付け加えると、どの職場に行っても応用の効く人として重宝される強みもあります。 ぜひ意識して身につけてください。 1人で状況判断する技術 訪問介護をしていると、突然のトラブルに巻き込まれることが時々あります。 これは場合によっては不可避なことも多いです。 例えば訪問時にご利用者様が突然の熱発で倒れていたり、食事介助中に嘔吐したりなどがあります。 これらは職員に咄嗟の判断を必要と迫るものが多く、すぐにその場で対処することが必要です。 基本的には電話などを使い、管理者に状況を説明して打開策を聞くのも良いです。 そちらの方が何かあったときに、介護士自身の身を守ることにもつながるからです。 しかし突発的で、今すぐの対処が必要なときは致し方ありません。 ご自身の経験則ですぐに対処する必要があります。 ここからは実際に私が体験した内容を1つ紹介して、どのように対応したのかも記載しようと思います。 訪問したら床が汚物まみれで、ご利用者様が転倒されていた その方は身体機能が落ちている男性のご利用者様で、その方には居室清掃のサービスを提供しています。 訪問すると玄関から異臭がしていて、その臭いの原因を確認するべくトイレの近くを見ると、トイレの前に失敗した形跡がありました。 臭いの原因はその失敗した汚物が原因だったようで、さらにご利用者様はその汚物で足を滑らせたのか転倒されていたのです。 衛生的にも悪く、そのままの状況を管理者に伝えて判断を仰ごうとしましたが繋がりません。 そのままにしておくわけにもいかないので、まずはご利用者様の様子を確認しました。 頭を打った形跡もなく、意識もはっきりしていることを確認できたため、ゆっくりと一部介助をしながら起こします。 その後、着ていた服が汚れていたので、急いで着替えをし、床の汚物を処理や、着ていた洋服を洗ってその後洗濯機にかけました。 居室の換気もして空気の入れ替えもし、なんとか環境も落ち着いてくると、ご利用者様も安堵の表情です。 その後経過報告を行うと、判断を特に咎められることもなくご利用者様に至っては経過観察になりました。 このように、突然の出来事に対してご利用者様に適切な対処をすることがとても大事です。 まとめ 訪問介護の職員にとって必要な技術を一言でまとめるなら、「個で解決出来る力」ではないでしょうか。 それは介護技術だけの話ではなく、自身の安全を守ることも必要となってきます。 訪問介護は介護技術を基礎としてまずは移動中の安全を確保することが最優先だと感じました。 今後も違う視点からの発信をしていきたいです。