Mさん(女性)は施設入居時から寝たきりではありましたが認知症は全く有りませんでした。施設入居初日に、ロビーで「イヤぁぁぁ!帰らせてぇぇぇ!」と大絶叫。
それからずっと全てを拒否。食事、水分摂取、入浴、更衣、オムツ交換、そして会話。車椅子からベッドに移る際に激しく抵抗され、壁のほうを向いたままで、職員みんなが困ってた…。
介護士としてのデビュー
ぼくが介護士になったのは29歳の時。
それまでは主に家庭の事情で、少しでも高い収入を得る必要があった為に、あえて正職員に就かずに、朝から晩までアルバイトを掛け持ちして収入を得ていた。
家庭の事情が落ち着き、結婚もしたので、そろそろ正職員として勤務をしようということになり、当時『ホームヘルパー2級』という資格を1ヶ月半ほどで取得したのちに初めての就活をした。
そしてすぐ、自宅近くに新設される『住宅型有料老人ホーム』にオープニングスタッフとして採用されたのである。
開設1ヶ月前に召集された介護職員の内訳は次の通り。
系列の高齢者施設から異動して来られた男性の主任さんと、オープニングスタッフの中から抜擢された2人の副主任。
2名ほどの経験者と、10数名の未経験者。
そのほとんどが高校や専門学校、大学を卒業したばかり。
ぼくはその中では圧倒的な最年長だった。
そして抜擢された副主任の2人は、介護経験豊富な女性と、
「社会人経験が豊富」なだけの僕だった。
未経験なのにいきなりの副主任…プレッシャーが半端じゃなかった。
初めての入居者さんが介護拒否
1ヶ月の開設準備期間を経て、いよいよオープン初日。初めて入居してこられたかたが、冒頭のMさんだったのだ。
病院の送迎車からストレッチャーに寝た状態で降りてこられたMさんは、施設のロビーで「イヤぁぁぁ!帰らせてぇぇぇ!」と大絶叫された。
初めての入居者さんをお迎えしていた施設の全職員が唖然とする中、介護主任とぼくじゃないほうの副主任がMさんの元に駆け寄る。
なだめるように話しかけるが、聞く耳を持たれず、両手をバタつかせて抵抗されたので、送迎に同行されていたヘルパーさんも加わり、なんとか施設で用意していた車椅子(リクライニングタイプ)に移って頂いた。
その間も絶叫は続いていたが、お構いなしに送迎の方々は戻っていかれた。
車椅子を主任が押して、居室に案内する。ぼくたちは全員でついていく。それから居室のベッドに移って頂くのも3人がかり。
その時に初めて、ぼくは高齢者のかたの介助をさせて頂いた。そして思いっきり、腕に爪を立てられてキズを負わされた。
それからというもの、Mさんは、職員が少しでも身体に触れようものなら、ひっかくわ、噛みつくわ。飲まず食わずで3日間。時には大声、時には無視で、介護拒否を続けた。
さすがに3日目には、脱水を危惧した施設のDr.が点滴を試みたが、それも思いっきり暴れて拒否。「これだけ元気ならまだ大丈夫」と、Dr.の指示で様子を見ることになった。
Mさんは「要介護5」のかたで、認知症は全くないが、下半身に全く力が入らず寝たきりの状態。両腕は動かせるが、脇を半分開けることができる程度しか上げれず、また指が変形しているので上手くものを掴んだりできない。
オシッコは『バルーンカテーテル』という管につながれていて、流れ出てパックにたまったものを介護者が定期的に破棄する。ウンチはオムツ内にするよりないが、便秘傾向なので、下剤を服用して4〜5日ごとに出るかどうかという感じであった。
要するに、生活全般に介護が必要な方なので…。
このままずっと介護拒否が続くと、ほんとに大変なことになる。
介護士、看護師、ケアマネジャー、相談員など、多職種みんなでカンファレンスで話し合うもいい対策案は出ず。入院していた病院に問い合わせても、そんなことはなかったとのこと。
かたくなな心を溶かした作戦
徹底抗戦の構えから4日目の夜勤がぼくだった…
夕方に出勤し、Mさんの情報を日勤の職員に確認すると、その日も朝から何も口にせず、全て拒否が続いているとのこと。
夕食は18時から提供開始。衛生的な観点から食事は2時間以内に召し上がって頂くのが施設のルール。
Mさんの居室に運び、お声掛けするも無視。すべてのお椀にフタをした状態でお盆ごとテーブルに置いて一旦、退室する。
今日も食べてくれないのか…
そう思いつつ19時、再度、Mさんの居室へ。
壁のほうを向いて寝ている背中に話しかける。
「Mさん、お腹へってないんですか?」「のど乾いてないです?」
…返事はない。
そこでぼくは(なぜそうしようと思ったのか全く覚えていないが)ペットボトルを取りに行き、
「のど乾いたから、ぼく飲みますね~」と言った後、
グビグビグビグビ~って思いっきり音を立てて飲んでみた。
そして、「あぁうまぁぁ!」と大げさに言ってみた。
すると、
“ぐぅ~~~っ”とMさんのお腹の虫が鳴いたのだ。
「ん?今のなんです?なんの音です?」と、詰め寄る。返事はない。
が、肩が揺れていることに気付いた。
わざと沈黙で間を取ったあと、Mさんの寝ておられるベッドのブレーキを外し、壁からベッドを離して身体を入れることの出来るスキマを作った。
そのスキマに入り、
「今のぐぅ~~~ってなんでした?」と言いつつ、壁のほうを向いてるMさんの顔を覗き込むと、目と口をギュッとして笑いを堪えてた。
「めっちゃ笑ろてますやん」とツッコむと、よけいに目と口をギュッとして堪える。全身が揺れている。
「Mさん、ぐぅ~~~~って聞こえませんでした?」って、肩に手を当てて言ったと同時に我慢しきれず大爆笑!
「あっははははははははは!!」
すかさず、「飲みます?」とお聞きすると、「うん」と笑顔で返して下さった。4日間で初めて見せて下さったその笑顔が可愛すぎた。
ペットボトルにストローを指し、お口元へ持っていくと、ポカリをゴックンゴックン一気飲みされた。それから「夕食も食べます?」とお聞きすると、「お腹がへってるから食べさせて」と言って下さった。
ベッドの頭側を上げて食べやすい姿勢になって頂き、ぼくの食事介助で召し上がって頂くと、パクパクと平らげて下さった。
途中で様子を見に来たもう1人の夜勤職員が、食事しているMさんを見て「え~~~?!」ってビックリしながら笑ってた。ぼくは副主任らしいことが初めて出来たことで、きっとドヤ顔をしていた。
拒否の理由と、介護という仕事のやりがい
食事しながらMさんは悲しそうにぼくに言った…
「この施設に入るって家族に言われてなかったんや。退院したら、自分のおうちに帰れるもんやと思ってた。おうちで家族が面倒見てくれるもんやと思ってた…そしたら、病院から車に乗せられても、家族のもんが一緒に乗ってけぇへんし、降ろされたと思ったら、見たこともないホテルみたいなところやろ?それでわかったんよ。」
それから、
「…でも、あんたらに関係ないもんな。家族とはまた話をしたいけど…とにかく、来てからずっと意地はってごめんな。ありがとう」
と、笑顔で言って下さった。
ご家族とのことを考えると複雑な気持ちではあったが、『ありがとう』の言葉で、ぼくは全身に喜びがこみ上げた。
身体が不自由でオシッコも管がつながれた状態。ご家族の協力がないとおうちでは生活できないと理解されていたMさんは、拒否がなければめっちゃ可愛いおばあさんだった…
介護職は、入居者さん・ご家族両方の思いを引き受ける仕事であり、めちゃくちゃやりがいのある仕事であるとMさんから教えて頂いた。
この時のことが脳裏に焼き付いているからこそ、ぼくは介護職という仕事を18年も続けてこれているのだと思う。
出会った初めての入居者さんがMさんで、ぼくは運が良かった…。