まるで戦場です。1週間のコロナ療養中も報告は受けていた。
が、まさかこれほどとは…山積みの感染防護具、廃棄用ゴミ箱、消毒液。フロアに誰もいない。
陽性者だらけでみなさん居室隔離。職員1人にかかる負担がヒドい。「熱あります!」「検査して!」「陽性でした!」が当たり前。
終わりの見えないトンネルに閉じ込められた気分だった…
兆しは突然に現れた…
施設職員の徹底した感染対策のおかげで、周りの施設の入居者さんがコロナに発症したという情報を何度となく聞きながら、ぼくの勤務する施設ではほとんど発症者を出すことなく平和だった。
だがやはり、完全に防止することは不可能だった。
2023年の1月。
職員2名が同時にコロナに発症し、その2名が勤務するフロアで、ついに入居者さんの中から感染者が出てしまったのである。
施設はわりと年季が入っていて、個室もあるが全室ではない。
もともとは4人部屋だったところを建具で仕切って個室のようにしているという造りのお部屋もあって、建具は天井に「つっぱり棒のデカいやつ」のような感覚で固定されている為、部屋の天井に近い部分はツーツーになっている。
発症されたかたはその4人部屋のかただった。その造りが災いし、発症した1名のかたと同室の3名のかたが『濃厚接触者扱い』になった。
『感染者』は、たまたま空いていた個室に移動して頂き、個別対応。同室ということで『濃厚接触者』になられたかた3名をそのままのお部屋で見させて頂く。
お昼間は職員がまだ多く出勤している為、感染者・濃厚接触者の対応をしてもどうにか業務が成立するが、問題は夜間帯。
夜勤者が1名で対応するのがかなりの負担になる。
感染対応をしているかたのお手伝いをする際には、感染防護具(マスク・フェイスシールド・ガウン・手袋・キャップ)を着て脱いで、また別のかたの対応で着て脱いで、を延々繰り返すことになる。
その方以外にも、普通に生活をしておられる入居者さんの対応も当然あるので、まぁようするにいつもの夜勤よりもかなりのキツさなのだ。
そこで、『感染者』と『濃厚接触者』のかたのみの対応をする、”+1名の夜勤者”をシフトに組み込むことになった。
その分、日勤者が少なくなるのは言うまでもないので、普段はシフトに1人としてカウントされていないぼくも夜勤に入ることにした。
初めて入居者さんから感染者が出て2日目、濃厚接触者のかたのうち2名が高熱を出し、検査の結果は陽性。感染者が3名になった。
濃厚接触者の残る1名は終日寝たきりで他のかたとの接触がほぼないことからお部屋の移動はせずにそのままのお部屋にいて頂くことになった。
2日目にして感染者3名・濃厚接触者1名の対応を引き続き行う。
次の日。フロアの職員から新たに陽性者1名。
さらに次の日。
職員1名、また別の居室の入居者さん1名が陽性。
この日も夜勤に入る。
そして次の日の夜勤明けで、ぼくは寒気を覚えた…
一番大変なタイミングで療養生活に…
おうちに帰り、熱を測ると37.6℃。これはマズい。
すぐに調べて医療用の抗原検査キットを販売している最寄りのドラッグストアへ走る。ヒヤヒヤしながら検査をするとマイナス。
「よかった~」と思いつつもしんどいので、とりあえず昼寝。
そして…
夕方に起きたら39.6℃まで上がっていた。
すぐに施設へ連絡し、看護部長に状況を伝えると、『みなし陽性』ということで『感染者』と同じ扱いで、仕事を休むよう指示を受けた。
気分は最悪だった。
身体のしんどさとかより、めちゃくちゃ大変な時に介護部の責任者として現場に立てないことのツラさに押しつぶされそうになった。
だが、きっと感染しているであろう状態で出勤して、感染拡大させるわけにもいかない。「仕方ないことなんだ」と自分に言い聞かせた。
家族にも伝え、家庭内隔離をしてもらうことにした。ここでは施設での経験が大いに役立った。
結局、翌日の再検査で陽性が判明した。
陽性が確定することで、ホテル療養を申し込むことが出来た。
息子が大学受験、娘が高校受験の大詰めを迎えていたので、家にぼくがいて感染させるわけにはいかない。
そして翌日から1週間、ホテルでの療養生活がスタートした。
ホテル療養中にも、感染は拡大の一途をたどる
ぼくの病状はホテルに行ってから5日目くらいまで微熱が続いていたが、寝込んでしまうほどのしんどさではなく、本を読んだり、パソコンしたり、テレビやYoutubeを見たりする余裕があり、むしろ快適だった。
そんな中で、施設で頑張ってくれているフロア主任と定期的に連絡を取っていた。その内容は悲惨なものだった。
毎日のように入居者さんの感染者が増えていき、それに伴い、同室のかたの濃厚接触者もまた増えていく。
対応してくれている職員もじょじょに感染していき、他フロアや、法人内の他施設から何名かヘルプに来てもらってなんとか業務をこなしているといった状況であった。
なかなか終息のメドが立たない状況で、それでも介護・看護が力を合わせて対応してくれている。
その中に自分がいないことの情けなさ。
この時ほど、自分の非力さを呪ったことはなかった。
ぼくが復帰するまで、なんとか耐えてほしい。復帰したら思いっきり働くからなんとか!という祈るような気持ちだった。
そして1週間…
復帰したぼくを待っていたのは、想像を超える現場の惨状であった。
それでも終わりはくる
まるで戦場だった。
報告は受けていたが、まさかこれほどとは思ってもみなかった。
山積みの感染防護具、廃棄用ゴミ箱、消毒液。フロアに誰もいない。陽性者だらけでみなさん居室隔離。職員1人にかかる負担がヒドい。
「熱あります!」「検査して!」「陽性でした!」が当たり前。終わりの見えないトンネルに閉じ込められた気分だった…
主任はぼくの顔を見て安心したのか、ぼくが復帰した翌日に陽性になり、バトンタッチで休むことになった。あとはぼくが主任に代わってなんとか凌いでみせる番だった。
とりあえず、どの入居者さんがいつ感染対応解除になるのか、どの職員が自宅療養を終えて出勤できるのかを、1つずつ整理していきつつ、これ以上の拡大を防止すれば『あと〇日で完全に終息する』というのを明確にし、そこを目指して対応の徹底を改めて確認し合った。
入居者さんにしろ、職員にしろ、「熱がある」と聞くだけで「ビクッ」としてしまう。それでも「いや違う違う」と言い聞かす。
そんな気休めみたいなことばかり考えつつ、目の前の業務をひたすらこなしていると、なんとかピークが過ぎ、新たな陽性者が出ないという状況になってきた。自宅療養していた職員も少しづつ戻ってきた。
えらいもので、『感染者』や『濃厚接触者』の感染対策がみんなカンペキにできるようになっていった。通常の業務よりもいくつもやるべきことが増えたが、それすらも普通にこなせるようになってきた。
じょじょに入居者さんの対応が解けていく。職員の人数が元に戻っていく。
長かったトンネルの終わりが見えてくる。
そしてついに…
最初の感染者が出てから約1ヶ月半ほどで、感染の対応が必要なかたがゼロになった。
ほんとに長かったし、終わりが見えなかった。
ぼく自身も途中、離脱してしまって悔しい思いもした。それでも終わりがきたのである。
感染対応の物品を最後に撤収させた時、両手を広げて「終わったー!」と言ってしまった。
みんなも同じ気持ちだったように思う。
ほんとに過酷だった。それでも終わるんだなって思った。
これからも感染症と付き合っていかなければならない
振り返ってみると、職員がコロナに発症してしまったことは仕方がないし、そこから入居者さんが感染したことも防止できなかったと思う。
だが、施設内で感染が拡大してしまったのは、出来ていると思っていた対応が正確にきっちりと出来ていなかった事が原因ではないかと思う。
感染防護具の着脱や感染ゴミの扱い方など、最初からカンペキだったかと言われると、ぼく自身もはっきり言って自信がない。
今回のコロナクラスターの経験はとても厳しいものだったが、これで終わりではない。
コロナが2023年5月より『5類』という分類になり、これまでのような規制が緩和される。
だが、コロナがなくなるわけではないし、まだ見ぬ未知のウィルスが新たに発生するかも知れない。それでもぼくたちはそれらと共存していかないといけない。
その為にも正しい知識で適切に対応することがいかに大事かということを、今回の経験からは学んだ。
それにしてもキツかったぁ~!