めちゃくちゃお元気だった101歳のAさん(男性)は、ぼくの不注意で転倒し、大けがをされた…
ご家族さんが不在の時だけ施設に泊まりに来られる常連さん。認知症もなく、ピンと背筋を伸ばして歩く姿がカッコ良かった。
お1人でもおうちで大丈夫だろうと思われるくらいお元気だが、「念のため」ということと、ぼくを含む気ごころ知れた職員としゃべったり、ちょっとしたレクリエーションをしたりすることを楽しみに、定期的に施設に来て下さっていた。
そんなAさんが、ぼくの不注意で転倒してしまったのだ…
取り返しのつかない判断ミス
ぼくが夜勤明けの早朝5:30頃、「おはようさん」と居室から出てこられたAさんは、両手にカラの湯飲みとマグカップを持って、キッチンにいるぼくに近づいてこられた。
湯飲みにお茶、マグカップに薬を飲むためのお白湯(夜のうちにつくって冷めているぶん)を希望されたので、その通りに注ぐ。
そしてそのまま、それらを両手で持って居室に戻ろうとされたので、「大丈夫ですか?」とお聞きする。すると、「いけるよ」とのお返事だった。
その時ぼくは、「Aさんなら大丈夫だろう」と軽く考えてしまった。その判断が取り返しのつかない事態を招く。
居室に戻って行かれるAさんの背中を何となく見ていたら、突然、Aさんがバランスを崩して前のめりに転倒された。
両手がふさがっていた為に受け身を取ることが出来ず、「ゴンッ!!」と床に、顔面から落ち、同時に右ヒザを強打されたのだ。
慌てて駆け寄り、「大丈夫ですか?!」とお聞きしながら身体を起こすと、「すまんすまん」との返事。アゴから血がしたたり落ち、右ヒザは少し動かすだけで顔をゆがめるほどの痛みがあった。
救急搬送
特別養護老人ホームにおいて、看護師さんが夜勤に入っている施設は少なく、この時の施設でも夜間は看護師さんが不在だった。
介護士だけで対応できない「何か」が起った時は、看護師さんに電話して状況を伝え、指示を仰ぐというルール。
そのルールに従って、他の夜勤者に看護師さんへの連絡を依頼する。ぼくはAさんのアゴの応急処置をしてから、身体をかついで車椅子に乗って頂き、居室のベッドまでお連れした。
右ヒザを動かさないように気をつけたが、響くだけでも痛いご様子だった。
連絡を受けた看護師さんは、自宅が施設からおうちが近いこともあって、かなり早く出勤してきてくれた。Aさんの状態を確認してもらうと、すぐに救急車で病院に向かうことになった。
看護師さんが119番に連絡し、救急車を手配。ほどなく施設に到着し、看護師さんの付き添いで、受け入れ先の病院まで搬送されることになった。
ぼくは「大したことありませんように」と強く願った。
看護師さんが救急車の手配をし、受け入れ先の病院が決まった段階で、ぼくからご家族さんに連絡すると、烈火のごとく激怒され、
「なんでそんなことになるんですか?!」
「ほんとにちゃんと見てくれてたんですか?!」
と、たたみかけるように質問攻めにあった。
ただただ謝るより他なかった。
その後、病院に同行した看護師さんから、Aさんは下アゴを5針縫い、右ヒザの骨折で入院することになったと連絡が入った。病院に到着したご家族さんは、看護師さんにも激怒され、罵声を浴びせられたらしい。
気のゆるみの代償
ぼくが、「Aさんなら大丈夫だろう」ではなく、「Aさんでも危険かもしれない」と判断し、飲み物を居室まで運んでいればこんなことにはならなかった…
気のゆるみ、判断の甘さで取り返しのつかないことになってしまった。ぼくは完全に自信を失った…
Aさんはその後、入院生活の中で寝たきりになり、認知症を発症。退院して再び施設に泊まりに来られた際、その見違える姿にぼくは動揺を隠すことができなかった。
あの、背筋をピンと伸ばしてカッコよく歩くAさんはどこにもいなかった。
後日、Aさんを担当されていたケアマネさんから伺ったお話だと、本当はご家族さんは、Aさんを他の施設にお任せしたかったとのこと。
だが、申し込み手続きや面談など、サービス利用に至るまでに必要となる諸々をやっている時間がなく、複雑な思いながら、引き続き、ぼくのいる施設を使わざるを得なかったとのことだった。
何度かの施設ご利用後、ご自宅で肺炎を患い、帰らぬ人となってしまわれた。転倒から、たった1年後のことだった。
施設長がお通夜に行かせて頂きたいと連絡し、施設長と施設のケアマネさんが参列したが、その連絡の際、ご家族さんからぼくは名指しで「来させないでほしい」と、拒否されたとのことだった。
ぼくはどうしても行かせて頂きたかったが、参列させて頂くことで気持ちが少し楽になるのは自分だけだと思い直し、「やはり行くべきではない」と自分に言い聞かせた。
ぼくは当時、すでに介護部長という役職で、介護士の指導にあたる立場であったが、自分の不注意でこんな事故を起こしてしまった人間が、何をエラそうに他の職員の指導をできることがあるのかと考えた。
それどころか、このまま介護の仕事を続けていていいものか、それ自体を真剣に悩んでいた。
悩みながら、結論を出すことなく惰性で毎日の勤務をこなしていた。
介護士の後輩たちや、他の部署の職員さんも、
「たっつんさんじゃなくても、自分もたぶん同じ対応してたと思います」
「そこまで自分を責めなくてもいいんじゃないですか?」
と、声をかけてくれたが、誰の慰めの言葉も耳に入らなかった。
ご家族さんからのお手紙
後日、ご家族さんからぼく宛てに手紙が届く。
『たっつんさん。父は入院中、
「あの人を責めたらいかん。ワシが勝手にこけただけや」
と、何度も言ってました。
私たちの気持ちの整理がつかず、拒否してしまいましたが、たっつんさんに辛い思いをさせてしまい、申し訳ありません』
といったことが書かれてあった。
ぼくは読みながら、生まれて初めて崩れるように泣いた…
ぼくは正直、Aさんが転倒されたあの日からずっと、介護士を続けるかどうか迷いながら仕事をしていた。
許されるはずもない、取り返しのつかないことをしてしまったという罪悪感で常に自分を責めていた。
そして、命をお預かりする、介護士という仕事の怖さを、ほんとに心の底から感じていた。
このお手紙は、そんな思いを浄化してくれた。
いろんな思いの入り混じった涙を、しばらく止めることができなかった。
後悔を胸に刻んだまま進んでいく
ぼくはAさんから、
「介護士という仕事の怖さ」と「人を許すことの大切さ」を教わりました。
ぼくの場合は、たまたまAさんとそのご家族さんが、とてもいいかただったので救われましたが、気をゆるめてはいけない場面で気をゆるめてしまったり、判断ミスをしてしまうことで取り返しのつかないことになってしまうことがある「介護士という仕事の怖さ」を理解してもらいたい。
そして、ぼくと同じ後悔をしないようにしてほしいという思いで、後輩にはこの話を必ずしています。
人の悪口を言ったり、自分が楽をしたいという思いから業務を適当にこなすような職員さんには注意をしますが、それでもなかなか改善せずに相変わらず同じようなことを繰り返していると、さすがにイラっとします。
ですがそういう時は、Aさんから教わった「人を許すことの大切さ」を思い出し、自分の指導のしかたが間違ってたのかな?次はどういうアプローチすればいいかな?と考えられるようになりました。
ぼくはまだ完全に自分を許すことができていませんが、今でも鮮明に浮かぶAさんの笑顔とあの日の後悔を胸に刻んだまま、介護士を続けていこうと思います。