おばあちゃんが壊れた日。おばあちゃんの最期から学んだこと。

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介護サービスドットコム編集部

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大好きだったぼくのおばあちゃんの晩年は、認知症の幻覚がひどかった。「家に知らん女があがりこんでる」「ベッドの下にヘビが入りよった」「身体中から虫がわいてくる」と騒ぎ立てる毎日。

日に日に、自宅で介護することが困難になっていく…

 

おばあちゃんっ子だったぼくの家庭環境

ぼくは生粋のおばあちゃんっ子だった。
生まれた時から一緒に暮らしてたおばあちゃんは、オヤジの母親。


オヤジ・おかん・ぼく・妹・おばあちゃんの5人家族。小さい頃から共働きだったぼくの両親に代わり、ぼくと妹はおばあちゃんに育てられたと言っても過言ではなかった。

小学1年生から引きこもりだったぼくは、極度の人見知り。どこに行くにも何をするにも、いつもおばあちゃんがいてくれた。

ぼくは小学校の高学年になるまで、おばあちゃんの二の腕を掴んでないと寝れないような子だった。

小学5年の時、オヤジの経営する会社が倒産し、一気に貧乏生活に突き落とされた。オヤジもおかんも借金返済に追われ、家のことはますますおばあちゃんが1人でやっていた。

そんな状態であるにも関わらず、オヤジは女性にだらしがなく、社長時代の金銭感覚を修正することはなかった。その事がきっかけで、おかんとの関係がどんどん悪化し、後に妹だけ連れて出ていくことになる。

おばあちゃんは息子が可愛いので、オヤジを責めるのではなく、なぜかおかんに対して厳しく当たっていた。そのことも、おかんが堪忍袋の尾を切る原因になった…

おばあちゃんが認知症を発症

借金返済生活が15年ほどで完了し、おかんと妹も家を出て、ぼくも結婚して家を出て、それからおばあちゃんは息子であるオヤジと2人暮らしになった。

家賃がもったいないので、実家を引き払いオヤジと2人で小さなアパートに引っ越したのだ。それからほどなく、おばあちゃんは認知症を発症した。

タクシーの運転手だったオヤジは夕方に家を出ると翌朝まで帰らない。それまでおばあちゃんは家に1人。オヤジは帰ってきてもご飯を食べてビールを飲んだらすぐに寝る。

起きたとしても部屋は別々。おばあちゃんは誰ともしゃべらず、ひたすら毎日、テレビの前に座ってるという生活だったのがよくなかったのだろう。

ぼくもちょくちょくおばあちゃんの様子を見に行ってたし子供たちを連れて遊びに行ったりもしていたが、大した刺激にはならなかったんだと思う。

すでに介護職だったぼくは、認知症が発症してからは頻度を上げておばあちゃんちに通っていたし、オヤジが2日ごとに夜間不在になるので、その日に泊まったりもしていた。

でもやはり、自分の家庭も仕事もあり、お世話するにも限界があった。

日中、家にヘルパーさんに来てもらうようになった。生活のお手伝いと話相手。デイサービスにも通うようになった。

人には「ええ顔」をするタイプのおばあちゃんは、「知らん人が家に来るの嫌や」「知らん人ばっかりおるとこに行くの嫌や」とぼくとオヤジには文句を言いながらも、ヘルパーさんともデイサービスのみなさんともすぐに馴染んでいた。

おばあちゃんの幻覚症状が出るのは、家1人でいる時。

ぼくが家に行ってみると、ちょうど幻覚を見てる時ってことも多かった。「子供が家中、走りまわりよる」「さっきから女がこっち睨んできとる」「また服の中に虫が入ってきよった」とわめき散らす。

オヤジは自ら語らなかったが、おそらくおばあちゃんを殴ってた。オヤジに聞いても「そんなことするわけないやろ」と返ってきたし、おばあちゃんに聞いても息子をかばうのか「そんなことされてない」との返答しかなかった。

ぼくも、自分の生活を削っておばあちゃんのお世話に行っていたのだが、それがだんだん嫌になっていった。

認知症はどんどん進行していく。最初の頃からお世話になってる馴染みのヘルパーさんに悪態をつき、デイサービスの送迎員さんを殴ろうと暴れ、ヘルパーさんの利用もデイサービスの利用も、徐々に先方から難色を示されるようになっていった。

老人ホームへの入居を真剣に悩んだが、ぼくとオヤジが2人でいくらふり絞ってもお金の面で厳しく、なにより、同じ介護業界の人間の見解として「悪さ」をするおばあちゃんはどこからも断られると思ってた。

そんな矢先、心配していたことが起こる…

在宅介護を諦めた事件

ある日の夜中、「〇〇(オヤジの名前)が埋められてる!」と叫びながら、おばあちゃんは、アパートの壁を杖でドンドンと叩きまくり、警察沙汰になる。隣の方に通報されたのだ。

連絡を受けて急遽帰宅したオヤジは、アパート前に止まるパトカーと、野次馬の人達の群れ、警察官にさえ喰ってかかってる鬼の形相のおばあちゃんを見たとのこと。

おばあちゃんはオヤジの顔を見て落ち着いたそうだが、警察官から「しっかり見てあげて下さい」と注意を受けた。

翌朝オヤジからの連絡を受けたぼくは、急遽仕事を休んでおばあちゃんを連れ、主治医である認知症専門のDr.受診。家庭事情を含め説明した上で相談すると、その場ですぐに調整して下さり、翌日には緊急で精神科の病院に入院させてもらえることになった。

心底ホッとした…。

オヤジもぼくも、お金の不安はかなりあったが、そんなことを言ってる場合ではなかった。

おばあちゃんの最期の日々

翌日も引き続き休みを取り、オヤジと一緒に家から約1時間ほど離れた山手のニュータウンの脇にひっそりと佇むA病院におばあちゃんを連れていった。


おばあちゃんは車から降りて病院に入ったところで表情が豹変し、急に凶暴になった。その状態で院長先生との面談に3人で臨んだ。

おばあちゃんが「あんたはキツネが化けとるんや!」と叫びながら院長先生を杖で突こうとしたところで看護師3名に押さえつけられ、車椅子で奥に連れて行かれた。

オヤジと2人で平謝りし、その後に入院の手続きなどを行い、最後に病室に通された時にはおばあちゃんは眠ってた。

1階のロビーから病室まで案内されたのだが、病棟の玄関では施錠されているドアを2か所通った。さらにおばあちゃんの病室にも鍵がかかっていた。

病室前の廊下ではベッドごと出されて眠っているや、車椅子と腰ベルトでつながれているなどを目撃した。自分が勤める施設とあまりに違う光景に衝撃を受けた…。

「こういうところにおばあちゃんを置いていくのか…」

そう思いながらもぼくは、介護士でありながらおばあちゃんの介護を放棄した…

よく「介護の仕事って大変ですよね」と言われるが、おうちで家族介護されているみなさんの苦労を思うと、軽々しく「そうなんですよ」なんて言えない。他人だからこそ冷静に、余裕を持って、その人のお世話をさせて頂けるんだと思う。

家族介護を何年もされたかたのお話を聞くたび、尊敬の念を深く抱く。ほんとによほどの覚悟がないと出来ないし、自分が壊れてしまってもおかしくないと思う。

だからこそ、家族介護を頑張っておられるには、少しでもぼくたちのようなプロの介護士に頼ってほしいと伝えたい。そしてぼくは、頼られるプロになりたいと思う。

生きてるおばあちゃんを見た最後は、お見舞いに行った時だった。看護師さんに頭を撫でられ、気持ちよさそうに眠ってる姿。

陽に当たり、全ての苦痛から解放されたような穏やかな表情が、「家でお世話できなかった」というぼくの罪悪感を消してくれた。94歳の誕生日を迎えた春のことだった。

どれだけ穏やかに関わっても、認知症による暴言暴力が全く治まらないかたもいる。高齢者施設によっては「精神科の病院への入院」を良しとせず、ただ耐えることを方針とするところもある。

だが、介護する側にも限界がある。時にはそういった病院や薬に頼ることも必要であると、おばあちゃんのことがあったからこそ、考えるようになった。