認知症はないが、首から下が全く動かなくなっていく難病を患ってるAさん(女性)のイライラが止まらない。
居室で横になられる時は、ナースコールを左肩の上あたりに置き、ほっぺたで押せるようにセットする。
が、ちょっとでもズレたら、押したくても押せずに大声で職員を呼ぶことになる…
筋萎縮性側索硬化症(ALS)
Aさんの難病、『筋萎縮性側索硬化症(ALS)』は、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく病気。
しかし、筋肉そのものの病気ではなく、筋肉を動かし、かつ運動をつかさどる神経が主に障害を受けた結果、脳から「手足を動かせ」といった命令が伝わらなくなることにより、力が弱くなり、筋肉がやせていくという病気である。
一方で、身体の感覚、視力や聴力、内臓機能などはすべて保たれることが一般的とされている。
日本では50歳~74歳という、比較的若い時期に発症する人が多く、実際にAさんも70代前半のかたであった。
思い通りにならないイライラ
居室で横になっていて、ナースコールを押したくても押せなくなってしまった場合は大声で職員を呼ぶことになるが、他の業務をしている中、なかなか声は届かない。
結果的には、2時間ごとの職員の巡視が来るまで待たざるを得ない状況になる。ナースコールに細工を施してズレないように対策を取るが、どうしても上手くいかない場合もあった。
車椅子はリクライニング式のものを購入して使っておられたが、身体がズレてくることから長時間座っていられない。首にも力が入らないので、バランスが崩れるとグランと頭が落ちてしまう。
頭を安定して支えるサポート(U字になっていて後頭部を包むように支えるもの)もついているが、食事前にそのサポートに真っ直ぐに頭をもたれられるようにしないと、水分をストローで飲もうとしてお口で迎えに行こうとされるタイミングでグラン。
そもそも施設の食事について「薄味で口に合わない」と、常に言われていた。
トイレには座れずに終日オムツの中にせざるを得ない。
不快感があるので出た瞬間にキレイにしてほしいが、上にも書いたように、ナースコールを押せずにすぐに職員を呼べない場合は、次の巡視までその不快感を我慢するしかない。
寝たきりのかた用の『機械浴』という特殊なお風呂は「ちょっと怖い」と思いつつ、仕方なく入られる。
生活のほとんどの時間を居室でテレビを観て過ごす…
自分で動けないのに頭はしっかりしているという状態が、いかに過酷なものか想像できるはずもない。
そんな思い通りにならない毎日と、ご自分ではどうにもならない不甲斐なさとで、職員に対して常に愚痴をこぼしたり、きつく当たるなど、イライラをぶつけておられた。
例えば…
大声で叫んでも職員が気付かなかった場合、次に巡視に伺った職員に対しては特にボロカスに罵声を浴びせられた。
食事のお手伝い中も常にブスッとしており、職員や他の入居者さんと会話が弾むなどということはほとんどなかった。
唯一、湯舟につかっておられる時だけ、ホッとした表情を浮かべておられたが、それでも「ぬるい」と文句を言うことは忘れてはいなかった。
職員のみんなはだんだん、Aさんと関わること自体がストレスになってきているようだった。となると、ぼくやフロア主任がなるべくAさんと関わる担当をするということになっていく…
実際にAさんと蜜に関わらせて頂くと、言われていることはほんとに「仰る通り」のことばかりで、ただイライラを理不尽に職員にぶつけておられるわけではなく、「考えたらわかること」「ちょっと気を配ればできること」をしてくれない時に、怒っておられたということが理解できた。
Aさんの為にも、関わる職員の為にも、Aさんが心穏やかに過ごして頂く方法はないかを考える…
Aさんのご要望を実現していく
他部署の職員も交えて、Aさんの対応についてカンファレンスを行う。
そして、少しでもイライラを解消する為に、『Aさんが望んでおられることをできるだけさせて頂く』ということになった。
その為に、その時々で何を望んでおられるのかを知る必要があった。
Aさんにご要望をお聞きすると…
・ウンチが出たらすぐオムツを替えてほしい
・お風呂とオムツはなるべく女性にしてほしい
・おかずの味付けをもう少し濃くしてほしい
・下痢も便秘も嫌なので、ヨーグルトは欠かさず朝食べたい
そして、
・韓流ドラマが好き
・主人と行った海外旅行がとてもいい思い出
などなど…
といったことを挙げられた。そしてご自身のお身体の状態から、
・こうしてもらえると嬉しい
・こうされるとしんどい、ツラい
といったことも教えて下さった。
挙げて頂いたことを、みんなで協力してできる範囲で実現させていく。
●ウンチ後はすぐにオムツ交換。これをする為に、ナースコールで呼ばれていなくても、1時間おきにAさんの居室を伺うようにした。ただしこれは、男性が対応せざるを得ない日もあった。
●フロアの冷蔵庫には調味料を常備し、味付けが薄いと言われた際に醤油などを使えるようにした。
●ご主人の面会時にはヨーグルトを買ってきて頂き、一緒に居室で過ごす日をなるべく作って頂いた。
●ビデオデッキ(当時)を持ってきて頂き、『世界遺産』や『韓流ドラマ』を流した。韓流ドラマについては、TSUTAYAでぼくが選んでレンタルしてきた『私の名前はキムサムスン』にドはまりし、他のかたにも見せたいとのことで、Aさん主催と銘打って上映会をしたほどだった。
※キムサムスンはぼく自身もハマり、あとで全話を一気見したのは余談ですが、観たことないかたはぜひ見てほしい作品です。マジで名作ですから。
こういった取り組みを進めていくうちに、業務中に少し手の空いた職員が話し相手としてAさんの居室を訪れるようになった。ご主人も積極的にご協力くださり、居室にはみるみる油絵が増えていった。
Aさんのイライラは少しずつ解消し、職員のみんなもAさんが優しくなっていかれるのが嬉しいようであった。どんどん良好な関係性が築かれていった。
そんな時、ぼくの施設異動が決まった…
満を持して託せるようになったチーム
打ち明けるのを数日悩み、夜勤明けで行うAさんの朝の身支度の際に伝えた。歯磨きと洗顔のルーティン。
ところどころにマッサージ的な要素を加えるぼくのやり方をすごく喜んで下さっており、「もうこれもしてもらわれへんようになるんやね…」とすごく落ち込まれた。
「これ」の詳細は…
まだ他のみなさんが目覚めておられない時間帯にAさんの居室に行き、1番に起きて頂く。朝の身支度の時間を確保する為である。
パジャマから洋服に着替えて頂く。それからフロアのもう1人の夜勤者に協力してもらって車椅子に移って頂き、洗面台の前へ。
Aさんの習慣として起きてすぐの歯磨きをさせて頂いた後、お湯で温めたフェイスタオルで顔全体を覆い、温めながら拭かせて頂く。
その時に、タオル越しにお顔をマッサージするのだ(散髪屋さんのマネ)。かつ、両耳も拭きつつマッサージ。
それから、Aさん愛用の化粧水をピチャピチャつけさせて頂いて、最後に髪の毛をとく。
リクライニングをいい感じに倒しつつ、テレビが見れる位置で朝食が用意できるまで居室で過ごして頂く。
というルーティン。
異動までの間にフロアの職員に「これ」のやり方を伝え、みんなができるようになった。
「部長さん、たまには顔出してね」と泣きながら言って下さったぼくの最終日。Aさんのイライラが一切なくなっていたことに気付いた。
残ったメンバーに託して、安心して離れられると確信した。
高齢者施設には、認知症はないが身体が不自由な為に入居しているかたもおられる。
頭がしっかりされているぶん、ご自分の思い通りにならないことへの歯がゆさ、苛立ち、不安や不満は想像を絶するものがある。
そういったかたへの身体的・精神的ケアも決して疎かにしてはならないと実感した、Aさんとのお話です。