認知症の母を施設に入居させるまで。ひとり娘の奮闘記①

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介護サービスドットコム編集部

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コラム

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私は母が43歳の時に産まれた。

今の母は80歳後半。

80歳を超えたあたりから認知症の症状が出始め、現在の介護度は要介護2。

認知症と診断され、介護度を判定してから1年、グループホームへ入居した。

これはひとり娘の私が認知症の母をグループホームへ入居させるまでのお話。

親を施設に入れることに悩んでいる方の参考になるとうれしいです。

母と私の関係

最初に母と私の関係をお伝えしておきたい。

私は一応一人っ子だ。

私は子供時代、普通の家庭で育っていない。

詳しく語るととても長くなるので割愛するが、簡単に言うと昼ドラの大人の愛憎ドロドロの真ん中で泣いている子供が私だと思ってもらえればいい。

そのため、私は物心ついてからずっと「親」が嫌いだった。

小さなころからずっと親から離れてひとりで暮らすことに憧れた。

母はそんな環境だったからか、いつもイライラしていて、よくつまらないことで私を怒鳴った。

大人になったから当時の母の気持ちは理解できないこともないが、それでも私はいまだに母を許すことができない。

父と母は長らく家庭内別居状態で(父はほとんど家にいなかったが)、私が高校生の時に正式に離婚したらしい。

私は高校を卒業してすぐに就職し、成人してまもなくひとり暮らしをした。

その後母はなぜか私の出生の秘密を手紙にしたためてきて(要するに私は普通の子供のように、周りから望まれて祝福されて産まれたわけではない。複雑すぎる環境で産まれたのだ)、それが原因でパニック障害を発病し、それをきっかけに母と数年没交渉になったこともあった。

ちなみに私の父も母にも親戚はいない。

親戚にあたる人たちはいるが、彼らは私たち一家と関わりたくないのだ。

それもこれも父と母の自業自得ではあるのだが。

その後、パニック障害を克服した私の中で「ひとりぼっちの母の面倒を見てあげるべきではないか、一応高校までは面倒を見てもらったのだし」と思い直し、母と再び連絡を取り合うようになる。

私はその数年後結婚をし、地元を離れた。

高齢の母を地元に残しておくと、死んだ後の処理が大変になるかもしれないと思った私は、しばらくして私の住んでいる街に母を呼び寄せた。

それから数年して、母は認知症を発症する。

母が同じことを繰り返し話すようになる

母が80歳をすぎたあたりで、私は母の違和感に気付く。

同じことを繰り返し話すようになったのだ。

私の母は保険の営業を60歳すぎまでやっていたこともあって、しっかりしている印象が強い。

だからこそ、こんな風に同じことを繰り返し話すことに、とても違和感を覚えた。

母が私の住んでいる街に引っ越してきた当初、私は母の住む地域にある地域包括支援センターに母のことを伝えておいた。

もちろん、母にも何かあったら連絡するか、地域包括支援センターに言ってみるように伝えてあった。

実際、母は1か月に何回か地域包括支援センターに行き、読書をしたりしていたようだ。

その地域包括支援センターのケアマネージャーさんと私も連絡をとっていたこともあり、母の現状を相談すると、近くの総合病院で認知症の検査をしてもらえることを教えてくれた。

私は母に「念のため」を強調し、病院につれていって検査をしてもらった。

MRIは特に異常が見られず、「長谷川式」と言われる検査でも「年相応」との診断を受ける。

「そうか。母も80歳を過ぎたし、物忘れもひどくなるか」

検査の結果を受け、私は自分をそう納得させた。

そしてそのあと、施設で利用者さんたちにやっていただいているような、簡単な計算ドリルや塗り絵などを買ってあげたのだが、母は面倒だから、とほとんどやっていなかったらしい。

しかし、この1年後に大きな事件が起きる。

母の家に泥棒が?

ある日、私の携帯に警察から連絡が入った。

「お母さんが泥棒が入ったとおっしゃっていたので現地捜査をしましたが、他人が入った後や物が盗られたという形跡は見られません」

「もう何度も同じような通報が入り、こちらとしても困っています。娘さんの方で対処してもらえませんか?」

私はそんな警察の話を、ただひたすら謝りながら聞くしかなかった。

そしてその後、母の賃貸アパートの管理会社からも連絡が来る。

「お母さんが私どもが勝手に家の中に入って物を盗ったというんです」

「もちろんそんなことはしていませんし、何度もそんな風に疑われるのであれば、退去してもらうほかありません」

どうやら母が「泥棒が入った」と騒ぎ始めたのは今回が初めてではなく、何度かやらかしていたらしい。

そして一度は管理会社に鍵を変えてもらっていたのだそうだ。

そのあと何度も泥棒説を繰り返し、挙句の果ては管理会社を泥棒呼ばわりしたらしい。

私は電話越しで顔面蒼白になりながら、とにかく管理会社に謝った。

80歳近い老人のひとり暮らしのアパート探しは簡単ではなかった。

そんななか、「娘が近くで暮らしているなら」とOKを出してくれた管理会社に、母はひどい物言いをしていた。

合計で2時間ほどかかって謝り続けた警察と管理会社との電話を終え、半泣き状態の私がすぐに電話したのは、母の地域の地域包括支援センターのケアマネージャーさんだった。

すると、どうやらそのケアマネージャーさんは、母の家の盗難話を何度か聞いていたらしく、

「お母さんには一度病院に行くように説得していたんです。明後日病院で検査を受けるそうですよ」

と教えてくれた。

母はどうやら娘の私に黙って病院の検査を入れていたらしい。

しかも、前回とは違う病院で検査を受けるそうだ。

私はケアマネージャーさんにお礼を告げ、私に病院のことを伝えていないことにしてほしい、と口止めをした。

その後母に連絡をし、実は認知症の検査の予約を入れていなかった母を「念のため」と説得し、再度認知症の検査を受けるよう、予約を入れたのだった。

母に認知症の診断がおりる

MRI検査を受けた後、前回同様「長谷川式」の検査を受ける。

今回の母はこの質問のほとんどをきちんと答えられなかった。

認知症は1年で大きく進むのだと、実感し、痛感した。

出された検査結果は「認知症」の「初期段階」であること。

その後薬の飲み方などの指導を受け、私は母を引き連れて母の地域にある地域包括支援センターに向かった。

ケアマネージャーさんと相談するためである。

介護士の私はもちろん介護を受けるための流れは知っていた。

まず介護認定を受け、そこからケアマネージャーとともに介護プランを決める。

そのためにも、まずはいつも相談させていただいているケアマネージャーさんと話をするべきだ、と思ったのだ。

そしてもう1つ重要なことがある。

私は母と同居する気が全くなかったことだ。

ただでさえ母と一緒にいるととても疲れる。

体力が半分以上持っていかれる感じがする。

一緒にいたくなくて成人してすぐにひとり暮らしをした、あの頃の気持ちは今でも私の中にある。

認知症になったからと言って、母と同居をし、面倒を見るなんてはっきり言ってごめんだ。

だから、母にはこれからもひとりで暮らしてもらわねばならない。

認知症の初期症状ならば、きちんと処方された薬を飲み、適切なケアを受ければ、なんとかひとり暮らしを継続できるだろう。

というか、してもらわねばならない。

そのためにも、早く介護認定を受ける必要がある。

ケアマネージャーさんは病院の結果を聞くとすぐに介護認定を受けられる手続きをしてくれた。

そのあと、デイサービスの見学もさせてもらい、その日は母を送って私も家に帰ったのだった。

介護認定調査を受ける

数日後、母の家に役所から介護認定調査がやってきた。

もちろん私も同席である。

いくつかの質問を母にして家を出るとき、私は家を出て母の状態を伝えた。

このように、家族から見た本人の状態を認定員に伝えることが重要であることを私は知っていた。

初期の認知症の場合、見た目と少し話しただけだと、しっかりしているような感じがしてしまうからだ。

そして数日後、母の介護度が出た。

「要介護2」

それは想像以上に高い介護度だった。

私もケアマネージャーさんも、要支援程度であると思っていたからだ。

しかし、要支援と要介護では受けられる介護サービスが大きく異なる。

私とケアマネージャーさんはこれ幸いと、デイサービスの予定を組んでいった。

しかし、ここでもまた、母は問題を起こすのだった。

 

②に続く

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