認知症の母を施設に入居させるまで。ひとり娘の奮闘記②

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介護サービスドットコム編集部

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コラム

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前回のお話。

80歳を超えたあたりから物忘れの症状が出始めた母。

病院で検査を受け、初期段階の認知症であると診断された母は要介護2と診断された。

ひとり暮らしを続けてもらうためにも、ひとまずデイサービスを受けてもらおうとしたが、問題が勃発する。

デイサービスに行きたくない!

それまで母は毎日バスに乗り、ひとりで駅前をふらついていた。

基本的に家でのんびりできる人ではないことや、高齢者は申請すれば市営バスを乗り放題であることもあった。

しかし、母は初期段階であるとはいえ認知症である。

万が一迷子になって、色々な人にご迷惑にならないとも言いきれない。

そんなこともあってデイサービスを始めようとしたのだが。

まず、お迎えのバスに乗らない。

「私には必要ない。興味もない。だから行きたいときに行く」

デイサービスは行く曜日をきちんと設定してプランを作るものなので、そんな都合よく利用できるものではない。

しかし、ケアマネージャーさんはこの母の提案を受け入れてくれた。

そんな風に始めたデイサービスだったが、結果的に母はほとんど通わなかった。

母ははかなりの人嫌い

愛想よくふるまうことは得意だが、基本的にわがままなので人に合わせることが好きではない。

子供の私に

「人は利用するものだ。利用されるな」

なんて説教をした人である。

そんな母にはもちろん友人はほとんどいなかった。

私の知っている限り、地元にいる友人が1人と、同じ会社に勤めていた人1人だけである。

ちなみに引っ越してくる前は合唱やお琴などさまざまなサークル活動にも参加していたようだが、どれもこれも長続きはしなかった。

とにもかくにも、母は1人でいることの方が好きなのだ。

人が集まって雑談をするような場所は、基本的に好まない。

数か月間様子を見た後、ケアマネージャーさんからは、

「訪問介護とデイサービスの両方が使える施設を利用してはどうか」

との提案を受けた。

訪問介護を受けることに

デイサービスに来ないのであれば料金がもったいない。

そのうえ、薬を毎日服薬することが80歳過ぎてもほとんど無かった母は、病院で処方された認知症の薬をほとんど飲んでいなかった。

1~2か月に一度、私が病院に連れて行くのだが、母の家で残量を確認すると半分以上が残っていたのだ。

そのため、服薬管理と体調管理をしてくれる訪問介護にして、気が向いたときにデイサービスを利用できるほうが、母に向いている、と、提案してくれたのだ。

私はこのケアマネージャーさんをかなり信用していたので、できればこの施設で面倒を見てもらいたかったが、訪問介護を扱っていない以上仕方ない。

そしてケアマネージャーさんから紹介された施設に母を連れて行き、手続きをした。

そこのケアマネージャーさんは地域包括センターのケアマネージャーさんから話を聞いていて、快く受け入れてくれた。

しかし、ここでもやはり、事件は起きるのである。

私はそんなものを頼んでいない

とりあえず始めたのは訪問介護だった。

毎日朝、家に訪ねて行ってもらい、服薬と体調を見てもらう。

およそ10数分の行程だ。

このくらい娘の私がやれ、と思われる方もいるかもしれないが、私には小学生の娘が2人いた。

そして介護施設での仕事もある。

私が自宅から車で15分のところに住んでいる母のところに毎日行って、それらを確認できる時間をとることはとてもではないが難しかった。

母は訪問介護すらも拒絶

家に入られるのは嫌だから、と玄関での対応にしてもらったにも関わらず、だ。

訪問介護を契約したことをすっかり忘れ、

「おまえは誰だ。私はそんなものを頼んだ覚えはない」

と、怒鳴り散らしたのである。

しかも1度や2度ではない。

かなり頻繁に罵倒していたらしいのだ。

また、訪問介護が来る前に出かけてしまうこともあった。

朝9時に予定しているのに、それよりも早く出かけるのだ。

駅前の店なんて、喫茶店くらいしか開いていないのに。

もちろんデイサービスのバスにも乗らなかった。

というか、拒否をした。

そこでも数か月様子を見てもらったが、とうとう施設が根をあげた。

「受け入れて頂けないのであれば、これ以上の対応は無理です。お金ももったいないですし」

私は頭を抱えることしかできなかった。

そしてこの後、驚愕の事実を知るのである。

いくら使っているのかわからない

ある日、母が訪問介護とデイサービスの料金に文句を付けてきた。

施設の利用料は全て母の預金から引き落としされている。

しかし、施設利用の契約をした記憶が無い母からすれば、訳の分からない料金が引き落とされている、とご立腹なのだ。

母は通帳を私に見せ、

「どういうことか」

と怒鳴り散らす。

認知症になってから母はイライラして怒鳴り散らすことが多くなっていた。

私は通帳を見ながら、施設に訪問介護とデイサービスの契約をしたこと、その場には母もいたことを告げる。

そこで私は驚愕の事実に気が付いた。

80歳を過ぎた母は基本的に年金暮らしだ。

もちろん年金だけでは生活することは困難なので、退職金などの貯金を切り崩して生活をしてきた。

子供のころ、裕福な生活などしてこなかったし、特に今は残金も限られているのだから、母もそれを理解して生活していたはずだった。

ここ数か月では頻繁にお金がおろされていた

母は通帳を2つ持っていた。

年金が入ったり家賃が引き落とされる通帳と、退職金などの貯金がある通帳。

基本的に貯金のある通帳から引き落とし通帳にお金を移し、そこから引き落として生活費にする、というめんどくさい行程を踏んでいたのだ。

だからこそ、あまりの引き落としの回数の多さに私はめまいがした。

試しに母に1週間レシートを取って置くように伝え、1週間後に再び確認する。

しかし、レシートをとっておいて家計簿をつける、なんてことをしてこなかった母は、私がレシートを取って置くように言ったことをすっかり忘れていた。

それでも残っていた2~3日間のレシートを見て、私はめまいを覚えた。

母は、毎日駅前をふらつき、お茶を飲み、ランチを食べ、帰りにお弁当を買って帰ってきた。

その合計額が、なんと1日あたり2,000~3,000円だったのだ。

毎日こんな生活をしていたら、単純計算で1か月60,000~90,000円を食費だけで使っていることになる。

母にそう指摘したのだが、

「私はそんなに使っていない」

の、一点張りだった。

自分が毎月いくら使っているのか、理解できていない

これはまずい。

うちには母を援助できるような余裕はない。

ただでさえこれからお金のかかる子ども達が2人いるのに。

最近の母は家賃・光熱費・食費等を含めて1ヶ月に20万円程使っていることになる。

このままのペースでは、早かれ遅かれ貯金が底をつく。

そうなると生活保護を受けることになってしまう。

こんなお金を無駄に使ったことで、お金が無くなったから生活保護なんてありえない。

しかし、今ならまだ間に合う。

私がお金を管理していけば、あと数年はなんとかできるだろう。

私は母を説得し、お小遣い用に使っていなかった通帳を渡して、そこに生活費を入れるから、他の通帳は私が預かることにした。

もう今更だが、やっぱりここでも問題は起こった。

私のお金を返せ

私は母が銀行に乗り込むのを防ぐべく、事前に銀行に訳を説明しておいた。

電話口で銀行の偉い人に、

「認知症の母がお金を管理できないため、娘の私が預かっている。母が銀行に来ることがあると思うが、娘が預かっていると説明してほしい」

と、頼み込んだのだ。

銀行側はそんなことに対応していない、と言っていたのだが、私の必死の頼み込みを受け、しぶしぶではあるものの了承してくれた。

そしてやはり、母は銀行に

「通帳が無い」

と、言って訪れた。

それもほぼ毎日。

そのたびに窓口の人は私に電話をかけ、私はその都度、何度も母に同じ説明をした。

それと同時に、私は母に宅配でお弁当を頼まないか、と説得をし始めた。

せめて外で食べることを辞めてくれたら、少しは節約できる。

できればデイサービスに行ってお昼ご飯を食べてもらいたい。

なんならデイサービスにお昼ご飯を食べに行くだけでも構わない。

しかし、母は頑としてうなずかなかった。

「私は私の好きなものを食べたい。私のお金を私が好きに使って何が悪い」

その都度、私は母に残金が厳しいことを伝えるのだが、母は全く理解してくれなかった。

自分の理解したくないこと、わかりたくないことを率先して忘れていく

1か月ほど母の銀行通いは続いたが、何とかどうにもならないと理解したらしく、今度は私を罵倒するようになってきた。

「お金を返せ」

「親に向かってどういうつもりだ」

「私が何か迷惑をかけたか」

その他にもいろんな言葉を浴びせられた。

私はその都度、お金はきちんと渡してある通帳に振り込んでいること、このまま好きに使い続ければお金が無くなることを説明する。

しかし、その日は何とか納得しても、次の日には同じことが電話で繰り返される。

日によっては私のうちにきて、玄関で喚き散らすこともあった。

正直、近所から警察を呼ばれかねないレベルだった。

この時期、私はかなり精神的に追い込まれていた。

母の今後を考えて色々やったのに、何一つ報われなかった。

薬を飲むことを忘れ、適切なケアも拒否し、お金を湯水のごとく使いたがる。

そして今後の自分の生活を一切考えていない。

そんな母のせいで日々の生活に疲れ果てていた私は、1つの大きな決断をした。

仕事をやめよう…

私は第二の人生に、と始めた介護の仕事を辞めることにした。

とてもではないが、精神的に人の介護ができる状態ではなかった。

しかし、私が働かなければ家計が回らないので、必死で在宅でできる仕事を探した。

私は学んだ。

人を介護することと、親を介護することは大きく違う。

介護の現場で他のスタッフに相談しても、返ってくるのは

「ケアマネージャーに相談してみれば?」

「他に頼れる人はいないの?」

だけだった。

介護の現場で働いていても、結局は仕事だし第三者の目線でしか付き合えない。

というか、そうしなければやってられない。

それに介護職の人の中には、実際に自分の親の介護をした人はいなかった。

介護に関するいろいろな知識はあったが…

しかし、それは仕事をするために必要なことでしかなかった。

逆に私に聞かれたとしても、同じ返事しかできなかっただろう。

無料の介護相談ダイアルにも電話した。

返ってきたのは

「大変ね」

「いろんな人に相談してみるといいよ」

だけだった。

愚痴を聞いてもらう分にはいいかもしれないが、何に相談をしても正直これといった解決方法が出なかった。

私の年齢で、親の介護をしている人はいなかった。

だから誰に相談しても、返ってくるのは

「大変ね」

だけだった。

違う。

そんなことを言ってほしいんじゃない。

具体的な解決策を知りたいのだ。

この頃の私はどん底だった

この頃の私は、外に出るのも、電話が鳴るのも怖かった。

外に出たらそこらをふらついている母と会うかもしれない。

電話がなると、また罵倒されるのだろう、と気が滅入った。

しかし、家にいたとて、いつ母が怒鳴りに訪れるのかわからない。

私には安心できる時間は全くなかった。

これがあと何年続くのか。

私はどうしたらよいのか。

真っ暗闇の中、私はうつ状態に近い状態になってしまった。

③に続く。

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