1ヶ月間、お風呂に入ってくれないYさんは、認知症の全くないおばあちゃん。「前におった施設でめっちゃ怖かってん」とのこと。
毎日お風呂にお誘いするが「やめとくわ」と拒否される。夜、パジャマに着替える時に、ちょこっと身体を拭かせて下さる程度。
どんな怖い思いをしたの?には「・・・」と無言になり、答えて下さらなかった…
入浴拒否の原因がつかめない
認知症が全くなくて普通に日常の会話が成立するYさん。
車椅子をご自分の足で漕いでフロア内を自由に動かれたり、手先が器用で洗濯物たたみなどのお手伝いを自ら職員に声をかけてして下さるくらい、しっかりされたかただった。
入居してから1ヶ月、周りの入居者さんとはあまり馴染もうとされなかったが、職員とはすぐに馴染んで仲良くなられた。
Yさんは手すりを掴んで立つことも出来るが、膝に力が入らずに数十秒で膝折れしてしまうので、トイレのお手伝いが必要だった。
だが、男性職員でもその介助はさせて頂けていたので、入浴を拒否されるのは「恥ずかしさ」ではないのはわかっていた。
つまり、ご本人がおっしゃるように、ほんとに「前にいた施設で怖い思い」をされたのだと思う。
入居されて以来1ヶ月間、誰がいつお声掛けさせて頂いても、入浴だけは絶対にして下さらなかった…
各部署の職員が集まってカンファレンスを開き、どうすれば入浴して下さるのかを話し合ったが、いい答えは出てこなかった。
突破口をこじ開けた、ある女性職員の行動
そんな状況の中、Yさんが特に心を許してる女性職員が、突然なにを思ったのか、洗面器にお湯を入れてYさんの居室に入って行った。
「お風呂に入るのが怖いのはわかりました。でもちょっと手をつけるだけです。やってみませんか?」Yさんはこの提案を受けてくれた。
女性職員はお湯の中でYさんの手のひらを優しくマッサージしたそうで、そのことを「すごく気持ちよかった」と喜んでおられた。
洗面器での『手浴』を何度かされた後、その流れで、次にその女性職員は『足浴』(洗面器でする足湯のようなもの)を提案。Yさんは「あんたがやってくれるんなら」と快諾された。
足浴も気持ちよかったらしく、「これええわ~」と大きな声で喜ばれた。手浴も足浴も2人きりの時間。何度も繰り返し行うことで、Yさんと女性職員の関係性がどんどんできあがっていく…
そうこうしていると、突然、「シャワーやったらしてもええかな」とYさんからの申し出があったとのこと。
「もちろんあんたがやってな」とのオーダーだった。
女性職員はものすごい勢いで「部長!聞いて下さい!」と、報告に来てくれた。その時の嬉しそうな表情が忘れられない。
入居されて以来、入浴を拒否され続けてきたYさんがお風呂に入られる。
このことは施設全体の大きなニュースになった。
ただし、いろんな人が声をかけることでご本人の気持ちが変わってしまったらよくないので、全部署の責任者が集まり、Yさんにその話をしないということを全職員に統一することで意見を一致させた。
というわけで、Yさんとの話は女性職員だけが窓口になることになった。
Yさん入浴大作戦
女性職員が事前にお聞きしていた、Yさんの希望される入浴の時間は朝一番。「他の人の入った後の、濡れたお風呂場に入りたくない」とのこと。
他の入居者さんには申し訳ないが、その日はYさん以外のかたの入浴を午後からにして頂くことにした。
どのくらい時間がかかるかわからないので、2人が焦らず、ゆっくり時間を使えるようにお膳立てをしたのだ。
初日はほんとにシャワーで身体を流すだけだった為、その時間はすぐに終了した。Yさんは見たことのないような笑顔で、「あ~気持ちいい!」を連呼されていたそう。
ただし、身体を拭く段階で女性職員はちょっとした違和感を覚えたとのこと。
Yさんはシャワーで濡れた身体をバスタオルで拭かせて頂く際に、身体の部位を指さして「ここ」、「次はここ」と指定してこられたというのだ。
とりあえずその通りに拭かせて頂き、さらに髪の毛は洗っていなかったのでそこまで時間もかからずに終えることができた。が…
2回目のシャワーの日は身体をボディソープで洗わせて頂けた。
3回目では洗面器にためたお湯でお顔を自ら洗われた。
4回目で髪の毛にシャワーをかけさせて頂けた。
という具合に、少しずつ「Yさんのお風呂への恐怖心」がやわらいでいく毎に、させて頂けることが増えてきた。
その後、何度目かの時に髪の毛をシャンプー・リンスで洗わせて頂くことができ、さらに湯舟に使って頂くこともでき、ついに「普通の入浴」をして下さるようになった。
と、段階を経ていく毎に、Yさんの細かい指示もエスカレートしていった…
「普通の入浴」ができた日に要した時間は約1時間。Yさんとの関係性を築き上げてきた女性職員でさえ、あまりの細かい指示にぐったりしていた。
それもそのはず。洗う順番、流す時のシャワーの圧、湯舟のお湯加減、湯舟に浸かる時間、身体を拭く順番などなど…
ただ、この女性職員がすごかったのは、入浴介助後すぐに場面場面を思い出しながら、手順をメモっていったこと。
そして、Yさんの入浴の前になるとそのメモを読み返し、じょじょにYさんの指示がくるよりも先にできるようになっていったのだ。
そうしてYさん専用の『入浴介助マニュアル』が完成したのである。
そこまで全てこの女性職員が対応してくれた後、それからはYさん了承の元で、女性職員が他の職員を連れてYさんの入浴介助に入らせて頂き、マニュアルの内容を伝授していった。
ぼくも教えてもらったが、まぁ細かいこと細かいこと。結局、全部覚えきれなかったくらいであった。
だが結果的に、フロアの職員全員がYさんの入浴を担当させて頂けるまでに至った。
Yさんの入浴時間は、浴室にお連れしてから髪の毛をドライヤーで乾かして浴室を出るまでで約30分にまで短縮することができた。
Yさんが朝風呂に一番で入るのは変わらなかったが、Yさんの為に他のかたに午後まで待って頂くといったことはなくなっていった。
しかも、思わぬ副産物までついてきた。
フロアの職員全員が、Yさんだけでなく、他の入居者さんへの入浴介助についても、これまで以上に丁寧に出来るようになったのだ。
入居から約3ヶ月、Yさんの『お風呂への恐怖心』を少しずつ溶かしてってくれたこの女性職員のこと、ほんとに尊敬しています。
入居者さんお一人お一人にとことんこだわって、最善の方法を探すことの大切さを後輩から教えてもらいました。
最初になんで「手浴」をしようと思いついたのか?を聞いてみましたが、「なんとなく」だったそうです。
ぼくだけが知っていたYさんのナイショ話
実は、女性職員が最初に洗面器を持ってYさんの居室に入っていった時、ぼくはすでに勝利を確信してました。
まだ入浴を拒否されていた頃、Yさんがぼくだけに、「誰にも言わんといてな…」とぶっちゃけてこられたことがあったからです。
15年の時を経て、Yさんとの約束をやぶって発表しちゃいます。ぼくにだけ打ち明けてくださったナイショ。それは、
「ほんまはお風呂、好きやねん」でした。
結局、Yさんの恐怖心の理由はわからずじまいでしたが、そこに触れる人は誰もいませんでした。
おわりに
15年の介護の管理職歴でつちかった知識や経験なんかを、ほっこりおもろい感じで発信しています。
暗いニュースばかりが目立つ介護業界ですが、介護職は「カッコよくてやりがいがある仕事」だって思って頂けるように、発信を続けたいと思います。