認知症がひどくて、でもめっちゃ元気なAさん(女性)は、入居してからずっと「やんちゃ」を繰り返してた。
和室の畳をひっぺ返す。ウンチでカーテンをドロドロにする。造花を食べる。他の入居者さんのベッドに入ってケンカになる。全裸でリビングに出てくる。
「あぁもう!」といつも職員は振り回されていたが…
信じられない写真
ぼくがその施設に「介護部長」という管理職として就任した時、ある職員さんに信じられないような写真があるから見てほしいと言われて、見せられた写真には、小柄だがちょっとがっちりした体型のおばあさんが笑顔で立っている姿と、おばあさんの前に畳がひっくり返っているのが写っていた。
「これ、このAさんがご自分で(畳を)めくってひっくり返したんですよ」
と、笑いながらその職員さんは教えてくれた。
ぼくは、にわかに信じられなかった。素手で畳と畳の間に指を突っ込んで持ち上げてめくり、ひっくり返すというのは、ぼくのような身体の大きい男性でも結構、大変な作業だ。
それをここに写っているおばあさんがされたなんて。
「しかも、娘さんがこのAさんの面会に来られた時に、居室に入ったらこの状態だったってことで、笑いながら撮影した写真なんですよ」
さらに驚いた。
娘さん、ちょっとふざけすぎてやしないか。
この写真1枚で、一気にAさん親子に興味津々になったぼくは、早く娘さんが面会に来て下さらないかなと思っちゃっていた。
ただ、まだ施設の入居者さんのお一人お一人のお顔と名前も一致していない段階だったので、まずはAさんのことを詳しく知ることから始めようと思った。
常にやんちゃが炸裂するAさん
Aさんは80代後半。身体は健康そのもので、ご自分でスタスタとハイスピードで歩かれる。立ったり座ったり、何なら床に寝そべったりも自由自在。
ただ、重度の認知症だった。
今がいつなのか、ここがどこなのか、目の前にいる人が誰なのか、何をすべきなのか、どうすればいいのか…あらゆることを認識できないがために、ご自分の置かれている状況が理解できず、正しい判断と正しい行動ができなくなっておられたのだ。
その結果、和室の畳をひっぺ返したり、手についたウンチをカーテンで拭いてドロドロにしたり、飾ってある造花を食べたり、他の入居者さんのベッドに入ってめちゃくちゃ怒鳴られてケンカになったり、全裸でいきなりリビングに出てこられたりと、まぁ「やんちゃ」の限りを尽くしていた。
はっきり言って、手についたウンチや、カーテンのウンチを洗うのなんてかなりめんどくさいし、手の届くところに造花などいろんなものを飾れなくなるし、他の方の居室に入ろうとされたらAさんを止めないといけないけど、歩くのが早すぎて、ちょっと目を離した瞬間におられなくなっていることなんてザラにあるし、全裸で出てこられたら、何をしてても最優先でAさんを居室にお連れして服を着て頂かないといけないし…
つまり、誰よりも手がかかり、職員の手間を増やしてくれる方がAさんなのだ。
そして、そんなAさんなのに、なぜか人気があるのだ。
やんちゃが見つかって「あぁもう!」って言われてる時のAさんは、”してやったり”みたいにして笑ってる。
そして「ほら!またぁ!」って言いながら、やんちゃの後始末をする職員もやっぱり笑ってて、次は何してくれるんやろって密かに期待すらしてる感じだった。
娘さん登場
ある日、娘さんが面会に来られた。
ぼくはお会いしたことがなかったので挨拶させて頂くと、
「あぁ新しい部長さん、母がいつもお世話になってます!よろしくお願いします!変わった髪型してはりますね!ハハハハハ!」
みたいな感じで、初対面でいきなりぼくのマッシュルームカットをイジッてこられた。
サバサバして明るくて豪快な感じ。
一瞬で娘さんのキャラクターがわかった気がした。
と思ったらいきなり、
「もう!お母さん。しっかりしいや!」
と笑いながらAさんのお尻をポンッと叩いた。叩かれたAさんのほうもニコニコ笑ってた。
ぼくはこの親子のことが好きになった。
Aさんのアゴのヒゲ
施設には「バス旅行」や「秋祭り」といった、ご家族のみなさんも一緒に参加して頂ける大きなイベントがいくつかあり、娘さんは必ず参加して下さっていた。
ぼくはそういったイベントの統括指揮を取ることが多かったので、娘さんともお話させて頂く機会が増えていった。
Aさんと手をつなぎながらも悪態をつき、職員をねぎらい、いつも笑顔でイベントを楽しんでくださる娘さん。
娘さんがおられることで、イベント中は、やんちゃをされずにただひたすら笑顔のAさん。
ほんとに素敵なお2人だなって思って見ていた。
Aさんにはひとつの特徴があった。
アゴの左側に大きなイボがあり、そこから長~い一本のヒゲが常に生えているのだ。まるで「波平さん」みたいに。
長くなってきたら職員のほうで切ろうとするが、それはなぜか拒否されるAさん。
だが一ヶ月に一回、娘さんがお連れする美容室から戻られると、キレイに無くなっているのだ。
美容室でならOKなんやって思いつつ、でもAさんらしいなって思っていた。
Aさんとのお別れの時
そんなAさんでも高齢には抗えなかった。
いつの頃からか、少しずつ食事を食べなくなり、日中も寝ていることが多くなり、足元に力が入らなくなり、車椅子やオムツが必要になっていった。
面会のたびに、
「お母さん、しっかりせなあかんで!」
と声をかけておられた娘さんだったが、じょじょに弱っていかれるAさんを感じながら、施設での最期を希望された。
職員はお元気だった頃からのAさんの写真を厳選して、アルバム作りをし始めた。Aさんの居室に置いて、娘さんがいつでも見れるようにとのことだった。
どの写真にもいい笑顔で写るAさんがいた。
日に日に弱っていくAさんを前に、ある女性職員が言った言葉、
「何してくれてもいいから、また元気になってよ…」
は、みんなの気持ちを代弁していた。
その女性職員の言葉を聞き、Aさんの数々のやんちゃを思い出しては、思わず吹き出してしまうこともあった。
それからほどなく、Aさんは息を引き取られた。いよいよの時点で施設に泊まり込まれていた娘さんと、たくさんの職員に見守られながらの最期だった。
Dr.の死亡確認後、その場にいる誰もがこらえ切れずに涙する中、娘さんは、「お母さんお疲れ」と笑いながら、顔を両手で覆うようにして語りかけ、次の瞬間…イボのヒゲを、「ブチッ!」っと引っこ抜いたのだ。
時が一瞬止まった後、みんなが一斉に大爆笑。その場が一気にほぐれた。
葬儀屋さんがお迎えに来られた。お見送りの為に、たくさんの職員が施設の玄関まで降りた。
娘さんは、施設長やケアマネジャー、相談員、看護師など1人ずつに挨拶をして回られ、Aさんのフロアの介護職員にも笑顔で1人ずつ声を掛けて下さった。
介護職員はまた全員が泣いていた。
娘さんは、一番最後にぼくに声を掛けて下さった。
笑顔で「部長さん、ありがとうね。ここでお世話になって私たちほんまに幸せやわ」と言って下さった。
ぼくはまた、Aさんのやんちゃの数々、娘さんとAさんとのやり取りの数々、さきほどの「ヒゲ抜き」を思い出し、泣きながら笑った…
娘さんが遺影に使う為にと、施設で撮った中から選んだ写真のAさんは、やんちゃしてる時の無邪気な笑顔の、ヒゲのあるAさんでした。
あんな最期のお別れは、これまでもこれからも、きっとないんだろうなと、ぼくの心に強烈に刻まれています。
Aさんと娘さんからは、ほんとに多くの大切なものを頂いたような気がしています。
忘れがたい、10年前のお話です。