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コラム

  • 認知症の母を施設に入居させるまで。ひとり娘の奮闘記②

    前回のお話。 80歳を超えたあたりから物忘れの症状が出始めた母。 病院で検査を受け、初期段階の認知症であると診断された母は要介護2と診断された。 ひとり暮らしを続けてもらうためにも、ひとまずデイサービスを受けてもらおうとしたが、問題が勃発する。 デイサービスに行きたくない! それまで母は毎日バスに乗り、ひとりで駅前をふらついていた。 基本的に家でのんびりできる人ではないことや、高齢者は申請すれば市営バスを乗り放題であることもあった。 しかし、母は初期段階であるとはいえ認知症である。 万が一迷子になって、色々な人にご迷惑にならないとも言いきれない。 そんなこともあってデイサービスを始めようとしたのだが。 まず、お迎えのバスに乗らない。 「私には必要ない。興味もない。だから行きたいときに行く」 デイサービスは行く曜日をきちんと設定してプランを作るものなので、そんな都合よく利用できるものではない。 しかし、ケアマネージャーさんはこの母の提案を受け入れてくれた。 そんな風に始めたデイサービスだったが、結果的に母はほとんど通わなかった。 母ははかなりの人嫌い 愛想よくふるまうことは得意だが、基本的にわがままなので人に合わせることが好きではない。 子供の私に 「人は利用するものだ。利用されるな」 なんて説教をした人である。 そんな母にはもちろん友人はほとんどいなかった。 私の知っている限り、地元にいる友人が1人と、同じ会社に勤めていた人1人だけである。 ちなみに引っ越してくる前は合唱やお琴などさまざまなサークル活動にも参加していたようだが、どれもこれも長続きはしなかった。 とにもかくにも、母は1人でいることの方が好きなのだ。 人が集まって雑談をするような場所は、基本的に好まない。 数か月間様子を見た後、ケアマネージャーさんからは、 「訪問介護とデイサービスの両方が使える施設を利用してはどうか」 との提案を受けた。 訪問介護を受けることに デイサービスに来ないのであれば料金がもったいない。 そのうえ、薬を毎日服薬することが80歳過ぎてもほとんど無かった母は、病院で処方された認知症の薬をほとんど飲んでいなかった。 1~2か月に一度、私が病院に連れて行くのだが、母の家で残量を確認すると半分以上が残っていたのだ。 そのため、服薬管理と体調管理をしてくれる訪問介護にして、気が向いたときにデイサービスを利用できるほうが、母に向いている、と、提案してくれたのだ。 私はこのケアマネージャーさんをかなり信用していたので、できればこの施設で面倒を見てもらいたかったが、訪問介護を扱っていない以上仕方ない。 そしてケアマネージャーさんから紹介された施設に母を連れて行き、手続きをした。 そこのケアマネージャーさんは地域包括センターのケアマネージャーさんから話を聞いていて、快く受け入れてくれた。 しかし、ここでもやはり、事件は起きるのである。 私はそんなものを頼んでいない とりあえず始めたのは訪問介護だった。 毎日朝、家に訪ねて行ってもらい、服薬と体調を見てもらう。 およそ10数分の行程だ。 このくらい娘の私がやれ、と思われる方もいるかもしれないが、私には小学生の娘が2人いた。 そして介護施設での仕事もある。 私が自宅から車で15分のところに住んでいる母のところに毎日行って、それらを確認できる時間をとることはとてもではないが難しかった。 母は訪問介護すらも拒絶 家に入られるのは嫌だから、と玄関での対応にしてもらったにも関わらず、だ。 訪問介護を契約したことをすっかり忘れ、 「おまえは誰だ。私はそんなものを頼んだ覚えはない」 と、怒鳴り散らしたのである。 しかも1度や2度ではない。 かなり頻繁に罵倒していたらしいのだ。 また、訪問介護が来る前に出かけてしまうこともあった。 朝9時に予定しているのに、それよりも早く出かけるのだ。 駅前の店なんて、喫茶店くらいしか開いていないのに。 もちろんデイサービスのバスにも乗らなかった。 というか、拒否をした。 そこでも数か月様子を見てもらったが、とうとう施設が根をあげた。 「受け入れて頂けないのであれば、これ以上の対応は無理です。お金ももったいないですし」 私は頭を抱えることしかできなかった。 そしてこの後、驚愕の事実を知るのである。 いくら使っているのかわからない ある日、母が訪問介護とデイサービスの料金に文句を付けてきた。 施設の利用料は全て母の預金から引き落としされている。 しかし、施設利用の契約をした記憶が無い母からすれば、訳の分からない料金が引き落とされている、とご立腹なのだ。 母は通帳を私に見せ、 「どういうことか」 と怒鳴り散らす。 認知症になってから母はイライラして怒鳴り散らすことが多くなっていた。 私は通帳を見ながら、施設に訪問介護とデイサービスの契約をしたこと、その場には母もいたことを告げる。 そこで私は驚愕の事実に気が付いた。 80歳を過ぎた母は基本的に年金暮らしだ。 もちろん年金だけでは生活することは困難なので、退職金などの貯金を切り崩して生活をしてきた。 子供のころ、裕福な生活などしてこなかったし、特に今は残金も限られているのだから、母もそれを理解して生活していたはずだった。 ここ数か月では頻繁にお金がおろされていた 母は通帳を2つ持っていた。 年金が入ったり家賃が引き落とされる通帳と、退職金などの貯金がある通帳。 基本的に貯金のある通帳から引き落とし通帳にお金を移し、そこから引き落として生活費にする、というめんどくさい行程を踏んでいたのだ。 だからこそ、あまりの引き落としの回数の多さに私はめまいがした。 試しに母に1週間レシートを取って置くように伝え、1週間後に再び確認する。 しかし、レシートをとっておいて家計簿をつける、なんてことをしてこなかった母は、私がレシートを取って置くように言ったことをすっかり忘れていた。 それでも残っていた2~3日間のレシートを見て、私はめまいを覚えた。 母は、毎日駅前をふらつき、お茶を飲み、ランチを食べ、帰りにお弁当を買って帰ってきた。 その合計額が、なんと1日あたり2,000~3,000円だったのだ。 毎日こんな生活をしていたら、単純計算で1か月60,000~90,000円を食費だけで使っていることになる。 母にそう指摘したのだが、 「私はそんなに使っていない」 の、一点張りだった。 自分が毎月いくら使っているのか、理解できていない これはまずい。 うちには母を援助できるような余裕はない。 ただでさえこれからお金のかかる子ども達が2人いるのに。 最近の母は家賃・光熱費・食費等を含めて1ヶ月に20万円程使っていることになる。 このままのペースでは、早かれ遅かれ貯金が底をつく。 そうなると生活保護を受けることになってしまう。 こんなお金を無駄に使ったことで、お金が無くなったから生活保護なんてありえない。 しかし、今ならまだ間に合う。 私がお金を管理していけば、あと数年はなんとかできるだろう。 私は母を説得し、お小遣い用に使っていなかった通帳を渡して、そこに生活費を入れるから、他の通帳は私が預かることにした。 もう今更だが、やっぱりここでも問題は起こった。 私のお金を返せ 私は母が銀行に乗り込むのを防ぐべく、事前に銀行に訳を説明しておいた。 電話口で銀行の偉い人に、 「認知症の母がお金を管理できないため、娘の私が預かっている。母が銀行に来ることがあると思うが、娘が預かっていると説明してほしい」 と、頼み込んだのだ。 銀行側はそんなことに対応していない、と言っていたのだが、私の必死の頼み込みを受け、しぶしぶではあるものの了承してくれた。 そしてやはり、母は銀行に 「通帳が無い」 と、言って訪れた。 それもほぼ毎日。 そのたびに窓口の人は私に電話をかけ、私はその都度、何度も母に同じ説明をした。 それと同時に、私は母に宅配でお弁当を頼まないか、と説得をし始めた。 せめて外で食べることを辞めてくれたら、少しは節約できる。 できればデイサービスに行ってお昼ご飯を食べてもらいたい。 なんならデイサービスにお昼ご飯を食べに行くだけでも構わない。 しかし、母は頑としてうなずかなかった。 「私は私の好きなものを食べたい。私のお金を私が好きに使って何が悪い」 その都度、私は母に残金が厳しいことを伝えるのだが、母は全く理解してくれなかった。 自分の理解したくないこと、わかりたくないことを率先して忘れていく 1か月ほど母の銀行通いは続いたが、何とかどうにもならないと理解したらしく、今度は私を罵倒するようになってきた。 「お金を返せ」 「親に向かってどういうつもりだ」 「私が何か迷惑をかけたか」 その他にもいろんな言葉を浴びせられた。 私はその都度、お金はきちんと渡してある通帳に振り込んでいること、このまま好きに使い続ければお金が無くなることを説明する。 しかし、その日は何とか納得しても、次の日には同じことが電話で繰り返される。 日によっては私のうちにきて、玄関で喚き散らすこともあった。 正直、近所から警察を呼ばれかねないレベルだった。 この時期、私はかなり精神的に追い込まれていた。 母の今後を考えて色々やったのに、何一つ報われなかった。 薬を飲むことを忘れ、適切なケアも拒否し、お金を湯水のごとく使いたがる。 そして今後の自分の生活を一切考えていない。 そんな母のせいで日々の生活に疲れ果てていた私は、1つの大きな決断をした。 仕事をやめよう… 私は第二の人生に、と始めた介護の仕事を辞めることにした。 とてもではないが、精神的に人の介護ができる状態ではなかった。 しかし、私が働かなければ家計が回らないので、必死で在宅でできる仕事を探した。 私は学んだ。 人を介護することと、親を介護することは大きく違う。 介護の現場で他のスタッフに相談しても、返ってくるのは 「ケアマネージャーに相談してみれば?」 「他に頼れる人はいないの?」 だけだった。 介護の現場で働いていても、結局は仕事だし第三者の目線でしか付き合えない。 というか、そうしなければやってられない。 それに介護職の人の中には、実際に自分の親の介護をした人はいなかった。 介護に関するいろいろな知識はあったが… しかし、それは仕事をするために必要なことでしかなかった。 逆に私に聞かれたとしても、同じ返事しかできなかっただろう。 無料の介護相談ダイアルにも電話した。 返ってきたのは 「大変ね」 「いろんな人に相談してみるといいよ」 だけだった。 愚痴を聞いてもらう分にはいいかもしれないが、何に相談をしても正直これといった解決方法が出なかった。 私の年齢で、親の介護をしている人はいなかった。 だから誰に相談しても、返ってくるのは 「大変ね」 だけだった。 違う。 そんなことを言ってほしいんじゃない。 具体的な解決策を知りたいのだ。 この頃の私はどん底だった この頃の私は、外に出るのも、電話が鳴るのも怖かった。 外に出たらそこらをふらついている母と会うかもしれない。 電話がなると、また罵倒されるのだろう、と気が滅入った。 しかし、家にいたとて、いつ母が怒鳴りに訪れるのかわからない。 私には安心できる時間は全くなかった。 これがあと何年続くのか。 私はどうしたらよいのか。 真っ暗闇の中、私はうつ状態に近い状態になってしまった。 ③に続く。

  • 認知症の母を施設に入居させるまで。ひとり娘の奮闘記①

    私は母が43歳の時に産まれた。 今の母は80歳後半。 80歳を超えたあたりから認知症の症状が出始め、現在の介護度は要介護2。 認知症と診断され、介護度を判定してから1年、グループホームへ入居した。 これはひとり娘の私が認知症の母をグループホームへ入居させるまでのお話。 親を施設に入れることに悩んでいる方の参考になるとうれしいです。 母と私の関係 最初に母と私の関係をお伝えしておきたい。 私は一応一人っ子だ。 私は子供時代、普通の家庭で育っていない。 詳しく語るととても長くなるので割愛するが、簡単に言うと昼ドラの大人の愛憎ドロドロの真ん中で泣いている子供が私だと思ってもらえればいい。 そのため、私は物心ついてからずっと「親」が嫌いだった。 小さなころからずっと親から離れてひとりで暮らすことに憧れた。 母はそんな環境だったからか、いつもイライラしていて、よくつまらないことで私を怒鳴った。 大人になったから当時の母の気持ちは理解できないこともないが、それでも私はいまだに母を許すことができない。 父と母は長らく家庭内別居状態で(父はほとんど家にいなかったが)、私が高校生の時に正式に離婚したらしい。 私は高校を卒業してすぐに就職し、成人してまもなくひとり暮らしをした。 その後母はなぜか私の出生の秘密を手紙にしたためてきて(要するに私は普通の子供のように、周りから望まれて祝福されて産まれたわけではない。複雑すぎる環境で産まれたのだ)、それが原因でパニック障害を発病し、それをきっかけに母と数年没交渉になったこともあった。 ちなみに私の父にも母にも親戚はいない。 親戚にあたる人たちはいるが、彼らは私たち一家と関わりたくないのだ。 それもこれも父と母の自業自得ではあるのだが。 その後、パニック障害を克服した私の中で「ひとりぼっちの母の面倒を見てあげるべきではないか、一応高校までは面倒を見てもらったのだし」と思い直し、母と再び連絡を取り合うようになる。 私はその数年後結婚をし、地元を離れた。 高齢の母を地元に残しておくと、死んだ後の処理が大変になるかもしれないと思った私は、しばらくして私の住んでいる街に母を呼び寄せた。 それから数年して、母は認知症を発症する。 母が同じことを繰り返し話すようになる 母が80歳をすぎたあたりで、私は母の違和感に気付く。 同じことを繰り返し話すようになったのだ。 私の母は保険の営業を60歳すぎまでやっていたこともあって、しっかりしている印象が強い。 だからこそ、こんな風に同じことを繰り返し話すことに、とても違和感を覚えた。 母が私の住んでいる街に引っ越してきた当初、私は母の住む地域にある地域包括支援センターに母のことを伝えておいた。 もちろん、母にも何かあったら連絡するか、地域包括支援センターに言ってみるように伝えてあった。 実際、母は1か月に何回か地域包括支援センターに行き、読書をしたりしていたようだ。 その地域包括支援センターのケアマネージャーさんと私も連絡をとっていたこともあり、母の現状を相談すると、近くの総合病院で認知症の検査をしてもらえることを教えてくれた。 私は母に「念のため」を強調し、病院につれていって検査をしてもらった。 MRIは特に異常が見られず、「長谷川式」と言われる検査でも「年相応」との診断を受ける。 「そうか。母も80歳を過ぎたし、物忘れもひどくなるか」 検査の結果を受け、私は自分をそう納得させた。 そしてそのあと、施設で利用者さんたちにやっていただいているような、簡単な計算ドリルや塗り絵などを買ってあげたのだが、母は面倒だから、とほとんどやっていなかったらしい。 しかし、この1年後に大きな事件が起きる。 母の家に泥棒が? ある日、私の携帯に警察から連絡が入った。 「お母さんが泥棒が入ったとおっしゃっていたので現地捜査をしましたが、他人が入った後や物が盗られたという形跡は見られません」 「もう何度も同じような通報が入り、こちらとしても困っています。娘さんの方で対処してもらえませんか?」 私はそんな警察の話を、ただひたすら謝りながら聞くしかなかった。 そしてその後、母の賃貸アパートの管理会社からも連絡が来る。 「お母さんが私どもが勝手に家の中に入って物を盗ったというんです」 「もちろんそんなことはしていませんし、何度もそんな風に疑われるのであれば、退去してもらうほかありません」 どうやら母が「泥棒が入った」と騒ぎ始めたのは今回が初めてではなく、何度かやらかしていたらしい。 そして一度は管理会社に鍵を変えてもらっていたのだそうだ。 そのあと何度も泥棒説を繰り返し、挙句の果ては管理会社を泥棒呼ばわりしたらしい。 私は電話越しで顔面蒼白になりながら、とにかく管理会社に謝った。 80歳近い老人のひとり暮らしのアパート探しは簡単ではなかった。 そんななか、「娘が近くで暮らしているなら」とOKを出してくれた管理会社に、母はひどい物言いをしていた。 合計で2時間ほどかかって謝り続けた警察と管理会社との電話を終え、半泣き状態の私がすぐに電話したのは、母の地域の地域包括支援センターのケアマネージャーさんだった。 すると、どうやらそのケアマネージャーさんは、母の家の盗難話を何度か聞いていたらしく、 「お母さんには一度病院に行くように説得していたんです。明後日病院で検査を受けるそうですよ」 と教えてくれた。 母はどうやら娘の私に黙って病院の検査を入れていたらしい。 しかも、前回とは違う病院で検査を受けるそうだ。 私はケアマネージャーさんにお礼を告げ、私に病院のことを伝えていないことにしてほしい、と口止めをした。 その後母に連絡をし、実は認知症の検査の予約を入れていなかった母を「念のため」と説得し、再度認知症の検査を受けるよう、予約を入れたのだった。 母に認知症の診断がおりる MRI検査を受けた後、前回同様「長谷川式」の検査を受ける。 今回の母はこの質問のほとんどをきちんと答えられなかった。 認知症は1年で大きく進むのだと、実感し、痛感した。 出された検査結果は「認知症」の「初期段階」であること。 その後薬の飲み方などの指導を受け、私は母を引き連れて母の地域にある地域包括支援センターに向かった。 ケアマネージャーさんと相談するためである。 介護士の私はもちろん介護を受けるための流れは知っていた。 まず介護認定を受け、そこからケアマネージャーとともに介護プランを決める。 そのためにも、まずはいつも相談させていただいているケアマネージャーさんと話をするべきだ、と思ったのだ。 そしてもう1つ重要なことがある。 私は母と同居する気が全くなかったことだ。 ただでさえ母と一緒にいるととても疲れる。 体力が半分以上持っていかれる感じがする。 一緒にいたくなくて成人してすぐにひとり暮らしをした、あの頃の気持ちは今でも私の中にある。 認知症になったからと言って、母と同居をし、面倒を見るなんてはっきり言ってごめんだ。 だから、母にはこれからもひとりで暮らしてもらわねばならない。 認知症の初期症状ならば、きちんと処方された薬を飲み、適切なケアを受ければ、なんとかひとり暮らしを継続できるだろう。 というか、してもらわねばならない。 そのためにも、早く介護認定を受ける必要がある。 ケアマネージャーさんは病院の結果を聞くとすぐに介護認定を受けられる手続きをしてくれた。 そのあと、デイサービスの見学もさせてもらい、その日は母を送って私も家に帰ったのだった。 介護認定調査を受ける 数日後、母の家に役所から介護認定調査がやってきた。 もちろん私も同席である。 いくつかの質問を母にして家を出るとき、私は家を出て母の状態を伝えた。 このように、家族から見た本人の状態を認定員に伝えることが重要であることを私は知っていた。 初期の認知症の場合、見た目と少し話しただけだと、しっかりしているような感じがしてしまうからだ。 そして数日後、母の介護度が出た。 「要介護2」 それは想像以上に高い介護度だった。 私もケアマネージャーさんも、要支援程度であると思っていたからだ。 しかし、要支援と要介護では受けられる介護サービスが大きく異なる。 私とケアマネージャーさんはこれ幸いと、デイサービスの予定を組んでいった。 しかし、ここでもまた、母は問題を起こすのだった。   ②に続く

  • 訪問介護事業所の気になる人間関係とは?関わる人たちや重要度をご紹介!

    介護の仕事をしている人は優しい人が多いけれど、実際のところ人間関係ってどんな感じか気になりませんか? 今回は実際に訪問介護事業所で働いたことのある筆者が、その人間関係についてお伝えします。 訪問介護の人間関係 今回は訪問介護の人間関係について、筆者の経験を織り交ぜながらお伝えします。 中には人間関係の生々しい部分も出てくるかと思いますが、ぜひ最後まで読んで頂けると幸いです。 訪問介護で関わる人たち 訪問介護は仕事をするときに、基本的に1人で移動して介護サービスを提供しています。 そのため仕事をしている時は、自分1人だと思いがちです。 しかし、実際に仕事をしていると色々な人と関わっていることに気づきます。 今までの体験を元に、実際に関わったことのある人を振り返ってみようと思います。 ①ご利用者様 まずはご利用者様です。 ご利用者様あっての、訪問介護なのでここは1番にあげました。 ②ご利用者様の家族 次によく関わるのが、ご利用者様の家族です。 もっとも訪問介護は、家族が在宅で介護をしているけれど、仕事やプライベートの用事で面倒を見れないときに頼むことが多いです。 そのため、ご家庭によっては、ほとんど家族と合わないところもあります。 しかし、家族が利用を決定しているところが多いので2番目にあげました。 ③事業所の管理者 訪問介護事業所の管理者へは、仕事をしている過程でも困った事があったときに相談することが多いです。 筆者は実際の現場で、会社貸与のスマホがあったため、常にスマホを使用し相談や解決策を聞いたりしていました。 その他にも、ご利用者様が行方不明になっていたり、自身がトラブルに遭って動けないときなど、困り事はすぐに相談する大切な存在でした。 ④事業所の同僚 事業所には複数の人員が配置されています。 筆者が最初に配置された事業所は、女性管理者1人、その年に入職した新卒の男性職員、ベテランの40代女性職員、50代の男性ケアマネジャー1人の合計4人でした。 その事業所は、会社の中でも立ち上げたばかりの事業所で、筆者はそこで即戦力として働いていました。 この事業所は、1年後に15人ほどの職員が務める事業所になりますが、当初は人員が本当に少ない事業所でした。 ⑤事業所の事務員 事業所運営において、職員のシフト管理や事業所の経費管理、現場の職員ができない影の部分で働いてくれる職員が事務員さんです。 この事務員さんがどのように動いてくれるかで、事業所の印象は大きく変わります。 基本的に大切な電話は、最初に事業所にかかってきます。 そのため、その事業所の窓口として、最初に対応してくれる大切なポジションです。 ⑥事業所のケアマネジャー 事業所運営の上で、ケアマネジャーは絶対に必要な人員ではありません。 しかし筆者が勤めていたところには1人いました。 ケアマネジャーは介護の知識はもちろんのこと、介護における法律の部分などにも精通しているため、話をしていて勉強になります。 話した内容が、実際の現場で役立つこともあるため、重要な立場の1人です。 ⑦訪問看護の看護師 訪問介護の現場で、ご利用者様の次によく会うのが訪問看護師です。 在宅介護では、医療的ケアを必要としている人も一定数います。 そのため、定期的に訪問看護のサービスを利用しているご利用者様のお宅では、定期的にバッティングする時があります。 その他にも、訪問看護師から訪問介護員に指導が必要となったときに立ち会う事があります。 自身の事業所にいる訪問看護師の時もありますが、他事業所の訪問看護師の時もあるので、筆者自身丁寧に対応することを心がけていました。 ⑧他事業所のケアマネジャー ご利用者様が介護を受けるときに、ケアプラン作成のために必要な職種がケアマネジャーです。 普段の仕事中はほとんど関わりませんが、介護ではサービスの見直しをするためにケアカンファレンスというものが開かれます。 そのときに各事業所がご利用者様の自宅に集まり、ケアプランの見直しを家族を交えて行います。 その際、あまりその回数は多くはありませんが他事業所のケアマネジャーと関わることもあります。 中でも重要なのは? 上で挙げた中でも、重要なのはご利用者様と事業所の職員、そして訪問看護師さんです。 1日稼働していく中でも、よく関わるのがこの3つの方達です。 では実際の現場ではどうだったかをお伝えしていきます。 ご利用者様との関係 いうまでもなくご利用者様との関係は、関わる人たちの中で1番大切です。 ご利用者様との関わり方次第では、出禁になることもあります。 これは実際にあった体験ですが、筆者とは別の訪問介護員の話です。 とある男性職員が、あるお宅に介護に行った時の話です。 介護を受けているのは、そのお宅にいる娘さんのお母さんでした。 後で聞いた話によると、その娘さんはお母さんをすごく大切に介護してきていたようで、当時最初に訪問した男性職員の介護が雑で耐えられなかったそうです。 そもそも、ご利用者様とその家族とも関係性を築けていない中での訪問だった為、仕方のないところはあるものの、そのような出来事が実際に起こってしまいました。 筆者自身も、あまり聞いたことはありませんでしたが、以来そのようなこともあるのだと知り、仕事を改めて丁寧に行うきっかけになったことを覚えています。 事業所の職員との関係 次に重要なのが、事業所の職員です。 訪問介護は勤務時間によって、まる1日事業所の職員と関わらずに終わる日もあります。 つまり、訪問件数と勤務時間によっては事業所の職員と関わることなく業務を終える職員もいます。 基本的に、仲のいい同期や先輩などを中心にいい関係の人が多かったのですが、中には意地悪な職員もいたりします。 筆者が経験した事業所の職員で、事業所の窓口である事務員さんとの関係に悩んだ事がありました。 もちろん印象の悪い人ばかりではないですが、筆者が関わった事務員さんは訪問介護員に非協力的な方でした。 そのため、緊急時は苦労もしましたが上司などに相談をして困難を乗り越えた経験があります。 その時の経験から、訪問介護の空いている時間に事業所の職員と食事をしたり、仕事の後すこし話をする事が、普段の仕事に関わることもある事を学びました。 訪問看護師との関係 訪問看護師は、介護士より知識があると言う自負からか、介護士を下に見る方もいます。 ありがたいことに筆者は、訪問看護師に恵まれたため苦労した経験はなく、悪い印象もありません。 しかし、他の職員の話だと馬鹿にされたり、本来看護師がするべき仕事を押し付けられたなどの話を聞いたことがあります。 本来介護は、看護師が行う仕事の一部を切り取り、看護師の負担を減らすのが目的で出来た仕事です。 両者ともに助け合って仕事をしたいものです。 人間関係が悪いのは本当? 介護の人間関係が大変だといわれるのは、関わる人が他の職場に比べて多いことです。 介護の仕事は上記に示した通り、数多くの人たちと関わりを持ちます。 年代も幅広く、さまざまな業種の人たちと関わることがあります。 お互いにきちんと理解しあわないと、人間関係がこじれてしまいます。 また、苦手な人と関わることもあるでしょう。 介護という仕事柄、さまざまな人たちと密なコミュニケーションを取らなくてはいけません。 介護士は人手不足であることが多く、数多くの業務を抱えています。 そのため精神的に余裕が無く、感情的になりやすいです。 したがって、人間関係で苦労する介護職の人たちが多いのは本当です。 人間関係をスムーズにするために 人間関係が悪化してしまうと、仕事へのストレスをさらに増やしてしまいます。 働きやすい職場にするためにも、人間関係をスムーズにし、職場の府に気を良くすることはとても重要です。 働きやすい職場することは、利用者へのサービスの向上や仕事の効率化にもつながります。 では、どのようにすれば人間関係を良くすることができるのでしょうか。 相手のことを考える そもそも他人は自分と異なる意見を持っていることが多いです。 まずは反発せずに素直に相手の意見を聞いてみましょう。 反論がある場合は、その後に自分の考えを伝えればよいのです。 忙しくても感謝と笑顔を忘れない 笑顔や感謝のない職場は全体的にピリピリした雰囲気になりやすいです。 それが人間関係を悪化させることにもなってしまいます。 どんなに忙しくても、相手への感謝や笑顔を忘れないようにしましょう。 人間関係が辛いときは? どうしても人間関係が辛いときは、誰でもよいので相談してみましょう。 ストレスがたまると仕事の効率が悪化するだけでなく、健康被害を起こすこともあります。 自分なりのストレス解消法を見つけることも重要です。 もしもどうにもならずに仕事が辛くなってしまったら、転職を考えるのも1つの手段です。 人間関係の良い職場を見つけるために 人間関係の良い職場を見つけるためには、いくつかコツがあります。 頻繁に求人をしているところは要注意 頻繁にしているところは頻繁に人が入れ替わっている可能性が高いので、職場の人間関係が悪いことが多いです。 求人の内容をよく確認し、職場見学するなどして十分にリサーチするようにしましょう。 全体的に元気がないところは要注意 気になる求人がある場合は、必ず職場見学に行きましょう。 利用者やスタッフに笑顔や会話がない場合、何かしらの問題があることが多いです。 雰囲気が嫌だと思ったら、そこで働くことはやめた方が良いかもしれません。 まとめ 訪問介護は1人で行える仕事として、施設型にはない魅力のある仕事です。 しかし実際は多くの人が関わって成り立っている仕事であり、助け合っていることを忘れてはいけません。 介護士に限らず、他の職種の人も介護職員が介護をして収入を得ている側面もあります。お互いが支え合い、いい事業所づくりをしてほしいです。  

  • 訪問介護は辛い?実際に経験した経験者の語った思いとは?

    訪問介護の仕事は楽しいこともあるけども、辛い事もあります。 今回の記事では、実際に訪問介護を経験した筆者が、その体験を基に辛かったことをお伝えします。 訪問介護の辛いところ 介護の仕事は人に感謝されるいい仕事です。 介護以外の仕事も経験してよりわかった介護の仕事の魅力は、他者からの感謝を本当の意味で受け取れるところに魅力があります。 そんな中「きつい、しんどい、きたない」と言われるこの仕事を、喜んでしたいと言う人が少ないのも現実です。 個人的には魅力的だと思える介護の仕事ですが、今回は筆者が体験した訪問介護での辛かった体験をお伝えし、その対応策も付け加えようと思います。 それでは始めていきます。 自転車移動が辛かった これはシンプルに訪問するための自転車移動が辛かったです。 都市部での訪問介護の仕事は、自転車移動が基本になります。 地方の移動距離が長い事業所なんかだと、車で移動するところもあるようですが、都心部での基本は自転車です。 自転車移動での足腰への負担は、1件1件の移動を毎日積み重なると大きく、なかなか辛い経験でした。 電動自転車になってからはかなり楽になりましたが、それ以前はまるで足腰を鍛える修行をしているような物でした。 また事業所によっては、1日の訪問件数が多いところもあります。 筆者は、割と短めのケアを複数訪問していたため、1日の訪問件数は平均して15件前後でした。 この数字は、訪問介護業界の方でないとピンとこないかもしれません。 参考までに、筆者が聞いた他事業所の訪問件数は、1日平均5件ぐらいが基本でした。 若い訪問介護員でも多くて10件程度だそうです。 私は毎日3倍走っていたことになります。 訪問介護はご自宅同士の距離が遠いこともあるため、件数が短くても距離が遠かったりしてその移動で疲れるという事もあります。体力に自信のある方や身体を鍛えたい方などにはよいかもしれませんが、そうでない場合は電動自転車をおすすめします。 ご利用者様との人間関係 これも筆者の訪問先にいたあるご利用者様ですが、そのお宅はお風呂とトイレが共同の家でした。 部屋は6畳1間で、家賃も1ヶ月1万円程度のお宅でした。 そこのご利用者様は、服薬確認と安否確認だけのサービスでしたが訪問するや否や罵詈雑言の嵐でした。 さらに提供したいサービスを受けてくれないものですから終わりたくても終われない事もしばしばでした。 最終的に何もせずに帰らざる終えない時もありましたが、このようなご利用者様もいました。 ただ全ての人がこのような人ばかりと言うわけではありません。 あくまで一部のご利用者様だけなので、今紹介したような方はごく稀です。 他にも訪問先でご利用者様の家族に手を握られたり、セクハラのようなことをされた時もあります。 そういう事があった時は、訪問介護が辛いなと思ったりもしました。 ゴミ屋敷への訪問 表現が難しいのですが、いわゆる衛生環境が極端に良くないお宅は一定数あり、その割合は少なくありません。 筆者が経験した訪問先で、訪問するたびにスリッパを使用して入室する訪問先がありました。 そのお宅はマンションのとある一室でしたが、廊下にいるだけで異臭が立ち込めてきて、部屋の中はゴミでいっぱいでした。 訪問介護サービスを利用すると言うこともあって、入り口や洗面台、トイレや浴室などの介護で使用する場所は多少掃除されていました。 しかし衛生的とは言えませんでした。 私たちもプロですので、その環境下で介護をしました。 他にも、訪問先のお宅の中を土足で入ることになっているお宅もありました。 このお宅は、訪問入浴のサービスがありお風呂だけはすごく綺麗だったのを覚えています。 しかしそれ以外は足の踏み場もないぐらいゴミ袋の山でした。 必ずしもそのようなお宅ばかりではないですが、そのような環境を見たことが無い筆者にとっては、なかなか衝撃的で辛い経験だったのを覚えています。 1人で仕事していること 元も子もない話ですが、1人で仕事をしていることが辛い時もありました。 訪問介護は、基本的に1人で介護をして1人で完結して訪問先を退出します。 ほとんどの場合、家族はおらずご利用者様1人の時が多いです。 例えばご利用者様にトラブルがあったり、その他のアクシデントなどは1人で対応しなければいけません。 また介護保険以外のサービスの要求をしてくるご利用者様や、そのご家族がいたこともあります。 そのようなときに全て1人で対応するという面が、施設型の介護と違う大変さでした。 他にも、筆者が1人の訪問で辛いと感じたのは、1日の中であまり会話がない時でした。 自立度が高いご利用者様だと会話を多く交わして退出できるのですが、自立度の低いご利用者様だと、失語症などの理由で会話をできずにサービスを終えてしまうことが多かったです。 職員にもよりますが訪問介護の場合、他の職員との会話もあまりないため、ご利用者様とその家族と会話をしない限り、会話をする機会がありませんでした。 そのため、仕事はしているけれど淡々と目の前の仕事をこなし続けていることを、辛いと思う時期が何度かありました。 もちろん職員全員に当てはまることではありませんが、少なくとも筆者はそのように感じる場面がいくつかありました。 訪問介護が辛いと思った時の対処法 訪問介護が辛いと思ったときは現状を変えるためにも以下のような方法をとると良いでしょう。 管理者に相談 例えば、訪問先のご利用者様からセクハラや、モラハラを受けている時はまず上司に話しましょう。 筆者は実際にそのようなお宅があったときに、当時の管理者に相談しています。 訪問介護員も人間ですので、辛いときは無理をしてはいけません。 筆者の場合正直にそのときの現状を伝えた結果、訪問先を変更してくれました。 他にも、自転車移動の距離が長く移動が辛いことも話しました。 改めて訪問先の見直しをしてくれて、結果的に移動がかなり楽になり体への負担が減りました。 介護は体を使う仕事ですので、他の負担は極力減らした方がいいですね。 困った時は、管理者に相談してください。 最初の課題解決の動きだしは、まずそこからかもしれません。 環境を変える 環境を変えるのも1つの手です。 筆者は異動や、転職は行いませんでしたが、他の職員で異動をして仕事環境が変わり、前よりイキイキと仕事をしている職員がいました。 会社の規模にもよりますが、社内で異動が叶うのであれば事業所を変えてみるといいです。 その行動だけで、世界が大きく変わってきます。 もし事業所を移動できなかったり、異動しても環境が変わらず辛い時は、転職も選択肢に入れてください。 訪問介護の事業所は、探せば多くあります。 できればご自身が働いたことが無い地域がいいかもしれません。 事業所の環境や、雇用条件など見るところは多くありますが、転職をして今以上に良い環境で働いている職員もいたため、1つの選択肢としておすすめです。 まとめ 今回、実際に働いた体験談をもとに、訪問介護で辛かったことをお伝えしました。 しかし、訪問介護は何も辛いことばかりではありません。 仕事をしていて楽しいことももちろんあります。 辛いと言う点も個人差があり、上に挙げたもの以外にも辛いと思うポイントはあるのではないでしょうか。 大切なのは、その環境下で自分自身がどうしたいかです。 それを考えられる記事になっていれば嬉しいです。

  • 認知症の母を施設に入居させるまで。ひとり娘の奮闘記②

    前回のお話。 80歳を超えたあたりから物忘れの症状が出始めた母。 病院で検査を受け、初期段階の認知症であると診断された母は要介護2と診断された。 ひとり暮らしを続けてもらうためにも、ひとまずデイサービスを受けてもらおうとしたが、問題が勃発する。 デイサービスに行きたくない! それまで母は毎日バスに乗り、ひとりで駅前をふらついていた。 基本的に家でのんびりできる人ではないことや、高齢者は申請すれば市営バスを乗り放題であることもあった。 しかし、母は初期段階であるとはいえ認知症である。 万が一迷子になって、色々な人にご迷惑にならないとも言いきれない。 そんなこともあってデイサービスを始めようとしたのだが。 まず、お迎えのバスに乗らない。 「私には必要ない。興味もない。だから行きたいときに行く」 デイサービスは行く曜日をきちんと設定してプランを作るものなので、そんな都合よく利用できるものではない。 しかし、ケアマネージャーさんはこの母の提案を受け入れてくれた。 そんな風に始めたデイサービスだったが、結果的に母はほとんど通わなかった。 母ははかなりの人嫌い 愛想よくふるまうことは得意だが、基本的にわがままなので人に合わせることが好きではない。 子供の私に 「人は利用するものだ。利用されるな」 なんて説教をした人である。 そんな母にはもちろん友人はほとんどいなかった。 私の知っている限り、地元にいる友人が1人と、同じ会社に勤めていた人1人だけである。 ちなみに引っ越してくる前は合唱やお琴などさまざまなサークル活動にも参加していたようだが、どれもこれも長続きはしなかった。 とにもかくにも、母は1人でいることの方が好きなのだ。 人が集まって雑談をするような場所は、基本的に好まない。 数か月間様子を見た後、ケアマネージャーさんからは、 「訪問介護とデイサービスの両方が使える施設を利用してはどうか」 との提案を受けた。 訪問介護を受けることに デイサービスに来ないのであれば料金がもったいない。 そのうえ、薬を毎日服薬することが80歳過ぎてもほとんど無かった母は、病院で処方された認知症の薬をほとんど飲んでいなかった。 1~2か月に一度、私が病院に連れて行くのだが、母の家で残量を確認すると半分以上が残っていたのだ。 そのため、服薬管理と体調管理をしてくれる訪問介護にして、気が向いたときにデイサービスを利用できるほうが、母に向いている、と、提案してくれたのだ。 私はこのケアマネージャーさんをかなり信用していたので、できればこの施設で面倒を見てもらいたかったが、訪問介護を扱っていない以上仕方ない。 そしてケアマネージャーさんから紹介された施設に母を連れて行き、手続きをした。 そこのケアマネージャーさんは地域包括センターのケアマネージャーさんから話を聞いていて、快く受け入れてくれた。 しかし、ここでもやはり、事件は起きるのである。 私はそんなものを頼んでいない とりあえず始めたのは訪問介護だった。 毎日朝、家に訪ねて行ってもらい、服薬と体調を見てもらう。 およそ10数分の行程だ。 このくらい娘の私がやれ、と思われる方もいるかもしれないが、私には小学生の娘が2人いた。 そして介護施設での仕事もある。 私が自宅から車で15分のところに住んでいる母のところに毎日行って、それらを確認できる時間をとることはとてもではないが難しかった。 母は訪問介護すらも拒絶 家に入られるのは嫌だから、と玄関での対応にしてもらったにも関わらず、だ。 訪問介護を契約したことをすっかり忘れ、 「おまえは誰だ。私はそんなものを頼んだ覚えはない」 と、怒鳴り散らしたのである。 しかも1度や2度ではない。 かなり頻繁に罵倒していたらしいのだ。 また、訪問介護が来る前に出かけてしまうこともあった。 朝9時に予定しているのに、それよりも早く出かけるのだ。 駅前の店なんて、喫茶店くらいしか開いていないのに。 もちろんデイサービスのバスにも乗らなかった。 というか、拒否をした。 そこでも数か月様子を見てもらったが、とうとう施設が根をあげた。 「受け入れて頂けないのであれば、これ以上の対応は無理です。お金ももったいないですし」 私は頭を抱えることしかできなかった。 そしてこの後、驚愕の事実を知るのである。 いくら使っているのかわからない ある日、母が訪問介護とデイサービスの料金に文句を付けてきた。 施設の利用料は全て母の預金から引き落としされている。 しかし、施設利用の契約をした記憶が無い母からすれば、訳の分からない料金が引き落とされている、とご立腹なのだ。 母は通帳を私に見せ、 「どういうことか」 と怒鳴り散らす。 認知症になってから母はイライラして怒鳴り散らすことが多くなっていた。 私は通帳を見ながら、施設に訪問介護とデイサービスの契約をしたこと、その場には母もいたことを告げる。 そこで私は驚愕の事実に気が付いた。 80歳を過ぎた母は基本的に年金暮らしだ。 もちろん年金だけでは生活することは困難なので、退職金などの貯金を切り崩して生活をしてきた。 子供のころ、裕福な生活などしてこなかったし、特に今は残金も限られているのだから、母もそれを理解して生活していたはずだった。 ここ数か月では頻繁にお金がおろされていた 母は通帳を2つ持っていた。 年金が入ったり家賃が引き落とされる通帳と、退職金などの貯金がある通帳。 基本的に貯金のある通帳から引き落とし通帳にお金を移し、そこから引き落として生活費にする、というめんどくさい行程を踏んでいたのだ。 だからこそ、あまりの引き落としの回数の多さに私はめまいがした。 試しに母に1週間レシートを取って置くように伝え、1週間後に再び確認する。 しかし、レシートをとっておいて家計簿をつける、なんてことをしてこなかった母は、私がレシートを取って置くように言ったことをすっかり忘れていた。 それでも残っていた2~3日間のレシートを見て、私はめまいを覚えた。 母は、毎日駅前をふらつき、お茶を飲み、ランチを食べ、帰りにお弁当を買って帰ってきた。 その合計額が、なんと1日あたり2,000~3,000円だったのだ。 毎日こんな生活をしていたら、単純計算で1か月60,000~90,000円を食費だけで使っていることになる。 母にそう指摘したのだが、 「私はそんなに使っていない」 の、一点張りだった。 自分が毎月いくら使っているのか、理解できていない これはまずい。 うちには母を援助できるような余裕はない。 ただでさえこれからお金のかかる子ども達が2人いるのに。 最近の母は家賃・光熱費・食費等を含めて1ヶ月に20万円程使っていることになる。 このままのペースでは、早かれ遅かれ貯金が底をつく。 そうなると生活保護を受けることになってしまう。 こんなお金を無駄に使ったことで、お金が無くなったから生活保護なんてありえない。 しかし、今ならまだ間に合う。 私がお金を管理していけば、あと数年はなんとかできるだろう。 私は母を説得し、お小遣い用に使っていなかった通帳を渡して、そこに生活費を入れるから、他の通帳は私が預かることにした。 もう今更だが、やっぱりここでも問題は起こった。 私のお金を返せ 私は母が銀行に乗り込むのを防ぐべく、事前に銀行に訳を説明しておいた。 電話口で銀行の偉い人に、 「認知症の母がお金を管理できないため、娘の私が預かっている。母が銀行に来ることがあると思うが、娘が預かっていると説明してほしい」 と、頼み込んだのだ。 銀行側はそんなことに対応していない、と言っていたのだが、私の必死の頼み込みを受け、しぶしぶではあるものの了承してくれた。 そしてやはり、母は銀行に 「通帳が無い」 と、言って訪れた。 それもほぼ毎日。 そのたびに窓口の人は私に電話をかけ、私はその都度、何度も母に同じ説明をした。 それと同時に、私は母に宅配でお弁当を頼まないか、と説得をし始めた。 せめて外で食べることを辞めてくれたら、少しは節約できる。 できればデイサービスに行ってお昼ご飯を食べてもらいたい。 なんならデイサービスにお昼ご飯を食べに行くだけでも構わない。 しかし、母は頑としてうなずかなかった。 「私は私の好きなものを食べたい。私のお金を私が好きに使って何が悪い」 その都度、私は母に残金が厳しいことを伝えるのだが、母は全く理解してくれなかった。 自分の理解したくないこと、わかりたくないことを率先して忘れていく 1か月ほど母の銀行通いは続いたが、何とかどうにもならないと理解したらしく、今度は私を罵倒するようになってきた。 「お金を返せ」 「親に向かってどういうつもりだ」 「私が何か迷惑をかけたか」 その他にもいろんな言葉を浴びせられた。 私はその都度、お金はきちんと渡してある通帳に振り込んでいること、このまま好きに使い続ければお金が無くなることを説明する。 しかし、その日は何とか納得しても、次の日には同じことが電話で繰り返される。 日によっては私のうちにきて、玄関で喚き散らすこともあった。 正直、近所から警察を呼ばれかねないレベルだった。 この時期、私はかなり精神的に追い込まれていた。 母の今後を考えて色々やったのに、何一つ報われなかった。 薬を飲むことを忘れ、適切なケアも拒否し、お金を湯水のごとく使いたがる。 そして今後の自分の生活を一切考えていない。 そんな母のせいで日々の生活に疲れ果てていた私は、1つの大きな決断をした。 仕事をやめよう… 私は第二の人生に、と始めた介護の仕事を辞めることにした。 とてもではないが、精神的に人の介護ができる状態ではなかった。 しかし、私が働かなければ家計が回らないので、必死で在宅でできる仕事を探した。 私は学んだ。 人を介護することと、親を介護することは大きく違う。 介護の現場で他のスタッフに相談しても、返ってくるのは 「ケアマネージャーに相談してみれば?」 「他に頼れる人はいないの?」 だけだった。 介護の現場で働いていても、結局は仕事だし第三者の目線でしか付き合えない。 というか、そうしなければやってられない。 それに介護職の人の中には、実際に自分の親の介護をした人はいなかった。 介護に関するいろいろな知識はあったが… しかし、それは仕事をするために必要なことでしかなかった。 逆に私に聞かれたとしても、同じ返事しかできなかっただろう。 無料の介護相談ダイアルにも電話した。 返ってきたのは 「大変ね」 「いろんな人に相談してみるといいよ」 だけだった。 愚痴を聞いてもらう分にはいいかもしれないが、何に相談をしても正直これといった解決方法が出なかった。 私の年齢で、親の介護をしている人はいなかった。 だから誰に相談しても、返ってくるのは 「大変ね」 だけだった。 違う。 そんなことを言ってほしいんじゃない。 具体的な解決策を知りたいのだ。 この頃の私はどん底だった この頃の私は、外に出るのも、電話が鳴るのも怖かった。 外に出たらそこらをふらついている母と会うかもしれない。 電話がなると、また罵倒されるのだろう、と気が滅入った。 しかし、家にいたとて、いつ母が怒鳴りに訪れるのかわからない。 私には安心できる時間は全くなかった。 これがあと何年続くのか。 私はどうしたらよいのか。 真っ暗闇の中、私はうつ状態に近い状態になってしまった。 ③に続く。

  • 認知症の母を施設に入居させるまで。ひとり娘の奮闘記①

    私は母が43歳の時に産まれた。 今の母は80歳後半。 80歳を超えたあたりから認知症の症状が出始め、現在の介護度は要介護2。 認知症と診断され、介護度を判定してから1年、グループホームへ入居した。 これはひとり娘の私が認知症の母をグループホームへ入居させるまでのお話。 親を施設に入れることに悩んでいる方の参考になるとうれしいです。 母と私の関係 最初に母と私の関係をお伝えしておきたい。 私は一応一人っ子だ。 私は子供時代、普通の家庭で育っていない。 詳しく語るととても長くなるので割愛するが、簡単に言うと昼ドラの大人の愛憎ドロドロの真ん中で泣いている子供が私だと思ってもらえればいい。 そのため、私は物心ついてからずっと「親」が嫌いだった。 小さなころからずっと親から離れてひとりで暮らすことに憧れた。 母はそんな環境だったからか、いつもイライラしていて、よくつまらないことで私を怒鳴った。 大人になったから当時の母の気持ちは理解できないこともないが、それでも私はいまだに母を許すことができない。 父と母は長らく家庭内別居状態で(父はほとんど家にいなかったが)、私が高校生の時に正式に離婚したらしい。 私は高校を卒業してすぐに就職し、成人してまもなくひとり暮らしをした。 その後母はなぜか私の出生の秘密を手紙にしたためてきて(要するに私は普通の子供のように、周りから望まれて祝福されて産まれたわけではない。複雑すぎる環境で産まれたのだ)、それが原因でパニック障害を発病し、それをきっかけに母と数年没交渉になったこともあった。 ちなみに私の父にも母にも親戚はいない。 親戚にあたる人たちはいるが、彼らは私たち一家と関わりたくないのだ。 それもこれも父と母の自業自得ではあるのだが。 その後、パニック障害を克服した私の中で「ひとりぼっちの母の面倒を見てあげるべきではないか、一応高校までは面倒を見てもらったのだし」と思い直し、母と再び連絡を取り合うようになる。 私はその数年後結婚をし、地元を離れた。 高齢の母を地元に残しておくと、死んだ後の処理が大変になるかもしれないと思った私は、しばらくして私の住んでいる街に母を呼び寄せた。 それから数年して、母は認知症を発症する。 母が同じことを繰り返し話すようになる 母が80歳をすぎたあたりで、私は母の違和感に気付く。 同じことを繰り返し話すようになったのだ。 私の母は保険の営業を60歳すぎまでやっていたこともあって、しっかりしている印象が強い。 だからこそ、こんな風に同じことを繰り返し話すことに、とても違和感を覚えた。 母が私の住んでいる街に引っ越してきた当初、私は母の住む地域にある地域包括支援センターに母のことを伝えておいた。 もちろん、母にも何かあったら連絡するか、地域包括支援センターに言ってみるように伝えてあった。 実際、母は1か月に何回か地域包括支援センターに行き、読書をしたりしていたようだ。 その地域包括支援センターのケアマネージャーさんと私も連絡をとっていたこともあり、母の現状を相談すると、近くの総合病院で認知症の検査をしてもらえることを教えてくれた。 私は母に「念のため」を強調し、病院につれていって検査をしてもらった。 MRIは特に異常が見られず、「長谷川式」と言われる検査でも「年相応」との診断を受ける。 「そうか。母も80歳を過ぎたし、物忘れもひどくなるか」 検査の結果を受け、私は自分をそう納得させた。 そしてそのあと、施設で利用者さんたちにやっていただいているような、簡単な計算ドリルや塗り絵などを買ってあげたのだが、母は面倒だから、とほとんどやっていなかったらしい。 しかし、この1年後に大きな事件が起きる。 母の家に泥棒が? ある日、私の携帯に警察から連絡が入った。 「お母さんが泥棒が入ったとおっしゃっていたので現地捜査をしましたが、他人が入った後や物が盗られたという形跡は見られません」 「もう何度も同じような通報が入り、こちらとしても困っています。娘さんの方で対処してもらえませんか?」 私はそんな警察の話を、ただひたすら謝りながら聞くしかなかった。 そしてその後、母の賃貸アパートの管理会社からも連絡が来る。 「お母さんが私どもが勝手に家の中に入って物を盗ったというんです」 「もちろんそんなことはしていませんし、何度もそんな風に疑われるのであれば、退去してもらうほかありません」 どうやら母が「泥棒が入った」と騒ぎ始めたのは今回が初めてではなく、何度かやらかしていたらしい。 そして一度は管理会社に鍵を変えてもらっていたのだそうだ。 そのあと何度も泥棒説を繰り返し、挙句の果ては管理会社を泥棒呼ばわりしたらしい。 私は電話越しで顔面蒼白になりながら、とにかく管理会社に謝った。 80歳近い老人のひとり暮らしのアパート探しは簡単ではなかった。 そんななか、「娘が近くで暮らしているなら」とOKを出してくれた管理会社に、母はひどい物言いをしていた。 合計で2時間ほどかかって謝り続けた警察と管理会社との電話を終え、半泣き状態の私がすぐに電話したのは、母の地域の地域包括支援センターのケアマネージャーさんだった。 すると、どうやらそのケアマネージャーさんは、母の家の盗難話を何度か聞いていたらしく、 「お母さんには一度病院に行くように説得していたんです。明後日病院で検査を受けるそうですよ」 と教えてくれた。 母はどうやら娘の私に黙って病院の検査を入れていたらしい。 しかも、前回とは違う病院で検査を受けるそうだ。 私はケアマネージャーさんにお礼を告げ、私に病院のことを伝えていないことにしてほしい、と口止めをした。 その後母に連絡をし、実は認知症の検査の予約を入れていなかった母を「念のため」と説得し、再度認知症の検査を受けるよう、予約を入れたのだった。 母に認知症の診断がおりる MRI検査を受けた後、前回同様「長谷川式」の検査を受ける。 今回の母はこの質問のほとんどをきちんと答えられなかった。 認知症は1年で大きく進むのだと、実感し、痛感した。 出された検査結果は「認知症」の「初期段階」であること。 その後薬の飲み方などの指導を受け、私は母を引き連れて母の地域にある地域包括支援センターに向かった。 ケアマネージャーさんと相談するためである。 介護士の私はもちろん介護を受けるための流れは知っていた。 まず介護認定を受け、そこからケアマネージャーとともに介護プランを決める。 そのためにも、まずはいつも相談させていただいているケアマネージャーさんと話をするべきだ、と思ったのだ。 そしてもう1つ重要なことがある。 私は母と同居する気が全くなかったことだ。 ただでさえ母と一緒にいるととても疲れる。 体力が半分以上持っていかれる感じがする。 一緒にいたくなくて成人してすぐにひとり暮らしをした、あの頃の気持ちは今でも私の中にある。 認知症になったからと言って、母と同居をし、面倒を見るなんてはっきり言ってごめんだ。 だから、母にはこれからもひとりで暮らしてもらわねばならない。 認知症の初期症状ならば、きちんと処方された薬を飲み、適切なケアを受ければ、なんとかひとり暮らしを継続できるだろう。 というか、してもらわねばならない。 そのためにも、早く介護認定を受ける必要がある。 ケアマネージャーさんは病院の結果を聞くとすぐに介護認定を受けられる手続きをしてくれた。 そのあと、デイサービスの見学もさせてもらい、その日は母を送って私も家に帰ったのだった。 介護認定調査を受ける 数日後、母の家に役所から介護認定調査がやってきた。 もちろん私も同席である。 いくつかの質問を母にして家を出るとき、私は家を出て母の状態を伝えた。 このように、家族から見た本人の状態を認定員に伝えることが重要であることを私は知っていた。 初期の認知症の場合、見た目と少し話しただけだと、しっかりしているような感じがしてしまうからだ。 そして数日後、母の介護度が出た。 「要介護2」 それは想像以上に高い介護度だった。 私もケアマネージャーさんも、要支援程度であると思っていたからだ。 しかし、要支援と要介護では受けられる介護サービスが大きく異なる。 私とケアマネージャーさんはこれ幸いと、デイサービスの予定を組んでいった。 しかし、ここでもまた、母は問題を起こすのだった。   ②に続く

  • 訪問介護事業所の気になる人間関係とは?関わる人たちや重要度をご紹介!

    介護の仕事をしている人は優しい人が多いけれど、実際のところ人間関係ってどんな感じか気になりませんか? 今回は実際に訪問介護事業所で働いたことのある筆者が、その人間関係についてお伝えします。 訪問介護の人間関係 今回は訪問介護の人間関係について、筆者の経験を織り交ぜながらお伝えします。 中には人間関係の生々しい部分も出てくるかと思いますが、ぜひ最後まで読んで頂けると幸いです。 訪問介護で関わる人たち 訪問介護は仕事をするときに、基本的に1人で移動して介護サービスを提供しています。 そのため仕事をしている時は、自分1人だと思いがちです。 しかし、実際に仕事をしていると色々な人と関わっていることに気づきます。 今までの体験を元に、実際に関わったことのある人を振り返ってみようと思います。 ①ご利用者様 まずはご利用者様です。 ご利用者様あっての、訪問介護なのでここは1番にあげました。 ②ご利用者様の家族 次によく関わるのが、ご利用者様の家族です。 もっとも訪問介護は、家族が在宅で介護をしているけれど、仕事やプライベートの用事で面倒を見れないときに頼むことが多いです。 そのため、ご家庭によっては、ほとんど家族と合わないところもあります。 しかし、家族が利用を決定しているところが多いので2番目にあげました。 ③事業所の管理者 訪問介護事業所の管理者へは、仕事をしている過程でも困った事があったときに相談することが多いです。 筆者は実際の現場で、会社貸与のスマホがあったため、常にスマホを使用し相談や解決策を聞いたりしていました。 その他にも、ご利用者様が行方不明になっていたり、自身がトラブルに遭って動けないときなど、困り事はすぐに相談する大切な存在でした。 ④事業所の同僚 事業所には複数の人員が配置されています。 筆者が最初に配置された事業所は、女性管理者1人、その年に入職した新卒の男性職員、ベテランの40代女性職員、50代の男性ケアマネジャー1人の合計4人でした。 その事業所は、会社の中でも立ち上げたばかりの事業所で、筆者はそこで即戦力として働いていました。 この事業所は、1年後に15人ほどの職員が務める事業所になりますが、当初は人員が本当に少ない事業所でした。 ⑤事業所の事務員 事業所運営において、職員のシフト管理や事業所の経費管理、現場の職員ができない影の部分で働いてくれる職員が事務員さんです。 この事務員さんがどのように動いてくれるかで、事業所の印象は大きく変わります。 基本的に大切な電話は、最初に事業所にかかってきます。 そのため、その事業所の窓口として、最初に対応してくれる大切なポジションです。 ⑥事業所のケアマネジャー 事業所運営の上で、ケアマネジャーは絶対に必要な人員ではありません。 しかし筆者が勤めていたところには1人いました。 ケアマネジャーは介護の知識はもちろんのこと、介護における法律の部分などにも精通しているため、話をしていて勉強になります。 話した内容が、実際の現場で役立つこともあるため、重要な立場の1人です。 ⑦訪問看護の看護師 訪問介護の現場で、ご利用者様の次によく会うのが訪問看護師です。 在宅介護では、医療的ケアを必要としている人も一定数います。 そのため、定期的に訪問看護のサービスを利用しているご利用者様のお宅では、定期的にバッティングする時があります。 その他にも、訪問看護師から訪問介護員に指導が必要となったときに立ち会う事があります。 自身の事業所にいる訪問看護師の時もありますが、他事業所の訪問看護師の時もあるので、筆者自身丁寧に対応することを心がけていました。 ⑧他事業所のケアマネジャー ご利用者様が介護を受けるときに、ケアプラン作成のために必要な職種がケアマネジャーです。 普段の仕事中はほとんど関わりませんが、介護ではサービスの見直しをするためにケアカンファレンスというものが開かれます。 そのときに各事業所がご利用者様の自宅に集まり、ケアプランの見直しを家族を交えて行います。 その際、あまりその回数は多くはありませんが他事業所のケアマネジャーと関わることもあります。 中でも重要なのは? 上で挙げた中でも、重要なのはご利用者様と事業所の職員、そして訪問看護師さんです。 1日稼働していく中でも、よく関わるのがこの3つの方達です。 では実際の現場ではどうだったかをお伝えしていきます。 ご利用者様との関係 いうまでもなくご利用者様との関係は、関わる人たちの中で1番大切です。 ご利用者様との関わり方次第では、出禁になることもあります。 これは実際にあった体験ですが、筆者とは別の訪問介護員の話です。 とある男性職員が、あるお宅に介護に行った時の話です。 介護を受けているのは、そのお宅にいる娘さんのお母さんでした。 後で聞いた話によると、その娘さんはお母さんをすごく大切に介護してきていたようで、当時最初に訪問した男性職員の介護が雑で耐えられなかったそうです。 そもそも、ご利用者様とその家族とも関係性を築けていない中での訪問だった為、仕方のないところはあるものの、そのような出来事が実際に起こってしまいました。 筆者自身も、あまり聞いたことはありませんでしたが、以来そのようなこともあるのだと知り、仕事を改めて丁寧に行うきっかけになったことを覚えています。 事業所の職員との関係 次に重要なのが、事業所の職員です。 訪問介護は勤務時間によって、まる1日事業所の職員と関わらずに終わる日もあります。 つまり、訪問件数と勤務時間によっては事業所の職員と関わることなく業務を終える職員もいます。 基本的に、仲のいい同期や先輩などを中心にいい関係の人が多かったのですが、中には意地悪な職員もいたりします。 筆者が経験した事業所の職員で、事業所の窓口である事務員さんとの関係に悩んだ事がありました。 もちろん印象の悪い人ばかりではないですが、筆者が関わった事務員さんは訪問介護員に非協力的な方でした。 そのため、緊急時は苦労もしましたが上司などに相談をして困難を乗り越えた経験があります。 その時の経験から、訪問介護の空いている時間に事業所の職員と食事をしたり、仕事の後すこし話をする事が、普段の仕事に関わることもある事を学びました。 訪問看護師との関係 訪問看護師は、介護士より知識があると言う自負からか、介護士を下に見る方もいます。 ありがたいことに筆者は、訪問看護師に恵まれたため苦労した経験はなく、悪い印象もありません。 しかし、他の職員の話だと馬鹿にされたり、本来看護師がするべき仕事を押し付けられたなどの話を聞いたことがあります。 本来介護は、看護師が行う仕事の一部を切り取り、看護師の負担を減らすのが目的で出来た仕事です。 両者ともに助け合って仕事をしたいものです。 人間関係が悪いのは本当? 介護の人間関係が大変だといわれるのは、関わる人が他の職場に比べて多いことです。 介護の仕事は上記に示した通り、数多くの人たちと関わりを持ちます。 年代も幅広く、さまざまな業種の人たちと関わることがあります。 お互いにきちんと理解しあわないと、人間関係がこじれてしまいます。 また、苦手な人と関わることもあるでしょう。 介護という仕事柄、さまざまな人たちと密なコミュニケーションを取らなくてはいけません。 介護士は人手不足であることが多く、数多くの業務を抱えています。 そのため精神的に余裕が無く、感情的になりやすいです。 したがって、人間関係で苦労する介護職の人たちが多いのは本当です。 人間関係をスムーズにするために 人間関係が悪化してしまうと、仕事へのストレスをさらに増やしてしまいます。 働きやすい職場にするためにも、人間関係をスムーズにし、職場の府に気を良くすることはとても重要です。 働きやすい職場することは、利用者へのサービスの向上や仕事の効率化にもつながります。 では、どのようにすれば人間関係を良くすることができるのでしょうか。 相手のことを考える そもそも他人は自分と異なる意見を持っていることが多いです。 まずは反発せずに素直に相手の意見を聞いてみましょう。 反論がある場合は、その後に自分の考えを伝えればよいのです。 忙しくても感謝と笑顔を忘れない 笑顔や感謝のない職場は全体的にピリピリした雰囲気になりやすいです。 それが人間関係を悪化させることにもなってしまいます。 どんなに忙しくても、相手への感謝や笑顔を忘れないようにしましょう。 人間関係が辛いときは? どうしても人間関係が辛いときは、誰でもよいので相談してみましょう。 ストレスがたまると仕事の効率が悪化するだけでなく、健康被害を起こすこともあります。 自分なりのストレス解消法を見つけることも重要です。 もしもどうにもならずに仕事が辛くなってしまったら、転職を考えるのも1つの手段です。 人間関係の良い職場を見つけるために 人間関係の良い職場を見つけるためには、いくつかコツがあります。 頻繁に求人をしているところは要注意 頻繁にしているところは頻繁に人が入れ替わっている可能性が高いので、職場の人間関係が悪いことが多いです。 求人の内容をよく確認し、職場見学するなどして十分にリサーチするようにしましょう。 全体的に元気がないところは要注意 気になる求人がある場合は、必ず職場見学に行きましょう。 利用者やスタッフに笑顔や会話がない場合、何かしらの問題があることが多いです。 雰囲気が嫌だと思ったら、そこで働くことはやめた方が良いかもしれません。 まとめ 訪問介護は1人で行える仕事として、施設型にはない魅力のある仕事です。 しかし実際は多くの人が関わって成り立っている仕事であり、助け合っていることを忘れてはいけません。 介護士に限らず、他の職種の人も介護職員が介護をして収入を得ている側面もあります。お互いが支え合い、いい事業所づくりをしてほしいです。  

  • 訪問介護は辛い?実際に経験した経験者の語った思いとは?

    訪問介護の仕事は楽しいこともあるけども、辛い事もあります。 今回の記事では、実際に訪問介護を経験した筆者が、その体験を基に辛かったことをお伝えします。 訪問介護の辛いところ 介護の仕事は人に感謝されるいい仕事です。 介護以外の仕事も経験してよりわかった介護の仕事の魅力は、他者からの感謝を本当の意味で受け取れるところに魅力があります。 そんな中「きつい、しんどい、きたない」と言われるこの仕事を、喜んでしたいと言う人が少ないのも現実です。 個人的には魅力的だと思える介護の仕事ですが、今回は筆者が体験した訪問介護での辛かった体験をお伝えし、その対応策も付け加えようと思います。 それでは始めていきます。 自転車移動が辛かった これはシンプルに訪問するための自転車移動が辛かったです。 都市部での訪問介護の仕事は、自転車移動が基本になります。 地方の移動距離が長い事業所なんかだと、車で移動するところもあるようですが、都心部での基本は自転車です。 自転車移動での足腰への負担は、1件1件の移動を毎日積み重なると大きく、なかなか辛い経験でした。 電動自転車になってからはかなり楽になりましたが、それ以前はまるで足腰を鍛える修行をしているような物でした。 また事業所によっては、1日の訪問件数が多いところもあります。 筆者は、割と短めのケアを複数訪問していたため、1日の訪問件数は平均して15件前後でした。 この数字は、訪問介護業界の方でないとピンとこないかもしれません。 参考までに、筆者が聞いた他事業所の訪問件数は、1日平均5件ぐらいが基本でした。 若い訪問介護員でも多くて10件程度だそうです。 私は毎日3倍走っていたことになります。 訪問介護はご自宅同士の距離が遠いこともあるため、件数が短くても距離が遠かったりしてその移動で疲れるという事もあります。体力に自信のある方や身体を鍛えたい方などにはよいかもしれませんが、そうでない場合は電動自転車をおすすめします。 ご利用者様との人間関係 これも筆者の訪問先にいたあるご利用者様ですが、そのお宅はお風呂とトイレが共同の家でした。 部屋は6畳1間で、家賃も1ヶ月1万円程度のお宅でした。 そこのご利用者様は、服薬確認と安否確認だけのサービスでしたが訪問するや否や罵詈雑言の嵐でした。 さらに提供したいサービスを受けてくれないものですから終わりたくても終われない事もしばしばでした。 最終的に何もせずに帰らざる終えない時もありましたが、このようなご利用者様もいました。 ただ全ての人がこのような人ばかりと言うわけではありません。 あくまで一部のご利用者様だけなので、今紹介したような方はごく稀です。 他にも訪問先でご利用者様の家族に手を握られたり、セクハラのようなことをされた時もあります。 そういう事があった時は、訪問介護が辛いなと思ったりもしました。 ゴミ屋敷への訪問 表現が難しいのですが、いわゆる衛生環境が極端に良くないお宅は一定数あり、その割合は少なくありません。 筆者が経験した訪問先で、訪問するたびにスリッパを使用して入室する訪問先がありました。 そのお宅はマンションのとある一室でしたが、廊下にいるだけで異臭が立ち込めてきて、部屋の中はゴミでいっぱいでした。 訪問介護サービスを利用すると言うこともあって、入り口や洗面台、トイレや浴室などの介護で使用する場所は多少掃除されていました。 しかし衛生的とは言えませんでした。 私たちもプロですので、その環境下で介護をしました。 他にも、訪問先のお宅の中を土足で入ることになっているお宅もありました。 このお宅は、訪問入浴のサービスがありお風呂だけはすごく綺麗だったのを覚えています。 しかしそれ以外は足の踏み場もないぐらいゴミ袋の山でした。 必ずしもそのようなお宅ばかりではないですが、そのような環境を見たことが無い筆者にとっては、なかなか衝撃的で辛い経験だったのを覚えています。 1人で仕事していること 元も子もない話ですが、1人で仕事をしていることが辛い時もありました。 訪問介護は、基本的に1人で介護をして1人で完結して訪問先を退出します。 ほとんどの場合、家族はおらずご利用者様1人の時が多いです。 例えばご利用者様にトラブルがあったり、その他のアクシデントなどは1人で対応しなければいけません。 また介護保険以外のサービスの要求をしてくるご利用者様や、そのご家族がいたこともあります。 そのようなときに全て1人で対応するという面が、施設型の介護と違う大変さでした。 他にも、筆者が1人の訪問で辛いと感じたのは、1日の中であまり会話がない時でした。 自立度が高いご利用者様だと会話を多く交わして退出できるのですが、自立度の低いご利用者様だと、失語症などの理由で会話をできずにサービスを終えてしまうことが多かったです。 職員にもよりますが訪問介護の場合、他の職員との会話もあまりないため、ご利用者様とその家族と会話をしない限り、会話をする機会がありませんでした。 そのため、仕事はしているけれど淡々と目の前の仕事をこなし続けていることを、辛いと思う時期が何度かありました。 もちろん職員全員に当てはまることではありませんが、少なくとも筆者はそのように感じる場面がいくつかありました。 訪問介護が辛いと思った時の対処法 訪問介護が辛いと思ったときは現状を変えるためにも以下のような方法をとると良いでしょう。 管理者に相談 例えば、訪問先のご利用者様からセクハラや、モラハラを受けている時はまず上司に話しましょう。 筆者は実際にそのようなお宅があったときに、当時の管理者に相談しています。 訪問介護員も人間ですので、辛いときは無理をしてはいけません。 筆者の場合正直にそのときの現状を伝えた結果、訪問先を変更してくれました。 他にも、自転車移動の距離が長く移動が辛いことも話しました。 改めて訪問先の見直しをしてくれて、結果的に移動がかなり楽になり体への負担が減りました。 介護は体を使う仕事ですので、他の負担は極力減らした方がいいですね。 困った時は、管理者に相談してください。 最初の課題解決の動きだしは、まずそこからかもしれません。 環境を変える 環境を変えるのも1つの手です。 筆者は異動や、転職は行いませんでしたが、他の職員で異動をして仕事環境が変わり、前よりイキイキと仕事をしている職員がいました。 会社の規模にもよりますが、社内で異動が叶うのであれば事業所を変えてみるといいです。 その行動だけで、世界が大きく変わってきます。 もし事業所を移動できなかったり、異動しても環境が変わらず辛い時は、転職も選択肢に入れてください。 訪問介護の事業所は、探せば多くあります。 できればご自身が働いたことが無い地域がいいかもしれません。 事業所の環境や、雇用条件など見るところは多くありますが、転職をして今以上に良い環境で働いている職員もいたため、1つの選択肢としておすすめです。 まとめ 今回、実際に働いた体験談をもとに、訪問介護で辛かったことをお伝えしました。 しかし、訪問介護は何も辛いことばかりではありません。 仕事をしていて楽しいことももちろんあります。 辛いと言う点も個人差があり、上に挙げたもの以外にも辛いと思うポイントはあるのではないでしょうか。 大切なのは、その環境下で自分自身がどうしたいかです。 それを考えられる記事になっていれば嬉しいです。