認知症のAさん(男性)は、夜中にウンチを渡そうとしてくる。職員が手袋をしてウンチを取ろうとするとご立腹。
「無理やり手を洗わせて頂くんですけど、めっちゃ抵抗されるんです」とみんな途方に暮れていた。
状況がよくわからんので、ぼくが夜勤に入ってみる。が、初日は空振り。後日迎えた2回目…
1スタッフとして現場に入るまでの準備と心構え
普段は介護部の責任者として、事務的な仕事がほとんどのぼくは、実際に1スタッフとして現場に入るのは稀なことである。
人員不足などでヘルプせざるを得ない時には、事前に担当するところの入居者さんの情報や、業務の流れなどを確認するようにしている。
情報さえきっちりと教えてもらっておけば、いろいろなお手伝いなどは経験があるのでどうにかなるのだが、逆に情報がないと何をすればいいのかわからない状態になる為、はっきり言うと使い物にならないのだ。
責任者として、後輩から「使い物にならない」というレッテルを貼られると、その後、言葉に説得力を持たせることが出来なくなる為、何としても避けたいところ。
この時も、夜勤に入ってみると決めてから準備を入念にして臨んだ。だが、初日はAさんの「ウンチを渡してくる行為」はなく、空振りに終わった。
それが良かった。久しぶりの夜勤の感覚を掴むことが出来たし、入居者さんの夜のご様子を知ることが出来た。業務の流れも把握した。
Aさんに対して、「今日こそは来てくれないかな」という気持ちで2回目の夜勤を迎えられたのは、気持ちの余裕を持てたという点で、とても良かった。
そしてその時は訪れた
このエピソード当時の夜勤の勤務時間は、夕方の17:00~翌朝の10:00まで。
夕食前から業務に入り、夕食、歯磨き、トイレ(オムツ交換)、就寝の準備、寝る前のお薬、就寝という感じで、だいたい22:00頃までには、入居者さんのみなさんは、眠りにつかれる。
情報によると、Aさんが例の行動をされるのは、夜中の2:00頃が多いとのこと。
とりあえずAさんが動かれるより前に、夜勤中にすべき雑務を終わらせていく。このあたりは、1回目に夜勤に入ったことで、スムーズにこなすことができた。
一方、なかなかAさんは起きてこられず、2:00にみなさんの居室を巡視した際にもよく眠っておられた。
「今日も空振りかな」と思っていたが…
夜中の4:00頃、廊下の向こうに人影が見えた。
右半身麻痺の為、右足を引きずって歩くシルエットは間違いなくAさん。じょじょにこちらに近づいて来られる。
左手が上に向いているのがわかる。その上に何かを乗せておられるのもわかる。
目の前まで来られるにつれ、乗っていた黒い物体が確認できた。まぎれもなくウンチだった。
それを、受け取れといわんばかりに「っん!っん!」と、ぼくに差し出してこられる。
「ほんまや!何で?」「何でこんなことされるんやろう?」
行動のヒントは居室にあった
Aさんは、認知症からくる失語症でしゃべれない。なので、この行動がどういう意味なのかお聞き出来ないし、言葉から推測することも出来ないのだ。
手のひらにウンチが乗っているので、すぐに取って手を洗ってさしあげたいのだが、手袋をして受け取ろうとすると、事前の情報通り、やっぱり「うーーん!!」といって怒って取らせて頂けない。
「うーん、どういうことやろ?どういう意味があるんやろ?」と思いつつ、廊下でAさんとのやり取りをしていると、他の入居者さんにご迷惑をおかけしまうおそれがあるので、なんとなくAさんを居室にお連れすることにした。
「居室に何かヒントはないんかな?」とも思いつつ…
灯りをつけて居室の中を見渡すと、観音開きの扉が開いたり、ロウソクを立てる受け皿?が倒れていたりと、お仏壇が乱れているような気がした。
さっきまで(の巡視で)そんな感じやったかな?なんか普通やったような…
念のため、Aさんの顔を見て「お仏壇ですか?」と聞くと、ウンウンとうなずかれた。
やっぱりそうか…
でも何?
お仏壇が何かあるんかな?…
!!!
考えて考えてようやく気付く。念のため、お声掛けさせて頂く。ウンチを指して「お供えってことですか?」
すると、ウンウンとこれまでになくうなずかれた。
やっぱそういうことやったんや!
ついテンションが上がり、「わっかりました!」と言って、手袋で受け取ろうとすると、やっぱりご立腹で渡して下さらない。
マジか…素手じゃないとダメってこと?
「大事なお供え物を汚いもの扱いして、手袋で触ろうとするなんて!」っていう感じなのかな?
汚いもの扱いとか、手袋の意味とかは理解されるんや。
なんて思いつつ、覚悟を決めて手袋を外し、Aさんの前にぼくは左手を差し出した。
すると、Aさんはウンチを渡して下さった。
若干、罰当たりな気持ちになったが、そのウンチをお仏壇の前に供えるように置いた。
それを見たAさんは笑顔になられた。
「手を洗いましょうか?」とお聞きして洗面台にお連れすると、すんなり手を洗わせて頂けた。それからベッドにご案内し、横になって頂くとほどなくお休みになられた。
原因を取り除くことで理解できない行動が消えた
夜勤明けでフロアの職員に聞くと、「そういえばお仏壇が乱れてることありました」と数人が気付いていたことがわかった。
だが、ウンチを渡してくる行為とは結び付かず、誰もがあまり気にせずに扉を閉めたりして、整えていたとのことだった。
Aさんのご家族は、Aさんが施設に入居されてからほとんど面会に来られていなかった。当然、差し入れなどもないので、お供え物も入居時以来、何もなかった。
Aさんは失語症である為、普段からどのようなことを思って施設で生活をされているのかが掴めていなかった。
しかも、ちょっとしたことでご立腹なさる性格のかたでもあったので、お仏壇にはあまり触ってはいけないという思いがみんなの中にあったのだ。
ウンチを渡そうとされる行為が現れてきた時も、何故そういう行為をされているのかが、誰も想像できなかった。
その日から、職員がお仏壇のお世話をさせて頂き、施設のおやつの余りなどをお供えすることで、ウンチを渡そうとしてくる行動はなくなった。
改めて、認知症のかたの行動には意味があり、その原因を取り除くことで不可解な行動は消失するんだということを実感した。
そして、その原因を解き明かすヒントは、そのかたの微妙な表情の変化や、生活環境などにひそんでいることがあるというのも学べた事例でもあった。
Aさんへの対応がうまくいき、翌朝、フロアのみんなに報告した時の「部長もなかなかやるやん」って感じが忘れられない。
介護という仕事が楽しいって思えた、14年ほど前のエピソードでした。
Aさんのその後
失語症ということに加え、ご自分から何かを訴えてこられるということが、このウンチを渡してこられるという行動以外になかったAさん。
そしてちょっとしたことで「うーーん!」とご立腹なさるので、施設入居以来、職員みんながどのように接するべきか戸惑っていた。
食事やトイレ、入浴のお声掛けなどには、すんなり応じて下さるので、ケアに困るということはなかったが、普段からのコミュニケーションという点で難しさを感じていた。
この一件がきっかけで、こちらから質問をさせて頂き、ウンウンと頷かれると正解、「うーーん!」とご立腹なさると不正解というコミュニケーションに、みんなが慣れていった。
怒りはあらわにされても、だからって暴力とかそういった行動をされる方ではない、ということがわかったのだ。
適度な距離感が掴め、コミュニケーションも取れるようになったことで、Aさんは「笑顔のとっても素敵な優しいおじいちゃん」として職員みんなから愛される存在になられた。