認知症のNさんの話。

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narumi

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認知症のNさんは、ぼくが勤務する特別養護老人ホームに入居してこられた初日から
夕方になるとご自身で風呂敷にまとめられた荷物を手に
フロア内をウロウロし始めるという徘徊行動を繰り返されていた。

繰り返される夕方の帰宅願望

介護職員が「どうされましたか?」とお聞きすると
決まって「おうち帰らなあかんねん」と言われ
出口を探して廊下を行ったり来たりされるのだ。

他部署の職員がエレベーターでフロアに上ってくると、入れ違いで
そのエレベーターに乗り込まれ、1階の事務所まで行かれたこともあった。

杖でスタスタと歩かれるそのご様子は、普通のお元気なおばあさんなので
そのまま玄関から外に行かれたら、老人ホームから間違って出てこられたとは
誰も思わないほど。

それがかえって危険だった。

1度ウロウロし始めると、”早くおうちに帰らないといけない”という焦りから
こちらからの声掛けに全く耳を傾けて下さらず
「今日はおうちに帰る日じゃないですよ」
「外はもう暗いので明日にしましょう」とお伝えしても

「こんなところにいてる場合じゃないねん!」
「早く帰らせて!」と
不穏が募るばかり。


事務所まで行かれた際には、玄関の自動ドアが開くたびに
出て行こうとされるのを止めなければならず
お話を伺いながら落ち着いて頂き

居室のあるフロアまでNさんに戻って頂くのに
かなりの時間を要したほどだった。

緊急カンファレンス


緊急で、介護のフロア主任・Nさんの担当職員・看護師・ケアマネジャー

相談員・リハビリ職員などが集まり、Nさんのカンファレンスを実施。
ぼくも参加することに。

「夕方になるまでに没頭できるものをして頂く」
「精神的に落ち着かれる薬を飲んで頂く」
「何か気がまぎれるレクリエーションをして頂く」などの意見が出たが
どれも長期的な対応方法であり、その日からすぐに効果のある方法は
なかなか思いつかなかった。

結果、統一した対応として、お疲れになられて落ち着いてこられるまでは
下手にお声掛けして「火に油を注ぐようなこと」はしないでおこう、となった。

落ち着かれると職員の声掛けにも応じて下さるようになるので
それを待つという方法である。

ただ、杖歩行で足腰もしっかりされているとは言え
やはり転倒のリスクもあり、また、エレベーターへ乗り込まれる可能性も
あるので、付かず離れずの対応が必要だった。

帰宅願望によるウロウロは夕方から始まるので
ちょうど夕食の忙しい時間とカブる。
それが毎日。

人手も足らず、Nさんだけに付きっきりになれる職員はいない。
かといって、ウロウロされるがままだと、Nさんはますます不穏になられるし
リスクもある…
どうすればいいか糸口がつかめず、職員みんなが困ってた…

最も光り輝いていた時代

認知症のかたの中には、自分が自分でなくなっていくような感覚から
不安や不満、混乱、恐怖といったネガティブな感情を感じなくて済むように
ご自身で現実とは違う世界を創り出し、そこに避難するというかたがおられる。

Nさんの場合は、ご自身の人生において最も光り輝いていた
『専業主婦として夫と小さい子供たちを支えていた時代』という世界に
意識を戻すことで、認知症のツラさから逃避しているのではないか。
だから
「主人や子供たちが帰ってくるまでに晩ご飯の支度をしないといけない」
という思いで、夕方からの帰宅願望が出現しているのではないかと推測。


その推測を元に、ぼくはある作戦に打って出る。

寄り添いながらの散歩

それは、普段から現場職員の1人としてカウントされておらず、いつでもフリーで
動ける介護部長という役職のぼくだからこそ出来ること…

いつものように夕方の帰宅願望が出現し
「おうち帰らなあかん」とウロウロし始めたNさんのお顔を見ながら
「おうちまで送っていきますね」と一緒に施設を出た。

風呂敷にまとめた荷物を背負い、杖をついておうちに向かうNさん。
あたりをキョロキョロと見渡しながら、時に立ち止まり、時に急な方向転換。

車道にも出ていくのでヒヤヒヤする。
隣りにつきながら安全を確保し、なるべく穏やかに話しかけるが
「ついてこんでええ!」と大きな声で怒鳴られる。

歩行者や自転車のかたがこちらを怪訝そうに見ている。

こけそうな時など、すぐに手が届く距離で付いて歩き
どっちに行けばいいか迷っておられるしぐさの時に話しかける。

少しずつ少しずつ、ぼくの言葉にも耳を傾けて下さるようになり
車通りの少ない住宅街のほうに誘導していく。

だんだんぼくの顔に安心される感覚が大きくなってくる…

そんな散歩を約2時間。

あたりもだいぶ暗くなってきた頃、最後はヘトヘトで
公園のベンチに座り込まれた。


施設に電話して相談員に車で迎えに来てもらう。
Nさんにペットボトルのお茶を飲んで頂いて、それから車で一緒に施設に戻った。
他のみなさんは夕食を召し上がっておられた。

翌日も、夕方に「おうち帰る!」が始まる。
「送っていきます」「来んでええ!」という会話を交わしつつ
2人で一緒に施設を出る。

前日と同じようなコースの散歩。
公園のベンチに座ったのは約1時間30分後。
施設に電話して車でのお迎え。
さらに次の日。
1時間ちょっとの散歩で施設へ歩いて帰る。
日はまだ落ちておらず、夕焼けに染まったアスファルトに
Nさんとぼくの影が
並んで伸びていた。

散歩3日目にしてはじめて夕食前に帰ってこれたので
なんとなくの思い付きではあったが
職員がしている夕食の準備を手伝って頂くことにした。

笑顔で「ええよ」とのお返事。
「おうちに帰る!」と言ったことはすっかり忘れておられた。

4日目の散歩は30分程度。
Nさんはまだまだ歩けそうだったが、途中で切り上げられるかも?と思い
「夕食の準備があるから帰りましょうか?」と声を掛けてみた。

すると、「そうやな。帰ろか」とのお返事。
5日目でついに、「おうちに帰る!」がなくなった。

ぼくが、「散歩行きませんか?」とお声掛けすると
「今から行ったら、この人らの晩ご飯に間に合わんがな」と笑顔で言われた。

それ以降、みなさんの夕食の準備をすることが、Nさんの日課になった。

夕方からの帰宅願望は、時折、思い出したかのように顔を出すこともあったが
「今からNさんが帰ったら、みなさんの晩ご飯に間に合わないですよ」と
お伝えすると、「そやな。じゃあ明日にするわ」と笑顔ですぐに現実の世界に
戻ってきて下さるようになった。

この対応を職員全員で共有して統一した。

帰宅願望から自分の居場所へ

Nさんがおうちに帰りたかったのは
「家族が帰ってくるまでに夕食の準備をしないといけない」という
妻として、母親としての思いがあったから。

そしてそれは、認知症により、自分で自分に違和感を覚え
じょじょに自分ではなくなっていくことの不安や恐怖から自分を守る為に構築した
『専業主婦として夫と小さい子供たちを支えていた時代』という
世界で生きることを選択したことから生じた思いだった。

Nさんの世界に入って寄り添い、否定せず
じょじょに「この人は安心できる人」と認識して頂くことで
落ち着いて頂くまでの時間を短くする。

穏やかな気持ちになられたところで、ぼくのほうからお願いし
他のみなさんの夕食の準備をお手伝い頂く。

そうすることで夕食の準備をする対象を
「家族」から「この人ら」に変換できたことで
Nさんが構築した世界と現実の世界を結び付けて1つにすることが出来た。

そしてNさんから、夕方の焦りが消えていった。

Nさんはその後、「人の役に立っている」ことで、ご自分の居場所を見出され
職員のするいろいろな業務を笑顔で手伝って下さり
その後、体調を崩されるまでの数年間をほんとにイキイキと過ごされた…

今から13年前のお話です。